ヤマト航海日誌8
2025.10.22 わが青春のアルカディア映画
前回断りを入れたように日誌をログを重ねる形に戻すわけだけが、この更新に気づく者はまず皆無に等しいだろう。現時点でこの〈8〉はアクセスを160しか受けていない。最初の3ヵ月ほどはチョボチョボ開かれてもいたがその後途絶えて今では月に数人しか中を見ぬものとなっている。
その連中もどうせ読んじゃないだろうからこのページをいま読む者はないわけだが、別にいいんだ。これは今に盗むつもりで覗くやつに見せるのでなく、帝銀事件の平沢を犯人とするブログの作者がおれだと広く知られた後で読まれるものとして書いてんだから。いつになるかわからんが、その日はいずれ必ずに来る――こう書いてもいま読むやつはもしちょっとはいたとしても嘘だ盗めるこの俺が書いたことにできるんだと考えるだけとわかっているが、まあせいぜい夢を見ていろ。
今に一体何千人がおれの帝銀話を盗んで他所に出したものか知らんしそれをどれだけの数の者が読んでいるか見当もつかない。けれどもその全員が最初まさかと思いながらすぐにこれが正しいと知り、でひとりの例外もなく盗みを企むことになるのはこのサイトでヤブ田玄白といったやつらが日々得ているアクセスの状況を見てればわかる。ここで今に一応の読者を得ている者は全員おれの帝銀を盗んでるわけで、千の単位で日々新しく知らない者に知られていってて、コピペを他所に出し始めるやつも毎日何十といるのも。
このサイトのランキングで見える数字はその氷山の一角に過ぎない。知る人間が例外なく盗むことしか考えないため海面下で見えないのだが、いつか臨界に達するだろう。この氷山は氷と言っても核物質の塊であり、膨らむことで中心にいつか火が点きピカリと輝くことになるのだ。おれは初めはそんなものすぐに来ると思っていた。楽天の方のブログに書いたことだがおれはこの日誌の〈1〉に〈起こしてやろうかボーンメラメラ〉の話を書いて出した頃からあっちで帝銀話をやるのを考えている。
帝銀犯は平沢だなんてブログを始めたらすぐに「頭のイカレたやつがイカレたことを書いてるぞ」ということになって人が集まり、聞いて頭にきたやつが怒りのコメントを寄せてくる。おれのブログはボーンメラメラと大炎上だが、しかしやがて……というのを期待したんだな。〈起こしてやろうか〉を書いた時それを考えていたんだが、しかしイザ始めてみると事はそうならなかった。
読むやつ読むやつすぐにこれが正しいと知って、盗もうと企みながら覗くばっかり。どうもそうなるらしいとわかって路線変更するしかなくなり、今に至るがもはや〈平沢を救う会〉がおれが書いたのを読みながらどうすることもできずにただただこの氷山がアルマゲドンな隕石のように吹き飛んで自分達が嘘で塗り変え隠してきた事実がドドンと世に知られることになりませんようにとガタガタ震えながら祈るようになってるらしい。2月におれが帝銀ブログを再開したちょい後ぐらいのとこで聞きつけ、最初はもちろん怒り狂ったのだろうけど読んで青くなることになり、またそいつは盗まれたもので同じコピペを何千もの人間が己の作と標榜しながら出しているとも気づいて慄然とすることになる。それを読んでる何十万とも知れぬすべてが内容に得心しつつ盗みを企んでいるとも知って。
そこでいよいよ恐慌をきたすが、一体おおもとの作者は誰だ? 探しておれを見つけ出し確かにこいつだと断じるまでに結構時間がかかったのではないかと思うが、それにしても島田信之というやつはどこにいるのか。実名のように見えるが実名なのか。
としてもそんな名前のやつはいくらでもいるぞ。どうすればいい? 最後まで書かれてしまったらもう完全におしまいだ。我々全員笑われ嘘つきとののしられ、首を吊るしかなくなってしまう。そうなる前にこいつの口をふさがねばならんが、どうすればいいのか。
なんてなことを〈救う会〉が3月頃に考えながら表立っては動けないため何もできずに終わったフシがどうもあるんだけど、その話は別の機会にするとしましょう。今回はそもそもご機嫌伺いというか、この更新に気づくやつがちょっとはいるか見るためというか、いても今に盗み見してるやつではしょうがないんだから、書いて教えてやったとしても嘘だ平沢を救う会が知ってるなんてことはないと考えるだけとわかるんで書くだけ無駄というもんなんだよな。〈1〉の最初の最初からずっとそうとも言えるんだがこのヤマト航海日誌はおれの名前が世に広く知られた後で読まれるように書いているもの。基本的にはすべてがおれの『コート・イン・ジ・アクト』の宣伝のために書くものである。てわけでまた例によって映画の話でもすることにしよう。
楽天のおれの帝銀ブログに『遙かなる大地へ』の話を書いた。映画館で三度見たと書いたけれど本当のことだ。まず渋谷のシネタワーで見て、次に日比谷のスカラ座で見て、半年後に池袋の文芸坐で見た。
文芸座では『パトリオット・ゲーム』との併映であったため、アイルランド人のワスプへの憎しみ話をまた見ることにもなっていた。アン・アーチャーが演じる主人公ライアンの妻役がポルシェかなんか運転しながら車載電話で「サンキュー」と言うのが見ていてすっげえイヤで、テロリストにそこで襲われクルマがブッ壊されるのをザマア見ろと思ったりしたのだったが、その後すぐかさらに『遙か』をビデオでまた見た後くらいに本で初めて帝銀のGHQ陰謀説を詳しく読んで、「アイルランド系の人間がこんな与太を聞いたなら」と思うことになる。わけだがトム・クルーズの映画でおれが劇場で三度も見たのはこの『遙かなる』一本きりだ。二度見たものはいくつかあるが三以上は他にない。
日誌の〈1〉にも好きだとちょっと書いたけれどもトム・クルーズの映画の中でおれがいちばん好きなのがこの『遙かなる大地へ』なのだ。しかしあんまり一般的な人気はない。それどころかケチョンケチョンに言われていて『爆笑!?恋のABC体験』よりはちょっとマシだとか、いやそれにも劣るとか、まあそこまでは言われてないかもしれないけれど、とにかく世の評価は低い。おれは好きなのになぜであろうか。
「そりゃあお前に映画を見る眼がないんだよ」
と言われればそれまでの話で、返す言葉がないんだけれども、しかしあんなマイノリポみてえな映画が今でも人気を保ってやがるらしいのにこれの評価が低いって、どういうことだよ。大体みんな、興業がコケていると聞いただけで見もしないでつまらないと決めつけて、見ても「レインマンじゃないからつまらなかった」とか「バーテンダーやビリヤード打ちの話じゃないからつまらなかった」とか言ってるだけなんじゃねえのか。
そういうやつは映画見るなよ、とおれは言いたい。そもそもがキネ旬あたりが褒める映画にろくなものはないんだから見なくていいんだよ、と言いたい。誰がなんと言おうともおれはこれが好きなんだから好きと言い続けるのだが、『遙かなる大地へ』という映画はおれが思うに『銀河鉄道999』である。



