死刑囚の視点(④長谷川真人)
僕は救いを求めるように視線を、牧野弁護士の方に移す。彼は僕の目を見て、頷いた。裁判官の言葉に、僕は頷く。
「しかし、この裁判が始まってから、あなたは一転して『反省している』『生きて罪を償いたい』と主張しています。
控訴審になって、そのようにあなたの考えが変わった理由を教えてもらえますか?」
なぜか分からないけれど、僕は、その若い裁判官の目線や、話し方や、表情に、僕に対する悪意のようなものを感じた。
僕は再び、牧野弁護士の方を見る。しかし、今度は、彼はこちらを振り返ってくれない。打ち合わせの時に僕は、彼から「最後まで、自分の口で、自分の気持ちを語ってください」と言われていた。
「僕は……」
その時、震えが胃から喉元までのぼってきた。発狂する、と僕は頭の片隅で思った。ズボンを掴む指が、小刻みに震えだす。「被告人」うつむきかけた僕の頭に、質問した裁判官の声が冷たく響く。
「本当に、心の底から反省していると、あなたは胸を張って言えますか?」
僕は頭上から振ってくるフタの重みに、もう耐えられなくなってきた。「死刑になりたくないから、あなたは反省しているフリをしているんじゃないですか?」震えが全身に、広がっていく。発狂のタネみたいなものが、もう喉のすぐ近くまでのぼってきていて、僕はもう、限界だった。
「ふざけるな!」
叫んだのは、僕じゃなかった。ハッと顔を上げると、牧野弁護士が椅子から立ち上がっていた。そのまま裁判官の元へ向かう足取りはゆったりとしていたが、まさか弁護士が、裁判官に詰め寄るとは思わなかったのだろう、控えていた刑務官が慌てて引き留めようとした時、彼の指はもう、裁判官が使っている机の端にかかっていた。
「裁判官!」
「弁護人!やめなさい」
注意を与える裁判長の声が上ずる。
「裁判官!あなたに……!」
刑務官3人がかりで牧野弁護士は抑えられ、怯えたように立ち上がった裁判官の法服に伸ばした指も掴まれ、引きはがされる。記録を取っていた書記官が、彼らの後ろでただオロオロとしている。
「あなたに、彼の何が分かるって言うんですか!?」
裁判長が木槌を強く打ち鳴らし、僕を拘束するために刑務官が何人も法廷になだれ込んでくる。僕は全身の力を抜き、手錠を掛けようとする刑務官たちの指示に素直に従った。「あなたに何が分かるって言うんだ!?」まるで逮捕され連行されていく犯罪者のように、刑務官たちの手で手足や胴を押さえつけられながら、それでも叫んでいる牧野弁護士の姿を見て、僕は思わずちょっと、笑ってしまった。
だから、駄目なんだよ。
あなたは、やっぱり死神だ。
※
※
※
「やっぱり僕は、悪魔の子だったんです」
僕は教誨室で、金井先生が出してくれたお茶の水面をじっと、見つめている。僕は高裁と、最高裁でも敗訴して、死刑が確定すると教誨を受けるようになった。教誨室で、教誨師の先生たちが出してくれるお茶やお菓子を、初めのうちは断っていた。こんな僕にもらう資格はないと思っていた。
でも、最近になって、ありがたく頂くことにした。せっかく先生たちが、僕のために持ってきてくれたものだから。
「僕のことを『呪われている』と言った先生は、そう……金井先生と、同じ格好をしていました」
そう言って僕は、黒いローマンカラーにロザリオをさげた金井先生の方を見る。金井先生は唇にぎゅっと力を入れた表情のまま、首を横に振る。
「我々の宗教に、透視で『悪魔の子』を見極めるような教えはありません」
「それじゃあ……」
あの先生の存在は一体、何だったんでしょう?僕の問いに、金井先生の眉のお尻が下がり、とても悲しそうな表情になる。僕はこのずんぐりとして、人の好さそうな顔をした先生を初めて見た時、ちょっと失礼だけど、性格のいい大型犬みたいだな、と思った。「なんと言ったら、良いんでしょうか……」金井先生の表情が歪んで、笑っているような、泣いているような表情になる。
「その先生は、キリスト教の教会に忍び込んだマガイモノ、とでも言いましょうか……とにかくその先生に、お母さまが心酔してしまわれたことが、何よりの不幸だったと、言いましょうか……」
机に落とされた金井先生の視線が、ゆらゆらと不規則に揺れる。
「牧野先生が、再審請求の手続きをしてくれているんですよ」
僕は話題を変える。嫌だった。
「もう無理だよって、何度も言ってるんですけどね」
自分のせいで、誰かを苦しめるのはもう嫌だった。
「でもあの人、また『新証拠が出たんだ!』って言いだして、僕がいくら言っても諦めないんですよねえ」
そう言って僕が笑うと、金井先生も額の汗を拭いながら弱い笑みを浮かべた。僕は残り時間を確かめるために、後ろの壁にかけられた時計を振り返る。僕の視界に入らないように立っていた網谷先生の無表情が目に入った。
ヒトは悲しみでいっぱいになると、無表情になる。僕は姉ちゃんから、そのことを学んだ。実際に法廷で僕もそうなったから、分かる。でも、第一審で殺めてしまった3人のことを「ハエのようなもの」と語った僕の心象はサイアクで、そういう心象は、結局、裁判が控訴審や、上告審にすすんでも、ほとんど変わらなかったみたいだ。
風の噂によると、拘置所には僕宛ての手紙が大量に届いているみたいで、そのほとんどは検閲に引っかかって僕の手元には届いていないけれど、おそらく、僕について「早く執行しろ!」とか「死んじまえ!」とかいう内容が書きなぐられているのだろう。
網谷先生のほとんど感情の動かない瞳から、僕は再び視線を前に戻す。これまでに何人も僕みたいな死刑囚を見送ってきたのだろう、この刑務官の先生も、ホントは苦しんでいるのだろうか?
「僕、最近悩みがあるんです」
僕が切り出すと、金井先生は笑顔を引っ込めて頷く。この先生も、もう何人もの死刑囚と面会を繰り返して、その最期を見届けてきたんだろう。教誨師の先生たちは、刑務官でもないのに、希望した死刑囚の刑の執行にまで立ち会わなければならないらしい。しかも、無償で。信じられない。お金にもならないし、死刑囚にすがられて心を病んで、壊れてしまう教誨師の先生もたくさんいるらしい。
僕は、もう無理だけど、もしも、仮に、3人も殺すような事件を起こしていなかったら……僕は、金井先生のような、教誨師をやってみたかった。
「僕のような殺人事件を起こした人たちの手記を読んでいると、その人たちはよく、自分が殺めてしまった被害者の夢を見るみたいなんです」
またある受刑者は、自分が殺してしまったヒトが、夜な夜な枕もとに立っていて、自分のことをじっと見ているって言うんです。
「でも、僕には一度も、そういう経験がないんです」
姉ちゃんは、僕の前にも、夢の中にも、一度も現れなかった。僕を育ててくれたお父さんと、お母さんも。
僕の悩みというのは、死の恐怖じゃないんです。
死刑が確定してからもうすぐ7年が経とうとしています。もういつ刑は執行されてもおかしくなくて、その日が来るのをじっと待つ日々は、確かに怖くて、苦しいのだけれど。
作品名:死刑囚の視点(④長谷川真人) 作家名:moshiro