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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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乖離する吾

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何かに喰はれるやうにと毎日望まぬ日はなかったのです。
それが到頭やってきたのです。
こんなに嬉しいことはないではありませんか。
私はそのものがむくりと頭を擡げたのを見た刹那、
途轍もなく嬉しかったのかも知れません。
漸く私が待ち望んでゐた存在が私の目の前に現はれたのです。
私は一瞬怯んで逃げようとしたのかも知れませんが、
それは思ひ留まり、
私は喜び勇んでそのものの方へと駆け出したのかも知れません。
その時の行動を残念ながらはっきりと覚えていないのです。
唯、私は恍惚の中、ゆっくりと薄れゆく意識の中で、
死ぬことができたのです。
これ程幸せなことはないでせう。
さう、私は此の世で最も幸福な存在だったのかも知れません。
喰はれることがこんなに嬉しいこととは思ひもしませんでしたが、
私はしかし、その事を薄薄気が付いてゐて、
そのものが出現するのを今か今かと待ってゐたのでせう。
私は本懐を遂げたのです。


独断的なる五蘊場試論 その一

命題
表象は存在の現実との軋轢が五蘊場に現はれたものである。

証明
ゆらりと揺らぐ表象世界に巨大な波が存在するのは自明であると看做す。
その波の発動は、然し乍ら、外部世界、つまり、現実世界との軋轢により齎されるものである。
それは、而して五蘊場が自己組織化してゐる場として看做してゐるがためである。
そもそも五蘊とは色・受・相・行・識といふ仏教用語であるが、
吾、物質的存在たる色をも含めての脳と言ふ構造をした頭蓋内の漆黒の闇を五蘊場と名付けし。
それは脳がそもそも物質的なる存在故のことである。
五蘊場なる考へ方は物理学的な場の理論からの要請であるが、
当然此処には統計神経力学、神経場理論、そして自己組織理論をも射程に入れた独断論的な言葉の強要が存在する。
それでも尚、五蘊場と言ふ言葉が有効であるとする根拠は、
統計神経力学、神経場理論、そして自己組織理論から食み出るものが厳然と存在するからである。
例えばそれは、心と言ふ呼び名で呼ばれてゐるものであるが、
それは魂と言ひ換へてもまた間違ひないのである。
そして、五蘊場は、心の数理論化をも射程に入れてゐて、
仮令、心が数理論化されようが心を現存在は制御出来ないからである。
また、人工知能が心を持たうが、その心は現存在の心の後追ひでしかなく、
絶えず最先端を行くのは現存在の心、つまり、心の発現場である五蘊場なのである。

さうして存在はいづれも内部を持ってゐる。
故に内部と外部の軋轢は避けようもなく、
その軋轢が内部においては刺激となり、
それが電気信号へと変換され、
刺激として五蘊場に齎される。
その信号が五蘊場の何かを刺激して内部のみで完結する内部世界が創られて、
それが外部世界、つまり、現実世界と衝突し始める。
さうして初めて現存在は外部のなんたるかを認識し始めるその端緒となるのである。
その時内部世界、つまり、表象は大いに揺さぶられ、
表象において世界認識の矯正を強要される。

故に表象は現存在の現実との軋轢の五蘊場での現はれである。
そして、現存在を抽象化、つまり、普遍化を無理矢理行ひそれを存在に言ひ換えると命題の証明となる。
故に表象は存在の現実との軋轢が五蘊場に現はれたものである。


位置

珈琲を淹れながらもおれは絶えず空の重さを感じながら、
双肩にのし掛かるそのずしりと重い圧力に押し潰される恐怖にたじろぐおれを宥めるやうにして
おれはおれの位置に屹立する。

ところが、己の位置から食み出す瞬間といふものはあるもので、
淹れ立ての珈琲を畳に座って啜りながらも空の圧力で
おれはおれから圧し出され、
元に戻らうとするのであるが、如何せん、それが空の仕業であることから、
おれはおれの位置を見失ひ、
さうしてひっくり返るのだ。
そのとばっちりで机上に零れてしまった珈琲がぽたぽたと机の端から畳に落ち行くその雫を凝視しながら
然し乍ら畳の上に倒れたおれは意識闡明して、
つまり、気絶することで意識を失ふことはなかったのであるが、
しかし、金縛りにでもかかったのか、
ぴくりとも動くことは出来なかったのである。
皮肉なことにそれがおれの正しき位置なのかもしれず、
つまりは空が許したおれの位置なのだ。

だが、おれはおれの自立的なる位置に戻らなければ
空に一生服従することでしかおれの位置を確保することは無理で、
おれの自由なんぞは夢のまた夢でしかない。

おれの位置に、つまり、おれが珈琲を啜りながら座ってゐた畳の上に
再び座ることでしかおれの位置は確保出来ぬのだが、
其処が果たしておれの本当の位置かどうかはどうでもいいことなのだ。
唯、おれは空の圧力に屈する不甲斐なさに抗ふべく、
おれは全く動けぬも藻掻き足掻くのだ。

何故におれはその時全く動けなかったのだらう。

おれの位置から食み出たおれは、
多分におれが望んでゐたことなのかも知れず、
それを空の所為にしているだけなのかも知れなかったが、
だが、空の圧力は本物だったのだ。

さて、畳にひっくり返ったおれは、
だだただ考へることのみをしてゐた。
最後は内的自由のみがおれに許された砦なのだ。
其処におれの位置を見出したかったのか、
おれは只管に考ることに徹してゐたが、
内的自由なんぞは気休めにしかならず、
やはりおれはまた畳の上に
座らなければならぬのだ。

この呪縛から放たれる端緒は何処にあるのか。

気が付けぱおれはひっくり返ったままに眠ってゐた。
それが皮肉なことにおれの最大の抵抗の姿勢だったのだ。
動けぬならば、寝ちまえとばかりに大を掻きながらおれは眠ってゐた筈だ。
ざまあ、とばかりに空に対して大鼾を放ちながら、
空にとっては耳障りな轟音を放ったのだ。

その時、天籟が聞こえておれは目が覚めた。
さうしてやがて嵐が来るに違ひなかったが、
やはりおれはまだひっくり返ったままなのだ。

おれの位置から食み出たおれは、
最期までおれの位置には戻れぬかも知れぬが、
それもままよとばかりにおれは今あるおれの状況を肯定したのである。
すると何の事はない、おれはすんなり動けて、
また、畳の上に座ることが出来たのだ。
一体何だったのだらうか。
おれはまた此の世におれの位置を見出し、
自由に動ける開放感を味はひ尽くす。
此の世で自由に動けることは付与のものではなく、
おれがおれの位置にゐることのみで可能な、
つまり、空の圧力に屈しないだけの強靱な肉体を持つもののみに許された
後天的なる潜在力なのだ。

おれにはおれの位置がある。
而して、それは双肩で空の重さを担ひながら、
おれがぐしゃりと潰れぬ限りにおいてのおれの位置なのだ。

それになんの偶然が存在すると言ふのか。
おれが此の世に存在するといふことは偶然ではなく、
必然として此の世が選んだ位置がおれの居場所なのだ。
其処から食み出る時もままあるが、
哀しい哉、それも余興と愉しむ外ないのだ。

がらんどうの胸奥は

生きることで精一杯な日常においても
それはおれの空虚ながらんどうの胸奥に棲み着き、
の如くに棘だらけのそれは
いっつもおれの胸奥を突っついてはおれを鼓舞するのだ。
作品名:乖離する吾 作家名:積 緋露雪