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死刑囚の視点(③江藤麗)

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 その時、隣に立っていた学生風の男の子と目が合って、私はさっと視線を逸らせる。この友達は自分のことが大好きなんだ。だから、こんな歯が浮くような台詞を人前で平然と言ってのける。
 私は違う。孝之さんのことが気になり始めてから、私はずっとかけていた眼鏡をコンタクトに替え、後ろで一つに結んでいた髪も肩に下ろしてみた。化粧も少しずつ始めてみたけれど、やっぱり、何かが違う。化粧とか服とか、似たようなことをしている筈なのに、友達がやるとイケてる女子大生で、私がやると子供の背伸びというか、タヌキの化け物というか、ピエロというか……。
 私は自分が嫌いだった。ツイッターとかで「自分が嫌い」というコメントと共に、ばっちりカメラ目線を決めた自撮り写真をのせる自称「自分が嫌い」女子たちよりも、私はずっとずっと、自分のことが嫌いだった。
死んでしまいたいと思ったことが、何度もあった。でも死ぬのはきっと痛くて、怖くて、結局、そうする度胸もない自分のことが、やっぱり嫌いだった。
 信号が青に変わる。
「先に行くね」
 私は笑顔を作って見せようとしたが、頬がぴくぴくと引きつってしまい上手く出来なかった。駅の方へ一人で歩き始める私の背中に向かって、友達が大きく叫んだ。
「がんばれーっ!」
 虫唾が走った。

 私はやっぱりお店を辞めることにした。仕事が上手くできないこともあるけれど、何より孝之さんへの未練を立ち切りたかった。お父さんとお母さんには何も言わず、自分の手で書いた退職届を、お店が休みの日に孝之さんがいるアパートの部屋に直接持っていくことにした。
私はいきなり「辞めます」と告げる勇気が無かったので、最後の仕事が終わった後で孝之さんにラインで『ちょっと伝えたいことがあるので、明日部屋に行ってもいいですか?』と送った。すぐに既読がつき、孝之さんからは『りょうかい!』という文字と、黄色いスマイルマークが送られてきた。

当日。私は約束の時間より30分以上も前にアパートに着いてしまった。アパート前の公園のベンチにでも座って時間を潰そうと思ったら、孝之さんと舞子さんが、息子の大志くんを遊ばせているのが見えた。
 私は咄嗟に、入口のすぐ近くにあるトイレの後ろに隠れる。
「大志!ジャンプ!」
 孝之さんがそう言って励ますと、一人息子の大志くんは小さい両手をめいっぱい伸ばしてぴょん、ぴょんとジャンプを繰り返すのだけれど、届かない。それは1か月前、私が孝之さんとリハビリで使っていた鉄棒だった。なかなか届きそうで届かない鉄棒に、それでもジャンプを繰り返しているわが子の姿を、舞子さんが脇に鉄棒を挟みながら微笑ましく見つめている。
 視界が霞んでくる。私が手をついたトイレの壁は冷たかったが、私の身体の中からは熱い「何か」がふつふつとこみあげてくる。私は泣いていた。悔しかった。トイレの壁に火照った額を押し付けると、アンモニアのようなにおいがつんと鼻を突き上げてきた。私は口元を押さえ、こみ上げる嗚咽を堪える。上着のポケットには、これから孝之さんに渡すための「退職届」が入っている。これを出してしまったらもう、私は孝之さんと会うことはできなくなる。かと言って、これからもお店に居続けたところで、孝之さんが私を振り返ってくれることは無いだろう。
 鉄棒に届かないので駄々をこねる男の子の声と、それを見て笑い合う夫婦の声が入り混じる。あの三人の輪に、私が入る余地はなかった。悔しかった。もう孝之さんに振り向いてもらえないとわかると、私の胸は引き裂かれたように痛んだ。そして、私は遂に、自分のホントの想いに気づいた。友達の言葉を借りれば、これまでの私は、自分の気持ちに嘘をついていた。
そして私は今、気づいた。私の想いは、本物だった。私は本気で、孝之さんを愛していた。
 トイレの壁に身体を押し付けていると、おしっこのにおいが私の全身を満たしていくような感じがした。嫌だった。このまま終わってしまうのは耐えられなかった。もう孝之さんと会えなくなってしまうのも。決して手が届くことが無い孝之さんの傍に、これからもずっと居続けることも。
 私には、耐えられなかった。


 私は部屋に着くと、出てきた舞子さんに、約束より1時間近くも到着が遅れてしまったことを謝る。
「ごめんね、麗ちゃん」
私が遅れたせいなのに、舞子さんも申し訳なさそうに顔の前で手をすり合わせる。
「旦那は明日使う食材を買いに行くって、ついさっき出て行っちゃって。すぐに戻ってくると思うんだけど……」
 そう言いかけて、舞子さんは、私が手に抱えている箱に目を落とす。
「それなに?」
「プレゼントです」
 私はそう言った。上手く笑顔が作れた。
「大志くんにあげようと思って、さっき買ってきたんです」
 舞子さんは少しヘンな顔をした。約束の時間に遅れてきたのに、どうしてそんなモノ買ってきたの?という感じ。しかし、すぐに顔を後ろの部屋の方に向けて「大志~、お姉ちゃんがプレゼント買ってきてくれたって~」と声を張り上げる。舞子さんの皮が伸び薄くなった首筋に、青い血管が幾本も浮かび上がる。
 箱を握る私の指に、力が入る。
「いまお茶出すから、上がって」
 
 舞子さんが台所でお湯を沸かしている間、私は居間で大志くんと二人きりになった。
「大志くん」
 カーペットに這いつくばりアイパットを弄っている大志くんに、私は声をかけた。自分でも、すごくカワイイ声が出たな、と思った。
「こっちきて」
 私は素敵な笑顔を意識して、大志くんを手招きした。不思議そうに長いまつ毛を瞬いている大志くんの目の前に、私は、買ってきた少し細長い形をした箱を置く。
「開けてみて」
 しかし、大志くんはまだ不思議そうに大きな目を瞬いている。二重瞼の瞳や、小さな唇をすぼめる仕草は、舞子さんにそっくりだった。
「早くして」
 私は苛立って、少し低い声が出る。
「ね?」
 私はまた、鼻からカワイイ声を意識して出す。大志くんが不器用な手つきで外紙を破くのを、私も一緒に手伝ってあげる。蓋を開くと、刃の部分がギザギザとしたナイフが現れる。私は柄を手に取り、まだ夢でも見ているようにぼんやりとしている大志くんの目の前で、ぎらぎらとした歯の裏と表を交互に見せてあげる。
「ぐっ……」
 お腹にナイフを突き刺すと、大志くんは息が詰まったような声を出した。仰向けに倒れ、黒い血がじわじわと広がっていくシャツのお腹にもう一発。ナイフを逆手に持ち直して振り下ろすと、大志くんの背中の後ろにある床にナイフが「コツン」と当たる音が聞こえた。
「……いたい」
 私のお父さんが毎朝使っている電動カミソリのように、大志くんは小さな手足を細かく震わせながら、小さなうめき声をあげた。
「……いたい……いたい」
 泣きながらみるみる弱っていく大志くんを見下ろしながら私は、意外と呆気ないな、と思った。中学生の頃によく見ていたグロ系のアニメではこういう時、もっと泣いたり叫んだりしていたのに。
「麗ちゃん?」