芸術と偏執の犯罪
助手は、さらに、この男のことを調べてみることにした。
そして、この男は、さすがにその日は、おかしな行動をすることはなかった。警察にこられたその日は、自重していたということであろう。
しかし、この男、耽美主義ということであったが、見るからに、
「こういう性格ではないか?」
ということを疑うことのできないようなものを感じられた。
「人は見かけによらない」
とはよく言われることで、それを一番警察というのも分かっていて、しかも、
「先入観からの捜査は禁物」
ということであり、さらに、
「捜査本部で決定した捜査方針には、管理官であっても、逆らえない」
という、
「警察としての、鉄の掟」
のようなものがあるといってもいいだろう。
それを考えると、
「余計に、勝手な捜査はできない」
と考えることだろう。
それこそが、
「公務員気質」
というのか、
「お役所仕事」
というのか、
「それだからこそ、警察官は、証拠を地道に積み上げるという捜査になるということであろう」
だから、小説やドラマでは、
「推理力を発揮して、警察の通り一遍の捜査に歯向かう形で犯人を逮捕するというような、はみ出し刑事のような人がテーマになりやすいということになるのであろう」
と助手は、苦笑いするのであった。
もっとも、
「そのおかげで、自分たちの飯が食える」
ということも事実のようで、
「やはり、警察組織というものは、どこをどの角度から見ても、納得できるというものではない」
と感じるのだった。
彼女は、この桑原を追いかけているうちに、
「この男は、動物的な感性がある」
ということに気づいた。
そもそも、
「芸術家などというものは、感性が勝負」
ということで、それも、
「動物的な感性」
というものがものをいうといってもいいだろう、
だから、ミステリーであったり、耽美主義と呼ばれるものの中には、
「どこか、偏執的なところ、もっといえば、変態であればあるほど、その素質というものが、潜んでいる」
といえる気がしていたのだ。
だから、もちろん一概には言えないが、
「やつのような雰囲気を醸し出している男は、我慢することができず、自分の感情に逆らうことをしない」
つまり、
「我慢というものを知らない男ではないか?」
ということで、少し見ていれば、
「この男の本性は、その化けの皮がすぐに剥がれる」
と思っていたのだ。
だから、
「数日は、この男を気にして見ていくことにしよう」
と思っていると、、さっそく、警察が来てから、その翌日に動き出した。
彼が行ったのは、
「ゲイバー」
のようなところで、その筋では、
「本当の衆道が集まる」
という場所だという。
「なるほど、この男は、同性愛者だったというわけか」
と思った。
そしていろいろ探ってみるために、
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」
ということで、彼女は、変装することもなく、その店に入った。
最初は、女性が来たことで、異様な雰囲気になったが、それも一瞬で、
「そもそも、その場の空気に女性は必要ない」
ということで、誰も、彼女を気にする人はいなかった。
彼らは、これまでさんざん、
「同性愛者だということで、世間かた冷たい目で見られていた」
ということで、ここでは、自由なんだと思えることが嬉しいと感じているわけだ。
そんなところに女がいたって、それはただの、
「路傍の石」
ということであり、
「意識しなければいい」
というだけのことだった。
それを彼女は、昔捜査した中で、同じようなゲイバーに潜入したことがあったので分かっていた。
この店も類に漏れることはなく、完全に、
「路傍の石」
というものに徹していたのであった。
ただ、この日、彼女が仕入れてきた情報で、
「桑原という男が、同性愛者だった」
ということだけではなかった。
一つ気になるということであれば、
「桑原という男、ある意味、見掛け倒しだった」
ということであり、それは、彼女が勝手い思い込んでいたことなので、桑原とすれば、
「何よ。失礼ね」
ということになるのだろう。
つまり、この言い方から考えても、
「桑原という男は見かけでは、完全に男として、女装男子をかわいがっているのではないか?」
と思われたが、実際には、
「この男が、女装男子であり、ここから女とホテルにしけこめば、中で別々に着替えて、
「本来のプレイに勤しむ」
ということだったというのだ。
だから、ラブホテルから出てきた二人は、
「本来の姿になっていて、それを知らない人は、もし、二人の性癖を知らずに待っていたとすれば、いつまでも出てこない」
と思うに違いないのだ。
何しろ、二人は、
「入った時と、正反対の、自分たちの本性をあらわして出てくるのだから、分かるはずがない」
ということになるのであった。
それを知ると、梶原探偵は、それ以降の捜査がぐっと焦点が定まっていき、事件の解決に近づいていくということであったのだ。
大団円
そのことが分かると、第一の被害者である原田佐和子が、
「男装女子」
であったということが分かった。
だから、最初は、桑原を、
「同性愛者だとは知らずに、付き合った」
ということであった。
あくまでも、お互いの性癖が逆だということで、どちらかというと、
「同性愛を通り越した愛情だ」
と思っていたのかも知れない。
しかし、それは、行き過ぎてしまったことで、桑原がついてこれなかったことからのすれ違いでの悲劇だったといってもいいかも知れない。
ただ、一度別れはしたが、佐和子は桑原を忘れることができなかったということで、何とかよりを戻そうということで、彼を探っていたところ、川口にぶち当たったということであった、
川口は、桑原にとっての、
「愛情の相手」
であった、
しかし、川口とすれば、
「パートナーでしかなかった」
ということである。
あくまでも、愛情など関係ないという関係を望んだ、川口としては、桑原は、
「自分のことをパートナーでしかない」
と感じていたのだった。
どうしてそう感じたのかというと、
「桑原が、耽美主義だ」
ということを感じたからだった。
「道徳的なことよりも、美を最優先に追求する」
ということで、
「そこに、愛情などは無用のはずだ」
と感じたからであろう。
それを感じた川口だったが、川口は、今度は、お互いの性癖を変えようと模索した。
それは、
「桑原を男にしたて、自分が女役をする」
ということで、美を思い出させようと考えたのだが、そもそも、考えた方違うので、それは失敗してしまった。
そこにもってきて、
「元かの」
といってもいい佐和子が現れた。
佐和子は、事情は分かっていたようなので、
「今なら引き戻させられる」
ということで、桑原を引き込もうとした。
しかし、それに気づいた川口は、
「そうはさせじということで、佐和子を探っていたところ、桑原が、異常行動に出たことが分かった」
というのだ。
そこで、
「佐和子を殺したのは、桑原だ」