対となる能力
「はい、そうです。そして、それは、この境内だけではなく、先ほどの喫茶店でも、同じ感覚がしました。それは、今喫茶店に対して感じていることで、あの中で感じていたことが、まるで夢を見ていたと思えるんですよ。それは、過去のことのようなんですが、実際には。目が覚めて、夢というものを忘れていくというそんな感覚なんですね」
と山本は言った。
山本も、
「理解できない」
とは思っているが、
「ひょっとして、理解できないと思っていることでも、いずれは理解できるはずだと思うと、それはすでに、未来ではないと思えることなのではないか?」
と感じたのであった。
老人はそれを分かっているのか、
「そう、あの喫茶店では、夢を見させることができる場所であり、この境内に来ると、今度は、時間を自在に扱える感覚になるんだよ。そうなると、同じ時間であっても、長さが違っている。その感覚は、自分だけでは感じることができるものでなく、必ず誰かの存在を必要としているんだよ。今回は、それが、君であり、今までに、私はたくさんの人を言い方は悪いが、利用してきた。そのおかげで、私はいろいろな時間に関する能力を持つことができたのだが、それは、その時に一つだけ。いや、相手によって一つだけだという制限があった。そして、その能力は、期限があってないようなもので、能力の限界に達すれば、自然消滅する。だから、覚えていないということになるのさ」
と言った。
「じゃあ、その能力を持った人というのは、あなただけではないということになるんですか?」
と、山本がいうので、
「その通り。皆が、夢を見たと思っていても、目が覚めれば忘れていたということが、往々にしてあったりするだろう? それと同じことなのさ。そして、夢というものに対して、皆いろいろな発想を持っている。もちろん、一人一人微妙に違っているということで、夢への感覚というのは、人の数ほどあると言ってもいいといえるのではないだろうか? しかし、実際には、そんなことはない。夢の感覚というのは、結局は一つしかないのさ。世の中で、真実は一つとよく言われるだろう。それを聴いた時、何か違和感のようなものを感じることはなかったかい?」
と老人がいうので。
「ああ、確かにその通りですね。事実は確かに一つかも知れないけど、真実が一つとは限らないと私は思っていました」
と、ここぞとばかりに山本は言った。
この考えは、山本独自だと思っていた。実際には、
「これほど当たり前のことはない」
といえるのだが、
「じゃあ、皆、口にすることなのか?」
ということであり、この話題になると、避けようとする人の方が多い気がした。
それは、
「事実と真実は違うものだ」
ということは感覚的に分かっているが、
「では理論的に説明できるか?」
と言われると、簡単にできるものではない。
それは、
「自分だけのことではないだろう」
と思っていた。
しかし、考え方に相違あるわけではないので、むしろ、答えが出ないということを考えると、
「果てしない会話であっても、続けたい」
と感じることであった。
「夢と現実」
というのは、表裏一体と言ってもいい。
それを考えた時、
「真実と事実というのも、表裏一体ではないか?」
と考えられる気がした。
だから、老人が言いたいことも分かる気がした。
その表裏一体の中には、まるで。
「大どんでん返し」
のような、
「お互いに見ることのできない、まるで、交わることのない平行線と言ってもいい関係ではないか?」
と感じた。
「昼と夜」
などのように、それぞれ相手を見ることはできないが、それぞれが対であることで、一つの世界を形成している。
それが、
「タイム何とか」
というものの中でいうところの、
「パラレルワールド」
なのかも知れないと感じるのであった。
この老人は、別に、
「国家の寿命が分かる」
ということを言いたかったわけではない。
特殊能力を、境内と喫茶店で持つことができるのは、それが、お互いに、表裏の関係ということで、本来であれば見ることができないのだが、それを見れるという、
「老人そのもの」
という人と、もう一人が、山本という人間、まさにその人なのだ。
そして、それは、老人が特殊能力を発揮できるための、
「一つの道具でしかない」
ということになるのだろう。
本来なら、
「プライドが許さない」
と思えることなのかも知れないが、果たして、それだけのことなのであろうか?
というのも、もう一人の対ということで、マスターの存在を知ったのだが、それによって、今度は、マスターと自分が、同じ関係にならないとも限らない。
すると、
「もう一つのパラレルワールドが広がってくるのではないか?」
と思い、その時のエネルギーが、
「自分が今まで見た中の夢に含まれているのか?」
それとも、
「これから見る夢の中にあるというのか?」
それが問題ではないかと思うのだった。
そして、そのことを、
「マスターも予感している」
と感じられる。
そして、そこに、
「夢」
というものが介在しているのだと思うと、
「夢というものが、大き家影響をもたらすのではないか?」
と考えるのであった。
それを思えば、今まで、
「夢というのは、たまにしか見ることのできないものだ」
と思っていたが、実際にはそうではなく。
「実際には、夢をいうものは、毎日見ているものであって、ただ覚えていないだけではないか?」
と感じるようになった。
どうして、それをハッキリ意識できなかったのかというと、
「夢を見た時は、必ず、夢を見たという意識があるからだ」
ということであった。
「夢を覚えている時と覚えていない時がある」
というだけの違いだと思っていたが、それが大きな間違いで、
「夢を見たという意識すらない夢だってある」
ということを考えると、
「睡眠のメカニズム」
というものが、どれほどのものかと思えてならかなったのだ。
そして、山本は、
「これから、マスターと自分の間で、夢の共有のようなことが行われるのではないだろうか?」
と考えるのであった。
( 完 )
64