もう一人が犯人
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年4月時点のものです。中には実在する架空の話について書いていますが、リスペクトだと思っていただければ幸いです。
父親との確執
今年は例年になく、年明けから雨が多い年である。冬の間、ほとんど雪が降ることもなく、その雪が雨になったのではないだろうか。確かに、雪はほとんど降らなかったが、それは、この地域が、そんなに雪の降らないところだというのも、その理由の人多雨だったのだ。
昨年の夏は、猛暑に襲われた。最高気温が35度以上というのは当たり前になっていて、最低気温が、30度を下回らないという日も何日もあった。
場所によっては、最高気温が40度超えというところもあり、
「全国でも、猛暑の土地」
ということで有名だった。
ただ、この土地はそこまでひどいところではない。確かに夏は暑いが、冬はそこまででもないというのは、ある意味ありがたかった。
「探偵業」
などという、怪しげな仕事をしている坂本は、本当は、夏よりも冬の方が楽だと自分で思っていた。
夏の暑さには、閉口するものがあり、昔に比べて今の時代は、その暑さのせいで、道を歩いていても、すぐに気が遠くなるほどであった。息切れが激しく、呼吸困難になると自分で思っていたが、それは、自分だけではなく、他の人も同様であり、そのことを分かってはいるつもりだが、最終的に、自分だけだと思うことを、
「夏に弱い」
という免罪符にしようという意識が、無意識の中にあるような感覚だったのだ。
「夏は、とにかく、汗が出て、その汗が身体にへばりついて、力が出ない」
ということから、、
「夏はたまらない」
と思っていたのだが、よく考えてみると、
「汗を掻く分、まだマシだ」
といえるだろう。
しかし、身体にまとわりついた汗が原因なのか、子供の頃から、よく夏風邪をひいていた。
親からも、
「汗を掻いたら、すぐに着替えなさい」
と言われていたが、そもそも、面倒くさがりで、ずぼらな坂本少年は、自分から着変えようとはしなかった。
子供も頃は、
「鬱陶しい」
と思ってはいても、ずぼらな性格が強いのか、少々気持ち悪くても、着かえることまではしなかった。
それが大人になってからの、
「暑さへのトラウマ」
ということになってしまうのだから、それこそ、皮肉なものだと言ってもいいのではないだろうか?
そんな坂本少年と、親は毛嫌いしていた。
「自分の子供だから、放っておくわけにもいかない」
というだけで、子供に説教していた。
子供心に親が考えていることが分かるので、
「誰があんな親のいうことなんか聞くもんか」
と反発してしまう。
子供も次第に大人になってくると、自分の性格というものが次第に分かってくるようになるが、
「俺と親とはここまで性格や考え方が違っているのか?」
と、
「親子であることが、本当なのか?」
と考えてしまうほどに、自分に対してか、親に対してなのか、歯車が合わないことに対して、苛立ちを考えるようになったのだった。
ただ、似ているところがないわけではない。
「どうしても譲れない」
というところは似ているのだが、性格的にまったく違っていることで、
「似ている」
と考えることが分かるだけに、その思いがどこか白々しさを感じさせる。
「すべてが皮肉に聞こえる」
ということになると、
「お互いに、妥協点が見つかるはずがない」
ということになるのだった。
それを考えると、逆に、
「自分の性格を自分で分かっていないと、大人になるにつれて、分からなくなってくる」
と感じた。
「何を分からなくなるのか?」
ということであるが、それが、
「自分が進むべき道なのか?」
それとも、
「父親との確執によって、嫌いな相手と同じ道を歩むことを懸念する」
ということなのか?
そのどちらでもあると思いながら、結局は、
「どうしても、父親の呪縛から逃れられない」
という後ろ向きの考えになってしまう自分が嫌であった。
その呪縛が、その時の、自分のすべてであり、呪縛があるからこそ、自分の生きる道も決まってくるということを感じながら、その思いを何とか否定したいと考えるが、そこにある結界を乗り越えられない自分が、恨めしく感じさせるのであった。
そんな自分と父親との間の性格的な共通点ということで、その一番が、
「勧善懲悪」
という考えだった。
厳格な父親らしいといえば、確かにそうで、他人が見れば、父親を、
「厳格な人間」
と考えてしまうのだが、それが、
「勧善懲悪」
という言葉で片付けられるのであった。
しかも、父親は、その勧善懲悪というものが、
「厳格な性格」
というところと結びついて、極端すぎるところがあった。
これは、
「生まれた時代が違う」
という言葉だけでは片付けられないと言ってもいいのだろうが、逆に、
「その考えがないと、生まれたことをいかに説明できるか?」
ということになると、常々考えた坂本少年だったが、そんなことを考えるのも、結局は、父親の性格からくるものだと思えてならなかったのだ。
特に、厳格と呼ばれるところは、子供が嫌悪を感じるところで、それを、どう説明していいのか分からないが、その内容は説明ができる。
ただ、それが、本当に子供に対しての教育だと思っているのか、それまで自分が思ってきた、
「生き方」
というものが間違っていたと感じたことで、子供にも、早めにそのことを分からせようという、一種の、
「押し付け」
というものになるのか?
ということであった。
「テレビは、ニュースしか見ない。しかも、それもNHKだけ」
あるいは、
「マンガのような低俗なものは見ない」
「新聞は毎日読む」
ということであった。
もちろん、当時、つまり、昭和時代であれば、そういう親も多かったことだろう。
しかし、それをどこまで子供に押し付けるかどうかというのは、一種の、
「親の教育方針」
ということで、それを、他人がとやかく言えることではない。
今のような、
「令和の時代」
ということであれば、一歩間違うと、
「児童虐待」
になってしまうということになる。
親が、子供に対して、
「教育」
と称して、いうことを聴かなければ、殴る蹴るの暴行を加えたり、
「食事を与えない」
などという苦痛を味合わせる。
「昭和の時代の大人が、自分の考えを押し付ける」
父親との確執
今年は例年になく、年明けから雨が多い年である。冬の間、ほとんど雪が降ることもなく、その雪が雨になったのではないだろうか。確かに、雪はほとんど降らなかったが、それは、この地域が、そんなに雪の降らないところだというのも、その理由の人多雨だったのだ。
昨年の夏は、猛暑に襲われた。最高気温が35度以上というのは当たり前になっていて、最低気温が、30度を下回らないという日も何日もあった。
場所によっては、最高気温が40度超えというところもあり、
「全国でも、猛暑の土地」
ということで有名だった。
ただ、この土地はそこまでひどいところではない。確かに夏は暑いが、冬はそこまででもないというのは、ある意味ありがたかった。
「探偵業」
などという、怪しげな仕事をしている坂本は、本当は、夏よりも冬の方が楽だと自分で思っていた。
夏の暑さには、閉口するものがあり、昔に比べて今の時代は、その暑さのせいで、道を歩いていても、すぐに気が遠くなるほどであった。息切れが激しく、呼吸困難になると自分で思っていたが、それは、自分だけではなく、他の人も同様であり、そのことを分かってはいるつもりだが、最終的に、自分だけだと思うことを、
「夏に弱い」
という免罪符にしようという意識が、無意識の中にあるような感覚だったのだ。
「夏は、とにかく、汗が出て、その汗が身体にへばりついて、力が出ない」
ということから、、
「夏はたまらない」
と思っていたのだが、よく考えてみると、
「汗を掻く分、まだマシだ」
といえるだろう。
しかし、身体にまとわりついた汗が原因なのか、子供の頃から、よく夏風邪をひいていた。
親からも、
「汗を掻いたら、すぐに着替えなさい」
と言われていたが、そもそも、面倒くさがりで、ずぼらな坂本少年は、自分から着変えようとはしなかった。
子供も頃は、
「鬱陶しい」
と思ってはいても、ずぼらな性格が強いのか、少々気持ち悪くても、着かえることまではしなかった。
それが大人になってからの、
「暑さへのトラウマ」
ということになってしまうのだから、それこそ、皮肉なものだと言ってもいいのではないだろうか?
そんな坂本少年と、親は毛嫌いしていた。
「自分の子供だから、放っておくわけにもいかない」
というだけで、子供に説教していた。
子供心に親が考えていることが分かるので、
「誰があんな親のいうことなんか聞くもんか」
と反発してしまう。
子供も次第に大人になってくると、自分の性格というものが次第に分かってくるようになるが、
「俺と親とはここまで性格や考え方が違っているのか?」
と、
「親子であることが、本当なのか?」
と考えてしまうほどに、自分に対してか、親に対してなのか、歯車が合わないことに対して、苛立ちを考えるようになったのだった。
ただ、似ているところがないわけではない。
「どうしても譲れない」
というところは似ているのだが、性格的にまったく違っていることで、
「似ている」
と考えることが分かるだけに、その思いがどこか白々しさを感じさせる。
「すべてが皮肉に聞こえる」
ということになると、
「お互いに、妥協点が見つかるはずがない」
ということになるのだった。
それを考えると、逆に、
「自分の性格を自分で分かっていないと、大人になるにつれて、分からなくなってくる」
と感じた。
「何を分からなくなるのか?」
ということであるが、それが、
「自分が進むべき道なのか?」
それとも、
「父親との確執によって、嫌いな相手と同じ道を歩むことを懸念する」
ということなのか?
そのどちらでもあると思いながら、結局は、
「どうしても、父親の呪縛から逃れられない」
という後ろ向きの考えになってしまう自分が嫌であった。
その呪縛が、その時の、自分のすべてであり、呪縛があるからこそ、自分の生きる道も決まってくるということを感じながら、その思いを何とか否定したいと考えるが、そこにある結界を乗り越えられない自分が、恨めしく感じさせるのであった。
そんな自分と父親との間の性格的な共通点ということで、その一番が、
「勧善懲悪」
という考えだった。
厳格な父親らしいといえば、確かにそうで、他人が見れば、父親を、
「厳格な人間」
と考えてしまうのだが、それが、
「勧善懲悪」
という言葉で片付けられるのであった。
しかも、父親は、その勧善懲悪というものが、
「厳格な性格」
というところと結びついて、極端すぎるところがあった。
これは、
「生まれた時代が違う」
という言葉だけでは片付けられないと言ってもいいのだろうが、逆に、
「その考えがないと、生まれたことをいかに説明できるか?」
ということになると、常々考えた坂本少年だったが、そんなことを考えるのも、結局は、父親の性格からくるものだと思えてならなかったのだ。
特に、厳格と呼ばれるところは、子供が嫌悪を感じるところで、それを、どう説明していいのか分からないが、その内容は説明ができる。
ただ、それが、本当に子供に対しての教育だと思っているのか、それまで自分が思ってきた、
「生き方」
というものが間違っていたと感じたことで、子供にも、早めにそのことを分からせようという、一種の、
「押し付け」
というものになるのか?
ということであった。
「テレビは、ニュースしか見ない。しかも、それもNHKだけ」
あるいは、
「マンガのような低俗なものは見ない」
「新聞は毎日読む」
ということであった。
もちろん、当時、つまり、昭和時代であれば、そういう親も多かったことだろう。
しかし、それをどこまで子供に押し付けるかどうかというのは、一種の、
「親の教育方針」
ということで、それを、他人がとやかく言えることではない。
今のような、
「令和の時代」
ということであれば、一歩間違うと、
「児童虐待」
になってしまうということになる。
親が、子供に対して、
「教育」
と称して、いうことを聴かなければ、殴る蹴るの暴行を加えたり、
「食事を与えない」
などという苦痛を味合わせる。
「昭和の時代の大人が、自分の考えを押し付ける」