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死刑囚の視点(④長谷川真人)

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「引きこもりで一生童貞のアンタなんか、ど~せ生きてる価値なんて無いんだからさあ」
姉ちゃんの指が、あざ笑うように、僕の頬を、ピタピタと触る。
「てか、死ねよ。もう!死ね!死ね……!」
 姉ちゃんの声が途切れる。気が付くと、目を見開いた姉ちゃんの顔が、僕のすぐ下にあった。
「ふざけん、なよ……」
 僕の両手のひらは熱く、姉ちゃんの細い首を締め上げていた。必要な酸素を失い、姉ちゃんの顔は赤を通り越して、紫色に変わっていく。必死に抵抗しようとばたつかせる姉ちゃんの足を、僕は膝で踏みつけて抑え、さらに強く首を締め上げていく。
「この、変態女が……!」
 姉ちゃんの唇から泡立った唾が溢れ、潤んだ瞳に懇願するような光が宿っても、僕は、手の力を一切緩めようとはしなかった。「お前こそ、死ね!」ダイスケの声……いや、違う。これは僕の声だ。紛れもなく、これは僕の声だ。
 僕は「悪魔の子」だった。僕の腕に食い込んだ姉ちゃんの爪の力が緩む。僕は、自分が「悪魔の子」であったことを思い出した。うすく見開かれた姉ちゃんの瞳から光が失せ、もう抵抗する力が無くなったことに気づくと、僕はハッとして、姉ちゃんの首を絞め続けていた指を離し、シャツの上からでも分かる胸のふくらみに移した。
 なんの、感動も無かった。僕の右手のひらに収まったふくらみは、少し柔らかめのゴムボールみたいで、僕はなんの感動も、欲情も感じなかった。視線を下ろしていくと、姉ちゃんの白い太ももと太ももの間の布団がびっしょり濡れていた。僕に首を締められている時、姉ちゃんは恐怖で失禁したのかもしれない。
裾が乱れたスカート。そこから伸びる、はっとするほどに白い、太もも。しかし、僕の中に、それ以上突き進みたいという欲望は、もう沸いてこなかった。

 そんなことよりも僕は、気づいた。
僕には、もっとやるべきことがあった。

 1階のリビングに降りると、お母さんがソファに座ってテレビを見ていた。後ろの食卓には、お母さんたちが食べ残した夕飯の残り物がそのままになって置かれている。
 傍の壁には、ゴルフクラブが立てかけられている。僕がまだ殴られていた頃と、少しも変わっていない。お母さんは夜9時から始まった刑事ドラマを眺めながら、食後のお茶を呑んでいる。
 僕は、壁に立てかけてあったゴルフクラブを手に取る。
「もう出たの?お父さん……」
 お母さんは、お父さんが風呂から出てきたのと勘違いしたらしい。握り方がよく分からないので僕はゴルフクラブのグリップを、右手と左手の指を離した状態で握りしめ、こちらを振り返ったお母さんのふやけた顔面を思い切り殴打した。テレビの方から銃声がして、主人公の刑事が構えた銃口から煙があがっている。お母さんの上半身は狙撃でもされたようにものすごいスピードで吹っ飛び、すぐそばのカーテンにこびりついたお母さんの体液は、なぜか茶色だった。
「お、とうさん……」
「僕だよ!」
 真人だよ!僕は自分の名前を叫びながら、悶え苦しむお母さんの顔や体に何度も、固いゴルフクラブの先端を深く、強くめり込ませた。

 恐れていたんだろう?

 風呂場に現れた僕と鉢合わせると、お父さんの表情が歪む。首と腕を掴んで強引に風呂場に突き返そうとする僕の力に、歳はもう60代に差し掛かったお父さんは、抗うことが出来なかった。
 怖かったんだろう?僕に、復讐されるのが……。白髪が交じり薄くなったお父さんの頭を鷲掴みにし、浴槽に張ったお湯の中に突っ込む。僕はてのひらに、今までにない力がみなぎっているのを感じた。僕に復讐されるのが怖いから、アンタらは、途中から僕を殴らなくなったんだろ?
怖いから、僕の部屋に鍵をかけ、遠くから僕を、気味が悪そうに見つめていたんだろ?

 卑怯だ!
卑怯!卑怯!
 
無抵抗の息子を殴るような悪人の、風上にも置けない。
卑怯で、チンケな悪党だよ、お前らは……!

 お父さんの腕が、浴室のタイルの上にだらんと落ち、ようやく静寂が訪れた時、僕は、下腹部から突き上げてくるような、初めての快感を覚えた。





 10分間の休廷を挟んで、被告人質問が始まる。
「被告人、あなたは……」
 資料を手に、牧野弁護士が立ち上がる。この人は頼まれもしないのに、僕が起こした事件を聞きつけて自ら弁護を買って出た、おせっかいな弁護士だった。
「今回の事件で、あなたは自分を育てた両親と、腹違いの姉を亡くす結果を招いてしまいましたが……」
 法廷に響き渡る牧野弁護士の声を、証言台に立った僕は、首を垂れたままじっと聞いている。
「あなたが犯した罪について、あなた自身の言葉で、今の率直な気持ちをお聞かせください」
 牧野弁護士が席に座り、ようやく僕の番が回ってくる。ようやく、だ。今の僕は、お預けをされた小型犬のようだ。餌を目の前にして、もう尻尾を千切れんばかりに振り回したいような気分だった。
「率直に言うと……」
 僕は顔を上げ、前に並んだ9人の裁判官の顔を一つ一つ、この目にしかと刻み付けるように、順番に見つめていく。
「ハエを叩き潰したような気分です」
 法廷がざわつく。眉をひそめ、或いは、顔を歪めている裁判官や、傍聴者たちのために、僕は耳の横で人差し指を小さく回しながら「こう、耳の周りをぶんぶん飛ぶ、あのハエのことです」と補足してあげた。
「僕にとってあの家族は、うるさい三匹のハエのようなものでした」
 こみ上げる吐き気をこらえるように、牧野弁護士の表情が歪む。この弁護士は初めて拘置所に現れた時、僕を「必ず救う」と言った。こっちは頼んでもいないのに「あなたを死刑にはさせない!」とも言っていた。しかし、拘置所で流れている噂によると、彼が担当した犯罪者は、これまでにもう3人も死刑判決を受けているらしい。

 死神じゃん、と僕は思った。
僕と同じだ、とも思った。
僕は、悪魔の子、だった。

「僕が罪を犯したことは認めます」
 そこで一度、僕は言葉を切る。マイクを通して聞こえてくる声は、がさがさとしていて、何だか自分の声ではないみたいだった。
「ただ、その、さばかれる法律に、不満があるというか……」
「と、言うと?」
 中央に座った年配の裁判長が、椅子から身を乗り出して僕に問う。
「法律が違うんじゃないかと、思うんです。その、どうぶつ……なんでしたっけ?」
 僕は言おうとした法律の名前を忘れてしまい、弁護人席で広い額を抱えている牧野弁護士に助けを求める。彼は最初、僕の視線に気づかないフリをしていたが、僕がいつまでも見つめていると、やがて諦めたようにその法律の名前を述べた。
「動物愛護法」
「あ、それです」
 また法廷がざわつく。
「僕が殺したのは人間じゃなくて、ハエなんですから。僕はその、どうぶつあいごほう、で裁かれるべきだと思うんです、裁判長」
 法廷の中に、僕に対する憎悪が、毒ガスのようにぷくぷくと溜まっていくのが分かった。
天井から降り注ぐ眩い光を浴びながら、僕は笑った。傍聴席の動揺を収めるために、裁判長が木槌を強く、何度も打ち鳴らす。
僕は満足だった。

 
 判決を言い渡す。
 主文 被告人を、死刑に処す。





「控訴はしませんよ」