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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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審問官第三章「轆轤首」

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 しかし、私個人の話をすれば、数日おきに、私の睡眠時にどうしても幽霊としか考へられぬ《存在》を夢の中でか、寝言としてか、そのどちらかで、私は誰とも知れぬ全くの赤の他人と睡眠時に休む間もなく、絶えず話し込んでゐて、そんな私を私は睡眠してゐるとはいへ、覚醒時の如くにはっきりと意識してゐて、その会話は何時も止めどなく、蜿蜒と続く《もの》と相場が決まってゐるのである。それを端的に言ふと、夢の中で鏡に映った自身の像を異形の《もの》として私が話してゐるのか、本当に幽霊と話してゐるのかと問はれれば、私は、何の躊躇ひもなく、それは私に憑依した幽霊であると言はざるを得ないのである。といふのも、仮にその赤の他人が夢の中で、私が作った人間に過ぎないとすれば、私は人間を作るのに長けた《もの》に違ひなく、その数や既に数へきれない数多の《もの》が、私の夢に登場した事になるが、しかし、私にそんな芸当が出来る筈もなく、その私の夢に登場する赤の他人は私に憑依した幽霊と看做した方が納得出来、しっくりと来るのである。それは、私の夢に登場する赤の他人は誰もが全く脈絡がなく私の夢に登場し、草草(さうさう)に私が私の夢に登場する他人を拵ゑる能力などある筈もなく、そんな芸当が出来たならば願ったり叶ったりで、何冊もの小説があっといふ間に出来上がる筈なのであるが、現実の処、そんな事はなく、つまり、私にそんな芸当はないのである。そして、私に幽霊が憑依すると私はその間、ずっと重重しい体軀を引き摺るやうにして、只管、その憑依した赤の他人の幽霊が私から離魂するのをひたすら待ち続けるのを常としてゐたのである。これは、或る種の狂気に違ひないが、私は、それでもそんな私を受け容れるしかないのである。
 つまり、私は幽霊は全く怖くなく、寧ろ、興味津津の態であり、また、私は、よく真夜中に墓場に行っては、その澄明な空気に包まれる事を愛して已まないのである。
 さて、さうして、私に憑依する幽霊達は、多分、私の魂魄の振動数と共鳴してゐるに違ひないと私は一人合点してゐるのであったが、その私は、私に憑依してきた幽霊を邪険に扱ふ事をご法度にして、私は、ひと度、私に憑依した《もの》は、それ自ら離魂する迄、ずっと私に憑依させる事を一つの決め事にしてゐて、つまり、それは、睡眠時に繰り広げられる会話が、或る意味楽しくて仕方がないに違ひなく、また、目から鱗が落ちる事しばしばなのである。
 さうすると、私の夢は、私において閉ぢた《もの》ではなく、《世界》に対して開かれた《もの》で、そして、誰もが出入り自由な《もの》で、それ故に私が轆轤首に変態する事は常人に比べれば僅少かもしれぬのであるが、それはさておき、その開かれた私の夢に幽霊にとっては何か面白い《もの》でも転がってゐるのか、数日おきに、赤の他人が一人、または二人、私に憑依し、私は夢見中、その赤の他人達の幽霊共とその幽霊共が拘るTheme(テーマ)に沿って夢中で議論する事を心の底より楽しんでゐるのは間違ひなく、多分、私は、その赤の他人達を成仏させる為にはその赤の他人達の胸の丈を存分に語らせる事がその幽霊共の為に一番である事を、或る種、本能的に知ってゐて、私は私に憑依した幽霊を祓ふことなく、幽霊が憑依したいだけ私に憑依させてゐるのであった。
 全く赤の他人の幽霊が憑依するとは、さて、どんな《もの》かと告白すれば、それは、只管に辛い《もの》で、その辛さから解放されるのは、睡眠時だけなのである。そして、幽霊を幽霊の好きなだけ憑依させてゐる莫迦《もの》は、多分、此の世で私位の《もの》だらうとは思ふのであるが、その憑依してゐる幽霊が邪悪な《もの》でも、私は、一切邪険にする事はなく、好きなだけ私に憑依させておくのである。さうして、睡眠時に彼らの恨み辛み事に耳を傾け、また、私は、それに異見をし、徹底的に話し込むのであるが、しかし、幸ひに私に憑依する幽霊は、此の世に恨みを持った《もの》は少なく、私に憑依するのは、大概、「私とは何か?」、そして「何が私なのか?」といふ埴谷雄高が『死靈(しれい)』で言挙げした問ひの答へを只管に探し求めてゐる求道者然とした幽霊が殆どで、つまり、それ故に私の魂魄と共鳴するに違ひなく、そんな懊悩にある《もの》との議論は意外と楽しく、私は、嬉嬉としてそれらの幽霊と話し込むのであった。
 そんな時、私は夢の中で不図思ふのであるが、かうして、私と全く面識がない赤の他人にして《吾》に踏み迷ひ、懊悩してゐる私に憑依した幽霊と話し込んでゐる私を、例へばその有様を鏡に映す事が可能であれば、多分、私もまた《異形の吾》へと変化してゐて、其処にもしかすると私の本質の何かが表はれてゐるに違ひなく、仮にその《異形の吾》が、ピカソの有名な絵画「ゲルニカ」に見られる人面の人魂のやうな《もの》に変化してゐるかもしれず、それは轆轤首の首がちょん切れて、私の夢舞台の虚空を自在に飛び交ひながら、私に憑いた幽霊の魂魄と舞ひを踊ってゐるかもしれないのである。
――ふっふっふっ。幽霊と舞ふ? そんな莫迦な!
 と思ふ私が確かに《存在》するのであるが、しかし、私に憑いてゐる幽霊と舞ふ様を思ひ描く度に、私は不思議と納得する《吾》を見出すのである。
 人面の人魂と化した《異形の吾》と私に憑いた、《吾》に踏み迷った幽霊とが、私の夢の虚空を自在に舞ひながら、互ひに《吾》の《存在》について思ひの丈を語り尽くす様は、其処に自由なる気風が《存在》し、何かの縁かは解からぬが、中有の時か、それを過ぎてしまって、尚も成仏出来なかった幽霊のその懊悩の深さは、いづれも底無しで、それは私に憑いた幽霊と《異形の吾》は、舞ひを踊りながら、自由の気風の中で、止めどなく語り合ふ事は、私の精神衛生上、健全な事であり、さうして、こんこんと話し込む《異形の吾》と幽霊は、何時果てる事も知れぬAporia(アポリア)の問ひに対して蜿蜒とああでもない、かうでもない、と話し込みながら、私に憑依した幽霊は、踏み迷った《吾》を少しづつ取り戻してゆくのか、さうして、幾日かすると私から離魂し、或る《もの》は成仏し、また、或る《もの》は、私以外の誰かにまた憑依し、更に議論を深めてゐるに違ひないのである。つまり、私が、私に憑依する幽霊に寛大なのは、偏(ひとへ)に彼らは深い懊悩の中にをり、その陥穽――それを私は《パスカルの深淵》と看做してゐる――に落っこちて、幾ら足掻いた処で、出口なしのその有様に、私の《存在》の有様を、幽霊には全く失礼千万な事なのであるが重ね合はせてながら、私に憑依した幽霊は、私の与り知らぬ赤の他人ながらも、その懊悩する様に私との縁を見出し、私は、率先してそれら私に憑依した幽霊と話し込む事を渇望し、彼らが何《もの》であらうとも、絶対に祓ふ事はしないのである。