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死刑囚の視点(③江藤麗)

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「麗!どうして……」
 お母さんは突っ伏したまま、引き絞るように声を上げる。
「どうして控訴しなかったの?」
 お母さんの顔はぐしょぐしょに濡れて、化粧もしていないせいか随分と老けて見えた。私は上の歯で噛みしめていた唇を緩め、出来るかぎりやわらかい表情を意識して作る。
「生きて帰るから」
 私を見つめるお父さんの目が、わが子を憐れむように歪む。
「死んでも、必ず生きて帰るから。安心して。ね?」
「まだ恩赦があるわ!」
 しかし、お母さんは私の言葉を無視して叫ぶ。目の前にいる私ではなく、隣にいるお父さんのジャケットに縋りつきながら叫ぶ。
「向こうの遺族から、恩赦の申請が出されるかもしれない!そうよ。牧野先生がそう言ってたもの」
「お母さん」
「恩赦が出されたら、死刑の執行が中止されるかもしれない。そうよ!牧野先生がそう言ってたもの」
 記録係の皆川さんという女性刑務官が、自分の腕時計を私に指して見せる。私は頷いた。
「お母さん」
「そうよ!そうに決まってる!」
「お母さ~ん」
 私は「ねえご飯まだ~?」の時のような声を意識してもう一度「お母さん」と呼ぶ。
「恩赦なんてあるわけないじゃん」
「そんなこと言わないの!」
 急に説教口調になる。私を見つめるお母さんの目は血走っていて、明らかにおかしくなっていた。牧野弁護士から私は「恩赦は期待しない方がいい」と言われていた。死刑囚に恩赦が出されるケース自体、相当まれらしい。それはそうだ、と私は思う。もし私のお父さんとお母さんが、知らない人に殺されたら私はそいつをぶっ×したいと思うだろうから。
それに、仮に遺族から恩赦が出されたとして、死刑執行を免れる可能性は限りなく0に等しいという。
激しく泣くお母さんの肩を抱きながら、お父さんは、椅子から立ち上がった私を、媚びるような目つきで見上げる。
「時間だから、もう行くよ。それから……」
 その後の言葉を一気に言おうとしたのに、声が喉元で詰まる。一つ息を吸ってから、私はその言葉を一気に吐き出す。
「もう来ないで」
「麗ちゃん!」
「つぎ会う時は、家に化けて出るから」
 私は、皆川さんの手で掛けられた手錠を顔の前にかかげるようにして「おばけポーズ」をとって見せる。お父さんの固く瞑られた目から大粒の涙がこぼれ、お母さんは引き裂くように叫んだ。

「本当に信じてるの?」
 面会室からF棟にある独房へ歩いて戻る時、私の左脇についた皆川さんがぽつり呟く。
「自分が生まれ変わるって、信じてるの?」
「あんまり余計なこと言わない方が良いんじゃないですか?」
 私はそう言う。右脇についたベテランの女性刑務官に睨まれた皆川さんは「すいません」と言って、小ぶりのテンガロハットみたいな帽子のつばに指で触れる。


 静まり返った教誨室に、私がホームパイをかみ砕く音だけがずっと響いている。向かいの椅子には教誨師の金井先生が座っていて、見張り役の刑務官として皆川さんと、網谷というオジサンの刑務官(歳は私のお父さんより、ちょっと下くらいだろうか?)も壁際に立っていて、みんなホームパイを食べる私の姿をじっと見つめている。私は、自分だけ食べているのが何だか恥ずかしくなってきて、
「先生も食べてよ」
 私はもごもごとする口元をてのひらで隠しながら、ホームパイの包装を金井先生の方に差し出す。
「皆川さんたちも」
 私がそう言ってホームパイを二つ差し出すと、皆川さんだけが動きかける。しかし、横から網谷というオジサン刑務官の厳しい視線を感じてハッとした皆川さんは、白い顔を赤らめる。
「一つくらい良いんじゃないですか?」
 私が突っかかっても、網谷というオジサンはぴくりとも表情を変えない。
「あの、いつも黙ってますよねあなた」
 しかし、網谷というオジサンはやはり表情を変えないし、目線も逸らせない。
「寡黙な男の人って、カッコイイな~って思います」
 おじさんフェチなんで、私。嫉妬しているのだろうか、隣で細い眉をひそめ怒っている皆川さんに、私は手をひらひらと振って見せる。
「大丈夫ですよ。私、孝之さん一筋ですから」
「まだ孝之さんのことを愛しているんですか?」
 金井先生が言う。私は思わず吹き出してしまう。いい歳したオジサンが「愛してる」なんて言葉を恥ずかしげもなく口にしたのが、何だか可笑しかった。
「あの僕、何か変なこと言いましたか?」
 まだ自覚がなく、困ったように米神の辺りを太い指で掻いている金井先生のことが、私は何だか可愛く思えた。
「それ、なに?」
 私は、金井先生がテーブルに置いた、分厚いカバンの紐に括りつけられたお守りのようなものを指さす。かなり繊維がボロボロになっていて分かりづらいが「勝」という文字がついているように見える。
 金井先生はソーセージのように太った指で、そのボロボロになったお守りを大事そうに摘み上げる。
「これは、以前お世話になった死刑囚の方からいただいたんです」
 思わず喉から「え?」と声が漏れた。死刑囚に「お世話になった」という表現がちょっとヘンだし、そもそも、争いとか嫌いなはずのキリスト教の牧師さんが「勝運」のお守りを持っていることもヘンだった。とにかく、この金井先生という人は、他の教誨師の先生たちとはちょっとズレていて、色々とヘンだった。
でも、私は、金井先生のそういうところがカワイイな~と思った。
「そういうの、私も欲しかったな~」
 私は、頬っぺたについたやわらかい髪をそっと、耳の後ろへ流す。
「孝之さんは私に何もくれなかったから」
 だから私は、孝之さんが一番大事にしていたモノを壊してやったんだ。そうして私は、孝之さんから大事なモノをもらうんじゃなくて、私が孝之さんにとって一番大事な存在になってあげた。好きになってもらうだけが愛じゃない。「恨む」ということは相手に執着することであり、愛でもあるから。
「死んだら私、孝之さんのところに行けるかな?」
 キリスト教に「輪廻転生」の考えがないことを、私は知っている。キリスト教的な価値観からすれば、自分が犯した罪を反省していないし、神様の存在も信じていないような私はきっと「地獄行き」なのだろう。
 でも、金井先生は困った笑顔のまま固まってしまい、しばらく黙りこくってから、ようやくゆっくりと、首を横に振る。
「私にはわかりません」
「……だよね」
 泣きたくなった。分からない。それが紛れもない答えだった。生まれ変われるかなんて、結局、死んでみなければ分からない。和室と洋室が隣り合った教誨室の隅では、まだ少し赤らんだ表情で皆川さんが黙って立っている。私は火照りかけた自分の頬を、両手の指でごしごしと擦る。
「私が死ぬときは、みんなで祈ってよ」