悠々日和キャンピングカーの旅:⑭西日本の旅(山陰(前編))
■11/3(旅の2日目):岐阜県美濃市 ⇒ 福井県大野市(道の駅「九頭竜」)
【走ったルート】 道の駅「美濃にわか茶屋」からR156を走り、郡上八幡からはR472で、雪のない「めいほうスキー場」まで上り、昼食の後は温泉に漬かり、再び郡上八幡に戻った。再びR156を走り、白鳥(しろとり)から中部縦貫自動車道(無料区間)とR158で、岐阜県との福井県の県境を越え、九頭竜湖(くずりゅうこ)へ。JR九頭竜湖駅と同居している道の駅「九頭竜」で車中泊。【走行距離:139km】
【忘れられない出来事】 今日は二つあった。鮎を驚かせて獲る「瀬張網漁(せばりあみりょう)」なるものを知ったこと。それに、雪のない「めいほうスキー場」のゲレンデの秋の風景を見ながら、スキーを楽しんだ頃の思いに耽たこと。ここのロングクルージングのコースが好きだった。
【旅の内容】 道の駅「美濃にわか茶屋」の駐車場の深夜、そこに出入りするトラックのエンジン音やマフラー音の大きなクルマで時々、起こされてしまったが、それでも、まあまあ眠った気がする。起床した時は、自宅のベッドで使っている枕と同等な枕なのだが、若干違うためか、頭と肩が少し痛かった。そこまで繊細な私ではないはずなのだが・・・。
快眠したとは言えない眠りだったが、外は晴れていて、一瞬にして、爽快な気分になった。
山間の朝は冷え込み、空気が澄んでいた。パジャマの上にベンチコートを着て、道の駅の裏の長良川の岸まで行くと、広い景色が広がっていた。
「ジル」に戻ってから着替えて、湯を沸かしてインスタントコーヒーを作り、デジカメとそのコーヒーの入ったカップを持って、もう一度、長良川の方向に歩いて行った。
その時、コーヒーからの白い湯気が冷たい朝をほんの少しばかり暖めて・・・と思ったが、そんなことはなかった。
長良川の手前にあったのは「曽代用水(そだいようすい)」、その昔、干ばつに悩まされていた土地(現:関市)に、長良川の上流から取水した用水が灌漑に使用されたとのこと。
その用水と長良川の間の土手道から、上流にも下流にも橋が見えており、歩いて、くるっーと回ってくることにした。
上流側の新美濃橋を渡りながら、周囲の写真を撮っていると、道の駅の南西側の山の上に、山城らしい建物が見えた。橋を渡り終えて、コーヒーを飲み干し、田舎の真っただ中のような土手道を川下に向かって歩いた。
赤くて立派なつり橋の袂にたどり着き、そこにいた年老いた男性に声を掛け、色々と伺ったところ、この橋は「美濃橋」という日本に残る最古の近代つり橋で、重要文化財とのことだった。
さらに、山の上の城について尋ねると、それは展望台だと教えてくれた。
ついでに老人は、その山の下の川沿いに見える大きな和式灯台は川湊灯台(かわみなととうだい)ということまで、教えてくれた。あとで調べたところ、明治末期まで美濃町は上有知(こうずち)と呼ばれ、長良川畔に物資輸送の玄関口として、上有知湊として栄えた場所だったとのことだった。
そのつり橋を渡り、山と川に挟まれた道を灯台に向かって歩き進むと、意外にも、かなりの高さの灯台に驚き、その周辺には曽代用水も流れ、船着場までの石段や神社、そして石灯籠などが昔の名残をとどめていた。
その少し先まで進むと、下流側に何やら、川の中に仕掛けがあるようで、そこから道まで登ってきた男性に、その仕掛けについて訊いた。
それは「おどし」という仕掛けで、鮎が川を下らないように、杭を立てて、川幅一杯に網を張り、その上流に留まる産卵のために下る「落ち鮎」を投網で捕らえる「瀬張網漁(せばりあみりょう)」のためのものだった。
彼らとは、キャンピングカーの旅、道の駅での車中泊、子持ち鮎、その甘露煮、長良川の水量、等々の会話が30分ほど続き、楽しい時間を持つことができた。
「ジル」に戻り、卵焼きとウィンナーを挟んだホットサンドに牛乳の朝食を取り、道の駅から少し戻るが、美濃の古い町並みに向かった。そこは「うだつの上がる街並み」として有名だ。
広い駐車場があったが、入口の料金所の庇が低く、「ジル」の側面が接触してしまうため入れず。
多分、限りある駐車スペースに対し、大型車の入場を規制しているためなのだろうが、普通車の「ジル」もその対象になってしまうのが辛い。「ジル」は全長5m、幅2mのため、1台分のスペースにギリギリ駐車できるサイズなのだが・・・。
そういえば、駐車場料金精算システムは、クルマの大きさを自動検知して、駐車料金を請求するしくみになっているが、「ジル」は時々、バスなどの大型自動車の料金が請求される時がある。
その際は、機械に備わっている電話で係の人に連絡して、普通車の駐車料金に変更してもらったことがあった。それは「キャンピングカーあるある」のひとつなのだろう。
他の駐車場を探して、「ジル」を停めた。そこには「協力金100円」と書かれていた。嬉しい金額だ。
「うだつの上がる街並み」の散策を始めたところ、まだ朝早い時間のためか、車の往来は少なく、観光客も少なかった。この街並みのいい感じの写真を撮ることができた。
これまでの「キャンピングカーの旅」では、古い町並みのそぞろ歩きが気に入っていて、幾つも歩いてきた。ここは、それに「うだつ」がプラスされているので、喜びが増大だ。
町並みの中の銀行も古い佇まいになっており、そういった条例があるのかもしれないが、その姿勢が気に入った。
古い町並みをぐるっと回った最後に、観光案内所番屋に入った。
同年輩の女性スタッフに、「うだつ」についての詳しい話を聞いたり、今朝の長良川沿いの散策のことや「キャンピングカーの旅」の話をしたり、そのようなちょっとした会話が楽しかった。最後に、何もない美濃に来てくれてありがとうと感謝された。ご謙遜を!
この「うだつの上がる街並み」について、先ほどの女性スタッフから聞いた内容やネットで調べた内容を紹介する。
国の伝統的建造物群保存地区に選定された「うだつの町並み」の「うだつ」とは、屋根の両端を一段高くして火災の類焼を防ぐために造られた防火壁のこと。裕福な家しか「うだつ」を造ることができなかったため、庶民の願望から「うだつを上げる・うだつが上がらない」の言葉もできたとのことだった。
女性スタッフに勧められたのは、かつて「小倉山城(おぐらやまじょう)」があった城址公園の「小倉公園」の展望台で、少し登るが、行ってみることにした。
登山ではないが、かなりの段数の階段が続く先の山頂の展望台にたどり着いた。これは今朝、長良川の土手道から見えた山城のように見えた建物だった。
そこからの展望は、長良川の上流と下流、そして眼下には「落ち鮎」を捕らえる瀬張網漁の仕掛けまでも見えたが、「うだつの上がる街並み」は小倉山の木々で見えなかった。
この「小倉山城」は、飛騨高山藩主であった金森長近の晩年の隠居のために築城された隠居城とのことで、今で言う、セカンドライフに入り、別荘を建てての移住なのだろう。とは言え、物流などの要衝の地を押さえた場所で睨みを利かせ、藩を支えていたのだろう。
小倉公園を後に、長良川を遡上するかのように、R156の北上を始めた。