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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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審問官第三章「轆轤首」

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 さて、厖大に蓄積され続けゆく現在と過去のDataに智慧が《存在》するのかと問へば、多くの人は、《存在》する筈だと答へると思ふが、私にはどうしてもさう思へず、智慧は「現存在」が裸一貫で現実に対してどう対応するかでしか生存の智慧は授からないやうな気がしてならないのである。それというのも、「現存在」は、肉体たる色を抛り出して首のみを伸縮自在に伸ばす事で、Dataの洪水たる仮想空間に己の生存の、つまり、己の未来の《存在》を見出す愚行を絶えず行ってゐるのであるが、色を放り出した轆轤首には現実は対峙する《もの》ではなく、単に唯、やり過ごす《もの》でしかなく、仮想空間に自在に首を伸ばして、《吾》の存続する術をその厖大なDataの中から探してゐる轆轤首のその醜悪な姿は、最早何をか況やである。
 ところが、厖大に蓄積され続けるDataは、「現存在」の生存に或る示唆を齎す事は、否定する事は出来ず、そのDataは寧ろ否定するのではなく積極的に活用する事で、「現存在」の生存の確率が増すのは、誰も否定出来ない事実である事であるが、しかし、私はその事に或る名状し難い憤懣を覚えるのであった。
 さて、その憤懣の因を自身に問ふてみると、ドストエフスキイが観念に憑かれた人間を紙で出来た人間と形容したやうに、時時刻刻と蓄積されゆくDataの活用に憤懣を私が抱くのは、紙でなく、現在はDataのCopy&Pasteで出来た人間に「現存在」が堕す、その《存在》の劣化とも言ふべき《存在》の様相に憤慨するのである。今の世、独創は蔑まされるが、Dataを構造化し、編集する能力に長けていれば尊敬される、何とも奇妙な世の中になったと私は感嘆するのであった。
 ところで、仮想空間は、Monitor画面を前にすれば、何《もの》にも「同じ」仮想現実に対峙してゐる事になるのであるが、尤も、仮想空間は本当の現実に対峙してゐるかの如き錯覚を齎すのには誠に優れた装置として機能するので、仮想空間に首を自在に伸ばす轆轤首は、己の情報の発信を仮想空間へ向けて投企し、仮にそれに反応があると胸奥で歓喜の声を上げて、その見知らぬ《他》の轆轤首の返答に応じる事で、仮想快楽と呼ぶべき得も言へぬ快楽に自己陶酔する或る意味《自》と《他》にたいしてふしだらな《存在》が仮想空間には生まれるのである。しかし、それが良いか悪いかを問ふ事は愚行に過ぎず、本当の処、仮想空間において快楽を感じる事などどうでもいい事で、そんな事は各轆轤首が好きなやうにすればいいだけの事であるが、唯、それは蟻地獄の如く一度嵌ったならばもう抜け出せぬ快楽である事は、仮想現実世界への中毒者が《存在》する事からも自明である。
 とはいへ、誰もが轆轤首となって仮想空間へと《接続》出来るかと言へば、それは否で、例へばtwitterを例にすれば、それにはBlock機能があり、《吾》はある時一方的に《他》にBlockされて《他》に《絶縁》されるのである。而もBlockされるのはほんの些細な批判をしただけの場合が殆どで、最早さうなると何をか況やである。つまり、仮想空間においてこそ、おどろおどろしい自我が剥き出しになり、其処では絶えずぎすぎすした不安定な関係を生んでは、《他》をBlockする愚行が濫用される事になり、Blockされた轆轤首の《吾》は、内心憤怒してゐるのであるが、此のつれなさこそが仮想空間が仮想である所以であって、轆轤首と化して仮想空間を自在に飛び回ってみた処で、其処に《他》が出現すれば《吾》は《吾》として我執に囚はれる事になり、そして、それは、多分、とても醜い事に違ひなく、我を剥き出した《他》の《存在》を認識する《吾》は、己が色を欠いた轆轤首に過ぎないことを嘆く事になるのである。つまり、《吾》は本心ではBlockした《他》をぶん殴りたいのであるが、如何せん轆轤首の腕なんぞ高が知れてゐて、そのBlockした《他》には遠く及ばぬ故にBlockされたが最後、《吾》はその《他》と永劫に仮想空間では《絶縁》のまま、最早関係が修復されることはないのである。《吾》はさうなると途轍もなく哀しい孤独感を味はふ羽目に陥る場合もあり、《吾》はその胸奥にぽっかりと開いた穴を埋めるべく、別の《他》を物色するのである。でなければ、只管、《他》のtweetをMonitor画面上に垂れ流したまま、《吾》は仮想空間に飛び込むことなく、唯、ぼんやりとMonitorに目をやり、さうして不意に轆轤首である事から落ちこぼれ、金輪際、轆轤首に積極的になる事は最早なくなるのである。
 さて、それでは、頭蓋内の闇たる脳といふ構造をした《五蘊場》が《接続》する仮想空間に氾濫するDataといふ名の厖大な情報は、現実といふ《もの》が各人によって様様である事を知らしめ、そして、現実は、そもそも此の世に《存在》する《もの》の数だけあり、と、今更ながらその厖大な情報の氾濫と濫用に戸惑ひつつも、如何なる情報と雖も、それが情報である限り、その情報を受け取る《吾》は、絶えず轆轤首となって情報を喰らひ、生き延びるのであるが、その時の孤独感と言ったならば名状し難き《もの》で、その原因は、厖大なる情報が絶えず更新されゆく仮想空間を前にすると、《吾》が此の世に《存在》せずとも何ら《世界》は変はる事無く、唯、《他》が発信し続ける情報で絶えず満ち溢れ、Monitor画面の前にゐる《吾》の《存在》の虚しさは底無し沼の如き《もの》で、さうして仮想空間を覗き込む轆轤首は絶えず底無しの哀しさを以て吾が《存在》を噛み締める外に、この高度情報化社会では《存在》するのは最早不可能な事に為ってしまったのである。
 さて、轆轤首へと変化した《異形の吾》は、また、《吾》にぽっかりと開いた底無しの穴を見つけては覗き込み、恰も轆轤首が逆立ちしたやうな、真に無様な姿の轆轤首に、《吾》はなってしまふのである。《吾》に開いた底無しの穴を《異形の吾》が覗き込むといふ愚行もまた、内的自由の為せる業なのではあるが、その内的自由の行き着く先はといふと、大概、此の世の最後の秘境たる《吾》にぽっかりと開いた《吾》の穴に違ひないのである。さうして《吾》は、《吾》に関して終はる事のない堂堂巡りを繰り返し、その穴を《吾》といふ言葉で名指して、その結果、《吾》は必ず曲解される次第になるのであった。
 ところが、轆轤首が、《吾》に開いた底無しの穴を何処までも首を伸ばして覗き込んでも、全く何も見える事無く、唯、漆黒の闇が眼前に拡がるばかりで、その時の私と言へば、何処へもやりやうのないこれまた底無しの虚しさに苛まれる事になるのである。そして、これは、轆轤首の《吾》がその穴を覗き込む以前に既に解かり切ってゐるのであるが、その空虚を骨の髄まで知ってゐるにも拘はらず、轆轤首の《吾》はその《吾》にぽっかりと開いた穴を覗き込みたい欲求を満たしたいが為に欲求の赴くままにその穴を覗き込むのが常なのである。