審問官第三章「轆轤首」
多分、《吾》が轆轤首に変化する事で、私の徹底的な主観的な《世界》と物理数学が描出する抽象的ながらも途轍もなく具体的な《世界》との裂け目を飛び越すべく首を不自然に伸ばし、そして、ぬめっとした感触ばかりが際立つ現実の《世界》に私の首から下の肉体は、現実の人質として《世界》に囚へられ、さうして現実の《世界》の人質として吾が首から下の肉体はある故に、私が此の世に思索的に《存在》出来得、その場合は必ず轆轤首に変化せずにはをれなかった筈なのである。さうして、私の首は、自由を求めて伸びに伸びて仕舞ひにはちょん切れて吾が虚空を自在に飛翔を始めるのである。
ところで、吾が虚空を自在に飛翔し、舞ってゐる《吾》の首は、飛んでゐるのか、将又、自由落下してゐるのかの区別は、徹頭徹尾主観の問題で、自在に舞ふ己の有様を、飛翔と認識するのか、それとも自由落下してゐるのか、どちらかとして把握するその選択は、《吾》の資質による処大であるが、私は、《吾》が吾が虚空で自在感を味はってゐる時は、必ず《パスカルの深淵》に自由落下してゐる《吾》を表象せずにはをれなかったのである。つまり、それは、私が、如何に地獄を愛好してゐるのか図らずも指し示す事になり、夢の中で《吾》が自在に飛翔してゐると断言出来る《もの》は、天国、若しくは浄土への志向が強烈な筈で、私のやうに絶えず自由落下してゐると看做す《もの》は、地獄愛好者と言ひ得るのである。さうして、奈落に落ちてゐる事ばかりを渇望する《吾》は、さうする事で、己の不安を少しでも和らげては、自己愛撫しながら、更なる落下、若しくは堕落を味はふ悪徳に浸る快楽を追ひ求めずにはをれず、そんな自堕落な《吾》の志向に対して、にたりと嗤ひ、そして、更なる深みを求めて、自由落下する《吾》を表象する遊びを始めるのである。さうなると、最早、《吾》は《吾》を見失ひ、只管、《吾》から迷子になる事を冀ひなが落ち行く《吾》を想像しては、心を打ち震はせてゐるに違いないのである。
さて、現実に囚はれたままの首を失った吾が体軀は、ちょん切られて残された首の根っこを磯巾着の触手の如く天へ向かって伸ばすのであるが、一方で、首のみと化した《吾》は、吾が体軀が目指す方角へ向かっては飛翔せずに、只管、自由落下してゐるその首の《吾》と吾が体軀との齟齬は、天を目指しながら奈落に自由落下する私の矛盾を浮き彫りにしてゐるのであるが、しかし、私は何時もその矛盾を吾が《存在》の証の一つとして大事にしてゐるのは間違ひなかったのである。つまり、私は、《存在》とは、それだけで既に矛盾した《もの》であると看做してゐるのは、何度も言ふやうに確かな事で、尚且つ、《他》において私は、矛盾を抱へた《存在》に違ひないとの予見を持って眺めるのであったが、尤も、それを裏切らない《他》に出会った事はなく、つまり、《他》は自尊してゐる場合が少なくなく、とはいへ、それが、仮面である事は、大概の《存在》ならば、そんな事は自明の事に過ぎないのである。だからこそ、尚更《他》は《吾》にとっては不可解極まりない《存在》であり、超越した《もの》なのである。つまり、《他》には、私の予想を覆す予見不能な突拍子もない事を平気で行ふ《存在》でありながら、それでゐて私に憑依する幽霊宜しく、語ればやはり、自分に躓いてゐて、さうして一瞬でも《吾》と《他》は、解かり合へたとの錯覚を互ひに互ひの事を誤解する事で辛うじて関係が保たれる不可思議な事態へと《吾》と《他》は投企されるのであるが、それは、それで互ひに居心地がよいので、敢へて、互ひの懊悩へと深入りはせずとも、《吾》は《他》に《吾》の懊悩を投影して、《他》の解釈を始めるから始末に負へないのである。そもそも《他》の解釈なんぞ《吾》に出来る筈もなく、《吾》に踏み迷ってゐる《もの》に《他》を解釈出来る訳もないのは必然であって、それを恰も理解出来たかの如く振舞ふのは偽善でしかないのである。《吾》と《他》は何処まで行っても解かり合へない故に、《吾》と《他》は、互ひに関係を持つ事を渇望せずにはをれず、其処で、互ひに解かり合へない事は、当然の事であり、それを前提に《他》と関係を持たない事は、礼を欠き、《他》に対して失礼極まりないのである。
然しながら、《他》は、《異形の吾》といふ謎を解く一つの解であり、それを十分に承知してゐながら、《吾》は《他》に対して突然、刃物を取り出して殺されるかもしれぬのっぴきならぬ事態すらをも鑑みつつ、《吾》は《他》に対峙し、その姿勢が詰まる所、《吾》が《異形の吾》として姿見の前にゐて《吾》に対峙してゐる《吾》といふ事象に重なるのである。其処で、《吾》は、《他》に《吾》であった可能性を値踏みしては地団駄を踏み、《他》が《吾》であった可能性が零ではない事に或る種の衝撃を受けつつも、《吾》は、《吾》の《存在》を立証するべく、《他》に対して恐れ慄きながら、作り笑ひを顔に浮かべて、《吾》は《他》の敵ではない事を《他》に諂ひつつも、己の下司な根性を内心で侮蔑しながら、《吾》とはとことん《存在》に対しては、謙(へりくだ)った《もの》に違ひないと感服し、《吾》は、無防備のまま《他》に対峙する剣が峰に立つ決心をする故に、《吾》は漸く《他》に対峙するのである。といふのは、《他》は《異形の吾》の解の一つであるからであり、《吾》が《他》に、つまり、《異形の吾》に対峙するその仕方は、大概さうであるべきで、それが、《他》に対しての、《異形の吾》に対しての礼儀なのである。尤も、それは、一瞥を相手と交はした刹那の出来事でしかなく、《吾》は《他》に対しても《異形の吾》に対しても、伏目のまま対峙し、一瞥で以てして《他》、若しくは《異形の吾》に対してその《存在》を丸ごと受け容れつつも、《吾》に巣食ってゐる我執を丸出しにして、《他》、若しくは《異形の吾》を威嚇してゐるのは間違ひなく、《吾》と《他》、若しくは《異形の吾》との間に交はされる一瞥には、《存在》が《存在》に対する時の作法が凝縮してゐる筈なのである。そして、それは、底無しの絶望が為せる業でしかなく、《吾》と、《他》、若しくは《異形の吾》との対峙は、何処まで行ってもお互ひに理解不能な、《存在》に対するといふ受難、若しくは苦行なのである。
――へっ、《他》、若しくは《異形の吾》との対峙が、苦行だって? 嗤はせないで呉れないかな。それは、お前が、単なる対人恐怖症を発症してゐるだけぢゃないのかね?
と、にたにた嗤った《異形の吾》が半畳をすかさず入れるのであるが、
――未知の《存在》に対しする作法がさうなのさ。
と嘯く私は、失笑するのであった。
――ぷっふいっ。
と。
作品名:審問官第三章「轆轤首」 作家名:積 緋露雪