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死刑囚の視点(③江藤麗)

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 絶対に私が生まれ変われますようにって。網谷さんは相変わらず腕を身体の後ろに組んで黙っている。金井先生も困ったように目を瞬いている。皆川さんは口元を指で抑え、私を見つめていた視線が不自然に泳ぎ始める。半年前に私がいるF棟に赴任してきた皆川さんは、私より少し年上の若手刑務官で、近頃は明らかに様子がおかしかった。屋上にある運動場やお風呂では、私に終了時間を告げるのも忘れてぼんやりしていたり、かと思えば、食事の配膳を間違えた「衛生夫」に向かって顔を真っ赤にして怒鳴り散らしたり、ミスを連発して上司に怒られたり。皆川さんは、精神が不安定になっているようだった。


 夜。独房にいる私が、喉がつっかえたような声を出して泣いていると、防犯のために薄明かりがついた廊下の方からつかつかと、足音がこちらに近づいてくる。
「大丈夫?」
 扉につけられた窓に、黒くて丸いシルエットが浮かび上がる。「眠れないの?」暗い中からは影になってよく見えなかったが、皆川さんの声だった。
「怖いの?」
「分からない」
 私は首を振り、痛む喉からようやく声を絞り出す。扉の外から、皆川さんが鼻をすすりあげる音が聞こえてくる。皆川さんも泣いていた。薄明るい廊下の向こうから、もう一つの足音が近づいてくる。
「立て。皆川」
 網谷さんの毅然とした声が、扉の向こうでへたり込んだ皆川さんに告げる。皆川さんの息を吸う音が早く、浅くなっていくのが独房の中にいる私にも分かる。「はっ、はあ~……はっ、はあ~……」皆川さんの吸う息が早く、荒くなっていくほどに、私の身体を締め付ける痛みは、固く結ばれたヒモが少しずつ、緩んでいくように、少しずつ、楽になっていく感じがした。
「傍にいて」
「江藤」
 網谷さんは、皆川さんの腕を肩に回して立ち上がると、独房の中にいる私に向かって、冷たい声で命じる。
「消灯時間後の発声は、懲罰の対象になるぞ」
 生暖かい暗闇の中で、私は頬を緩めて笑った。皆川さんのすすり泣きだけじゃなくて、網谷さんの毅然とした声でさえ、今の私にとっては、救いのように思えた。


 面会室のアクリル板に、牧野弁護士の神妙な顔が映っている。今日は皆川さんではなく、ベテランの女性刑務官に連れられて面会室に入ってきた私は、開口一番「再審はしないからね」と突き放すように言った。刑が確定してからも「再審請求しましょう」としつこく迫ってくる牧野弁護士の存在が私はウザくなって、今日までずっと面会拒否していたのだ。
 でも、今日は「とても大事な話がある」と言うから。或いは、私はすっかり心が弱って、このウザい弁護士にさえ、無意識に救いを求めてしまっているのかもしれない。
「再審したって、無駄でしょ」
「違う」
 牧野弁護士の広い額に、細い前髪が二、三本、汗でへばりついている。
「今日は、再審の話じゃない」


独房の重い扉を支えている蝶番が、悲鳴に似た声を上げる。私を刑場へ連行するために現れた5,6人の女性刑務官たちが、独房の畳に座っている私をあっという間に取り囲む。最初私は驚いたけど、すぐに平静を取り戻した。
「少し待ってもらえませんか?」
私は、自分でも不思議なくらいに落ち着いていた。
「遺書を書かせてください」
私はあらかじめ自弁で購入しておいた便箋を一枚だけ切り取り、先が丸くなった鉛筆で簡単な遺書をしたためる。
「皆川さんはいないんですか?」
 女性刑務官たちの手で手錠と、腰縄をつけられている間、私はいつものように体の後ろで腕を組んでいる網谷さんに向かって聞いた。網谷さんは、やはり黙っている。私の手錠と腰縄を揺すって、しっかり拘束されていることを確認した女性刑務官が「準備、完了しました」と、後ろで立っている網谷さんと、幹部の人たちにも向かって言う。私はシャツの胸ポケットに手を置き、そこに折りたたんで入れた二通の便箋の感触を確かめてから、相変わらず無表情の網谷さんを振り返って言った。
「行きましょう」


 F棟を抜け、線香のにおいが充満する廊下を歩いている時、私は、先導役の網谷さんのうなじに向かって、不意に「ねえ」と声を上げる。
「もらえたんだよ私」
 しかし、網谷さんは黙っている。
「孝之さんから、手紙」
 網谷さんは歩くペースを緩めずに、顔だけ少しこちらに向けて一言「そうか」と言った。「あ、初めて会話できましたね」
そう言って私は笑った。

『麗ちゃんへ

 君に手紙を出そうか、随分迷いました。本当は君の顔を見て、きちんと話がしたかったんだけど。被害者の遺族には、それも叶わないようだから。
 正直に言うと、本当は今もまだ迷っています。僕の本当に大切な妻と、息子の命を奪った君に、どう罪を償って欲しいのか。随分長く悩んで、考え続けました。
 そして、一つだけこたえが出ました。

 僕は、まだ君を許すことが出来ない。

 君は、僕の大切な家族の命を奪いました。妻と息子には、何の罪も無かったのに。二人が身体を切り刻まれた時の痛みを、自分が死ぬんだと分かって感じただろう恐怖を、麗ちゃん、君は想像できますか?
 それだけじゃない。君は、自分の両親さえも傷つけた。君の両親は、僕の部屋に何度も来て頭を下げていたよ。その姿を見て、僕は、君がなんて親不孝な子なんだろうと、本当に許せない気持ちになりました。
 
 君が裁判を諦めてしまったから、君の刑の執行を止めることはもう誰にもできないでしょう。おそらく近い将来、事件とは関係ない人たちの手で、君の刑は粛々と執行されるのでしょう。僕は被害者なのに、刑場に向かう君の姿を見ることが出来ない。見たいのか、見たくないのか、よく分からないけれど。ただ、被害者の遺族なのに、何でだろうって、考え始めると悔しくて、悔しくて、やっぱり君のことが許せない気持ちになります。
 出来ることなら、僕が今からでも亡くなった妻と息子の苦しみを代わってあげたいって思うんだけど、もちろんそんなことはできっこなくて。あの日はどうして、僕は買い物なんかに出かけちゃったんだろうとか、何で守ってあげられなかったんだろうとか、色々と僕が悔やんで、苦しんでも、結局、二人の命は帰って来ないわけで。やっぱり、僕たちは、亡くなった二人から許してもらうことはできないわけで。
だから、これはきっと、僕のエゴなんです。

麗ちゃん、どうか、きちんと謝って欲しい。
僕のところに来て、亡くなった妻と、息子の墓前に手を合わせて欲しい。
これからも生きて、自分が犯してしまった罪の重さを考えて悔やみ、苦しんで、涙を流してほしい。
君がそんなことしたって、二人の命はもう帰って来ないし、君が犯した罪が許されるわけでもないのだけれど。だから、これはきっと、僕のワガママにすぎないんです。
もう君の刑の執行を止められる人は、誰もいないでしょう。だから、僕がこれからやろうとしていることは、おそらく何の意味もないことだと思う。むしろ、僕がそうすることで、亡くなった妻と息子を傷つけることになるかもしれない。二人は、本当は君に死んで償ってほしいと願っているかもしれないから。
だから、僕がこれからやろうとしていることは、すべて僕のエゴなんです……。』

「恩赦が申請されたんですね」