新設「歴史における真実」
「信長が、言われているような、極悪非道な人間であった」
と考えると、
「人間というのは、策士であればあるほど、自分がやることは想像がついても、自分が遣られることを考えたりはしない」
ということであり、
「極悪非道な人間であればあるほど、その傾向は強いのかも知れない」
という思いと、、逆に、
「極悪非道に徹することができなかったことで、歴史上、天下人たりえなかった」
ということを史実として残すことになるのだ。
と考えれば、
「信長という男は、結局、そこまでの男だったのではないだろうか?」
という発想も生まれてくる。
これは、
「本能寺の変」
という、
「最後の瞬間」
から時代をさかのぼることで、
「信長という人間が、言われているような人間なのかどうか?」
ということを考えさせるためのものだといえるのではないだろうか?
そう考えると、
「黒幕説」
という考えが、
「どんどん消えていくような気がして仕方がない」
といえるのではないだろうおか?
大団円
これはあくまでも、
「三英傑」
というものを、三すくみで考えた場合である。
しかし、この三すくみを、
「一つの一角ではないか?」
と考えたとすれば、あとの二つが、ないとも限らない。
その一つが、ここでは、さしずめ、
「明智光秀ではないか?」
ともいえるだろう。
少なくとも、
「織田信長を討った時点で、三日天下とは言われながらも、天下人だった」
ということに変わりはない。
あまりにも短かったことと、
「誰も味方がおらずに、あっけなく秀吉に討たれた」
ということで、歴史上の、
「天下人として、出てきていないのだから、そもそもの歴史」
というものに、
「裏表がある」
といってもいいだろう。
そこで、三すくみの一角を
「明智光秀だ」
ということにすれば、ここも、
「三英傑」
のように、
「仲間がいたのではないか?」
ともいえるが、今のところ、その影はない。
三英傑に対しては、光秀は、歴史の表舞台では、
「分が悪い」
といえるだろう。
そうなると、もう一方の一角には、
「光秀には弱いが、三英傑には強い」
という集団があったとしても、歴史の裏表であれば、ありえないことではないといえるであろう。
これも、今のところ、表舞台では出てきてはいない。
ただ、これが、
「朝廷」
であったり、
「足利幕府」
というような、団体だと考えると、黒幕説というものが出てきたのも、ある意味、
「無理もないことではないだろうか?」
といえるかも知れない。
黒幕として出てきたものが、この三すくみの中で考えられないものとしては、
「長曾我部元親」
ということになるが、
「元親が、この三すくみに刺激を与えることで、三すくみが動いた」
ということで、
「本能寺の変が起こった」
と考えると、
「黒幕は、長宗我部元親ではないか?」
とも考えられる。
ただ、これは、一般的に言われる、
「後ろで糸を引いている黒幕」
というものではない。
それよりも、
「乱のきっかけとなった」
という意味での発想でしかない。
元々は、この黒幕説というのも、元々は、
「きっかけを作った人物」
というところから始まっていて、それを、
「面白おかしく歴史を解釈する」
ということで、
「黒幕説」
なる形になったのではないかと考えると、
「歴史における、いろいろな事件も、その裏に何が潜んでいるか分からない」
といえるだろう。
それでも、
「歴史の真実」
ということで、一本の線としてうまくつながっているのだから、その発想は、一本の歴史としては、間違っておらず、だからこそ、
「歴史が答えを出してくれる」
という発想が生まれるのだろう。
だが、
「歴史にパラレルワールド」
というものがあり、それが、
「裏表」
というものであれば、SF的に言われている、
「パラレルワールド」
というのは、
「裏表という二種類しかないのではないか?」
ということになるだろう。
ただ、これは、
「歴史ということであり、その裏表というものを、勝手な理解が許される」
ということになるのであれば、
「未来と過去」
ということになるだろう。
その間にある現在というものは、
「裏でも表でもなく、歴史をコントロールするために必要なものとしての真実」
ということになるのだろう。
「真実は一つ」
とよく言われるが、
「一つというものが、あるとすれば、それは事実しかない」
という考えがあり、その事実というのは、
「少なくとも、真実すべてではない」
という考えに基づいているとすれば、確かに、
「真実は一つとは限らない」
といえるだろう。
しかし、それは、
「現在や未来においてだけのことで、変えることのできない、起こってしまった過去」
というものの真実は、
「一つしかない」
ということになるだろう。
つまり、
「本能寺の変」
という、事件で考えた時、
「過去になった時点で、すべてのことは、結果という意味での一つの真実が、事実として残っていることになる」
ということである。
そして、
「その真実の積み重ねが、過去からつながっている歴史だ」
ということになれば、
「歴史には、真実以外のものはない」
ということになるのではないだろうか?
それを考えると、言われていることすべてを、
「真実だ」
とできない改ざんが、その時代の支配者によって行われているのだとすれば、今目の前にある歴史自体、
「どこまで信じていいのか分からない」
ということになる。
それが、歴史というものを、
「無限ならしめる」
ということになるという考えは、裏表の歴史において、唯一の共通の発想ではないのだろうか?
( 完 )
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作品名:新設「歴史における真実」 作家名:森本晃次