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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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審問官第三章「轆轤首」

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 《吾》は其処で哄笑の大合唱に見舞はれ、最早、打つ手なしと観念しつつも、《吾》は《吾》の内部に沈降するが如くに蹲り、更に身を縮めて、《吾》の内部に閉ぢ籠るのである。さうして、《吾》は石ころの時間が遅遅として進まぬ《吾》に為り果て、最終的に渦動する、しかも《神》無しには未来永劫渦動する外ない渦が、此の世に出現する事に為るのであった。
――へっ、つまり、《吾》は渦かね?
――多分ね。
――多分?
――多分としか言ひやうがないのさ。だって、《吾》ほど《吾》に関して無知な事は《吾》は嫌と言ふほど知ってゐるからね。この《吾》が《吾》に関して全く以って無知な事は異論はないだらう。
――ならば、《吾》とは一体何なのかね?
――単なる幻影、つまり、思ひ過ごしでしかないのさ。
――《吾》が幻影? そんな事は太古の昔から言はれてゐる事で何ら目新しい事はないがね。
――しかし、《吾》とは泡沫(うたかた)の幻影でしかない。それ故に《吾》は、一所懸命に生きるのだ。夢の、つまり、《世界》の裂け目を確かに見出だす為にね。
 思へば、此の世は穴凹だらけなのかもしれないのである。《未来》あるいは《過去》へと吸ひ込まれるやうにしてあらゆる《存在》は《現在》に留め置かれ、さうして、《吾》は絶えず渦動するのかもしれぬのである。そもそも此の世のあらゆる《存在》は、時空間の穴凹の底であり、物体が《存在》すれば、時空間は歪み、穴凹として看做せてしまふのである。つまり、《存在》が此の世の裂け目を彌縫したその傷痕であり、《もの》の数だけ此の世は裂けてゐて、穴が開いてゐるのである。《存在》とは、穴凹の底の別称であり、此の世の裂け目の面なのである。ならば、「現存在」が此の世の不合理に無理矢理にも順応して変化した轆轤首は、此の世に開いた穴凹の底より脱出を試みた主体の残滓なのかもしれず、それは、例へるならば、蟻地獄に落っこちた蟻さながらの様相を呈しているに違ひないのである。蟻地獄に落っこちた蟻の苦悶にも似た命の危機に直面するその「現存在」の生き残る術は、当然、蟻地獄のやうな穴凹から這ひ出る事に似てゐる筈なのであるが、「現存在」が実体として《存在》する限り、時空間は歪み、《吾》そのものが時空間に開いた穴凹の底でしかないのである。しかし、首のみが伸び切った上に、自ら首をぶった切り、残された軀体を撲滅する事で浮遊する首のみとなった《吾》は、此の世の穴凹に落っこちて既に自由落下を始めて久しいのである。此の世に対して仮にふわふわとした感覚が少しでもあれば、それは既にその「現存在」が此の世に開いた時空間の穴凹に落っこちてゐる証左に過ぎぬのである。つまり、此の世は野間宏の『暗い絵』の有名な冒頭の息長い文に込められた穴凹と同様に此の世は穴凹だらけ、つまり、裂け目だらけに違ひなく、「現存在」とは、既にその裂け目に落っこちてゐる《存在》の謂ひでしかなく、《吾》はそのやうな何時果てるとも知れぬ自由落下にあるのが実相に違ひないのである。そして、大概の「現存在」はそれを「自由への飛翔」と誤謬してゐて、何の事はない、飛翔する《吾》といふ表象は、墜落した《存在》の謂ひでしかないのである。