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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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審問官第三章「轆轤首」

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 さて、《吾》が空虚である事は、然しながら、《吾》自身には堪へられない事で、《吾》と呼ぶ《もの》が、何かの《存在》の芯である《もの》として、あってほしいといふ夢想を《吾》は抱くのであるが、事実は《吾》はとことん空虚であるといふ事である。仮想世界に自在に《接続》し、また、自在に首を伸ばし、仮想世界において、解からぬ《もの》などないやうに思はれるのであるが、それは、灯台下暗しで、仮想世界が何処までも拡がりDataが蓄積されようが、決して解からぬままであるのは、何を隠さう轆轤首自体の《吾》なのである。これは、何時もながら轆轤首と化した《吾》を困惑させる因に為り、《吾》に関する事を仮想空間に厖大に蓄積されてゐるDataを探求し、検索をかけるのであるが、Monitorに表はれるのは、《吾》が求めてゐる《もの》とは途轍もなく乖離した《吾》なる《もの》がばかりで、つまり、仮想空間にない《もの》が《吾》なる《もの》なのであって、つまり、それは詰まる所、《吾》にも仮想空間にもぽっかりと底無しの穴が開いてゐて、それを《吾》は、《吾》と名付けて、その穴が暴れぬやうに絶えず監視してゐるのである。
《吾》に対する《吾》は、それが轆轤首であらうが、色ある《五蘊場》の《吾》であらうが、何処かびくびくとしてゐて、腫物に触るやうにして、《吾》は《吾》に対峙してゐるのである。つまり、《吾》とは《吾》の制御が利かぬ一番身近で一番《吾》と乖離してゐる《もの》なのである。《吾》が仮想空間を自在に行き交ひ、時間を仮想空間の中で或る意味浪費してゐるのは、詰まる所、《吾》の正体を見たくないが為なのであるが、しかし、《吾》は好奇心の塊で、どうあっても《吾》なる《もの》を見尽くしたくて仕様がないのも、また、本心で、どうしても《吾》は《吾》の周りをうろつく事になるのである。尤もさうして見出される《吾》は、ぽっかりと開いた穴以外の何《もの》でもなく、轆轤首と化した《吾》は、その《吾》の穴凹へと首を突っ込み、何《もの》もない《吾》といふ《もの》の実体を知って、何時も愕然とするのである。
 すると、《吾》の穴からは、
――ぶはっはっはっはっ。
 と哄笑する嗤ひ声が聞こえて来て、《吾》は只管戸惑ふのである。すると更に大声で、
――ぶはっはっはっはっ。
 と《吾》を嘲笑する嗤ひ声が頭蓋内の闇たる脳といふ構造をした《五蘊場》全体に響き渡るのであった。
 私は《吾》にぽっかりと開いた穴を嘗てはその穴を通して虚数の世界が見られるので《零の穴》と呼んでゐたが、現在ではその穴を《パスカルの深淵》と名付けて、その穴の拡大だけは何とか抑へてゐたのであるが、尤も《パスカルの深淵》は日日その深化を深めてゐるやうな気がしなくもなく、その所為もあってか、私の日課として《パスカルの深淵》を探し出し、それが首尾よく見つかれば、その《パスカルの深淵》を覗き込むのであったが、どんなに首を伸ばしても眼前に拡がるは漆黒の闇ばかりで、そして《パスカルの深淵》からは絶えず、
――ぶはっはっはっはっ。
 といふ《吾》を嘲弄する嗤ひ声が聞こえてくるのであった。そして、その哄笑がぴたりと已むと今度は、《パスカルの深淵》を一陣の風が吹き抜けて、何とも哀感漂ふ何《もの》かの噎び泣く泣き声のやうな風音が聞こえてくるのであった。
 その風音を聞きながら、轆轤首の《吾》が、その《パスカルの深淵》に首尾よく辿り着ければ運よく《パスカルの深淵》の正体を見つけ出し、其処に首を突っ込むといふ行為を行はずにはゐられぬのであっが、その行為は途轍もなく虚しく、その虚しさは名状し難い《もの》であったが、しかし、《存在》に憑りつかれてしまった《もの》はそれが何であれ、《吾》の在処を闡明し、多分にGrotesqueな姿形をしてゐるに違ひない《吾》なる《もの》の正体を白日の下に晒すといふ《吾》にとっても《他》にとっても迷惑千万な恥辱に満ちた愚劣極まりない行為をせずには、《吾》は《吾》に対してその《存在》に一時も我慢がならず、遂には、《吾》は《吾》を呪ふのである。さうして、《吾》は《吾》から少しでも遁れるやうにして色の欠いた《四蘊場》の仮想空間に《接続》し、《吾》を抛り出した轆轤首になるといふ何とも奇妙な離れ業を身に付け、轆轤首の《吾》には《吾》は無しといふ奇妙奇天烈な事象を断行するのである。
 ところが、《吾》なる《もの》は、奇妙な引力がある《もの》で、厖大なDataが時時刻刻と蓄積されゆく仮想空間へと首を伸ばし轆轤首と化した《吾》の首は、或る閾値に達するとぐっと《吾》に引っ張られて、すとんと首が元の処に収まるのであった。つまり、《吾》とは、結局の所、《吾》から遁れ出られぬ極極当たり前の結論に為るのであるが、それはBlack hole顔負けの事象の地平線が《存在》する《もの》なのであった。
《吾》の事象の地平線を例へば《吾閾》と名付けると、《吾閾》の中において《吾》の出現は、全て同等な《もの》、つまり、確率的に同じといふ事なので、《吾》は《吾閾》においては何処においても同等に出現可能で、それはハイゼンベルクの不確定性原理の如く、《吾》の在処は最早確率でしか語れず、また、太陽の黒点の如き《パスカルの深淵》が《吾閾》の何処かでばっくりと口を開けると、《吾》はその《パスカルの深淵》に纏はり付く確率が高くなり、そして、《吾》はその《パスカルの深淵》を覗き込みたい衝動には抗へず、首尾よく見つけ出された《パスカルの深淵》に首を突っ込んでは、
――《吾》、未確認。
 といふ徒労を繰り返すのである。仮想空間に何時でも《接続》可能になった轆轤首の《吾》の出現が、尚更、《吾》の正体を見難くし、また、弾幕を張って轆轤首の《吾》には、時折、《パスカルの深淵》の在処すら隠すやうになり、《吾》は、何処からか発するのか解からぬ《吾》といふ強力な引力に絶えず引っ張られながら、不明なる《吾》を探す徒労に茫然としてゐるのである。ところが、《パスカルの深淵》からは絶えず《存在》が噎び泣くやうな風音と共に《吾》を嘲る、
――ぶはっはっはっはっ。
 といふ哄笑が聞こえて来て、《吾》が《吾》から遁れる事を絶えず断念する密約が《吾》の与り知らぬ処で《存在》と結ばれてゐるのか、轆轤首と化して《吾》からの自由なる飛翔を夢見るそんな《吾》は、しかし、《吾閾》からは一歩も出られない哀れな《存在》なのであった。そして、《吾》なる《もの》は最早、《吾》と名指し出来るやうには《存在》せず、絶えず確率論的に《吾》は曖昧にしか《存在》しないのであった。
 つまり、《吾》なる《もの》は、《吾》以外の《他》に《存在》する確率は決して零であった事はなく、それは、詰まる所、《吾》が《吾》であるのは確率何パーセントとして、そして、《吾》が《他》であるのもまた、確率何パーセントとして語られるべき《もの》に違ひないのである。
 それ故に、《吾》にぽっかりと穴が開いた《パスカルの深淵》が《吾》に《存在》するのは当然の事で、《吾》が《吾》として確率《一》でない限りは、《吾》には虚しき穴凹が《存在》するのが自然の道理といふ事である。