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死刑囚の視点(③江藤麗)

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 振り返ると、居間の入口に舞子さんが立っていた。血の付いたナイフを持った私と、血まみれで倒れている大志くんの姿を、交互に見つめる。驚いて手に持っているお茶の盆を落としてしまうかと思ったが、違った。傍のテーブルに盆をそっと置き、ゆっくりとこちらに近づいてくる舞子さんの表情にはまだ笑顔さえ残っていた。
 私が突き飛ばすと、舞子さんは大きくよろめいて、やはり呆気なく床に倒れた。私は馬乗りになると、仰向けに倒れた舞子さんのエプロンの左胸に刃先を振り下ろす。
「えぇ……?」
舞子さんはまだ状況を飲み込めていないようだった。薄く開いた唇から、ほとんど息のような呻き声と一緒に細い血が音もなく流れ出す。ナイフのギザギザとした部分を細い首筋にあて、思い切り引くと血しぶきが横に飛び散り、舞子さんの顔は、目を薄く開いたままカクンとなった。
「ただいま~」
 玄関から、孝之さんの呑気な声が聞こえてくる。私は、もう動かなくなった舞子さんの身体から重い腰を上げる。孝之さんは、片手に明日使うネギが入ったビニール袋を抱えたまま、居間の入口に立っている。そのまま凍り付いたように動かない孝之さんと、私は、目が合った。





 両手に手錠を掛けられた私が法廷に入ってくると、傍聴席にいる人たちの視線が一斉に注がれる。両脇を女性刑務官に抱えられて歩きながら、私は、自分の頬が温かく緩んでいくのを感じた。
「被告人は、証言台に立ってください」
 中年の女性裁判長は、まるで幼い女の子を諭すような声で私に語り掛ける。刑務官の手で手錠を外された私は、ゆっくりとした足取りで証言台へ向かう。
 私が証言台に立つと、牧野弁護士も椅子から立ち上がり、昨日途中で終わってしまった弁論の続きを始める。
「検察側の主張をまとめますと、被告が被害者宅のアパート前まで来た後にいったん引き返し、途中にあるミリタリーショップで本件の凶器となったサバイバルナイフを購入している点を挙げて『被告には計画性があり、強い殺意が認められる』と仰っていますが……」
 そこで牧野弁護士は拳を口元にあて一つ咳をする。まだ少し痰が絡んだ声で「失礼」と述べてから、金色の弁護士バッチが輝くスーツの胸を張る。
「ですが、被告はアパート前の公園で、当時一方的に想いを寄せていた孝之氏と遊んでいる被害者二名の姿を目撃して激しい嫉妬心に駆られ、ほとんど発作的に犯行に及んでいます。
このような経過からして、犯行前、一時的に異常な興奮状態に陥っていた被告に『明確な計画性があった』とは言えないと思われます」
 牧野弁護士に主張を否定されても、私から見て右側に座っている検察官3人は、机に置いたノートパソコンをじっと睨んだまま身じろぎ一つしない。牧野弁護士はまた一つ咳払いをしてから続ける。
「そして、本件の被告は犯行当時まだ20歳と若く、加えて、恋愛経験が乏しく自分の感情を制御する術を知らなかった。まだ被害者や遺族に対する謝罪や、反省の弁を述べていないとはいえ、今後、被告に更生の余地が全くないとは言い切れない。
 『犯人の年齢』を最も重視する永山基準に照らしても、被告に極刑の判決を下すのは、あまりに重すぎると言わざるを得ません」

 審理の途中で設けられた休憩時間。私はトイレにも行かず、水も飲まず、刑務官二人に両脇を押さえられながらソファに座ってぼんやりしていた。不意に、私は外から戻ってきた学生風の眼鏡をかけた男の子と目が合った。多分法学部とかで、勉強のために来ているのだろうか。私がにっこり笑いかけると、相手は慌てて顔を逸らせた。
 裁判長が「審理再開」を告げる。検察官席に曇りガラス付きの衝立が設けられ、向かいのソファに座っている私からは見えなかったが、検事に連れられて孝之さんが法廷に入ってくる。ケガした方のつま先を床に引きずる音が徐々に、大きくなる。検事の「大丈夫ですか?」とか「お話しできますか?」とかいう言葉に、うんうんと頷いている孝之さんの姿が曇りガラス越しにもよく分かる。
「調書によると、あなたは被告に極刑を望んでいると仰られていましたが」
 裁判長がそのように発言を促すと、孝之さんのぼやけた影が、少し迷ってから、首を横に振る。
「……分かりません」
 孝之さんの声だった。事件以来、1年ぶりくらいに聞く孝之さんの声に、私は胸の奥がざわめくのを感じた。
「……最初は、その、すこし感情的に、なっていたというか……検事さんにそう言われたから、自分もそう言った、という部分も、ありまして……」
 たどたどしい孝之さんの言葉に、傍で控えている検事たちの表情がわずかに引きつる。
「正直言うと、実は今も頭の中がぐちゃぐちゃになってて。その、れいちゃん、じゃない、ひこく……被告に対する処罰感情とか、しんで償ってほしいとか、そういうこと、考える余裕すら、ホントは無くて……」
 そこで孝之さんは言葉を止め、大きく息を吸い、吐き出すという仕草を繰り返したのだろう。マイクを通して法廷内に「ぶぶっ……」という低い雑音が響く。
「亡くなった息子は、40代になって妻との間にようやく授かった子供でした。辛い不妊治療とかもあって、その、妻とも『もうあきらめようか』って言ってた時に、やっと授かった子なんです。
……宝でした。妻も息子も、私にとっては、ホントに……」
 孝之さんはまた声を詰まらせ、二回、大きな音を立てて鼻をすする。
「被告を許せない気持ちというのは、もちろん、あります。でも、麗ちゃんも、被告も、すごく良い子だったので……。
若いのにウチみたいな小さい店に就職してくれて、仕事が上手くいかなくて、悩んでいたことはあったかもしれないですけれど。
でも、一生懸命にやってくれていたんです。確かに、麗ちゃんは少し不器用で、おっとりしているところもあったけれど。盛り付けを任せると、すごく丁寧にやってくれて。私も妻も感心していたんです。盛り付けなんて、きっと詰まらない仕事だろうなと思っていたんです。それなのに麗ちゃんは、一度も私たちに文句を言ってきたことはありませんでした」
 孝之さんの息を吸う音が大きくなり、その間隔も、犬が全力疾走した後のように、だんだん「ハッ、ハッ」と短くなっていく。
「最初に想いを告げられた時は、彼女はアニメが好きな子だったから、その、そういうごっこ遊びなのかなって、思ったりして。
でも、だんだん、彼女が本気だって分かってくると、怖くなってきて。ちょうど妻とも色々あって、上手くいっていない時期でもありましたから……。僕の、その、心にぽっかり空いた隙間に、僕にとっては娘みたいだった麗ちゃんが入ってきてしまうかもしれないと思うと、怖くて……」
 呼吸が荒くなり、心配した検事が衝立の向こうに入り「大丈夫ですか?」「もうやめましょうか?」と問うも、孝之さんのぼんやりとした輪郭は、全身を大きく二度、横に振る。
「そんな麗ちゃんに……こう言ったら、亡くなった妻や息子に、叱られてしまうかもしれないですが……そんな麗ちゃんに、死んでほしいなんて、とても思えなくて……すいません、すいません……」