夢幻空花なる思索の螺旋階段
しかし、事はそれで終はらなかつたのである。死んだ蚯蚓を喰らつたのであらう、数羽の雀が道端で死んでおり、また、側溝の中には何匹もの螻蛄(おけら)と土竜(もぐら)が逃げ道を探して側溝の中で逃げ惑つてゐたのであつた。私は螻蛄と土竜の姿を見るのはそのときが多分初めてであつたと思ふが、螻蛄と土竜のその愛くるしさは今も忘れない。螻蛄と土竜を一匹一匹拾い上げて土に戻してあげたのは言ふまでもないが、螻蛄と土竜は蚯蚓の異変を喰らふ直前に察知したのであらう、多分螻蛄も土竜も死んだ蚯蚓を喰らふことなく生き残つたのだと思ふ。
さて、その日の夕方野良猫さへ危険を察知して喰はわずに死体を曝し続けてゐた雀は遠目に何も変わつた様子は無かつたのであつたが、近づいて見ると黒蟻の山が雀の死骸の下に出来てゐたのであつた。当然、何匹かの黒蟻は薬品にやられて死んでゐたが黒蟻はその死んだ仲間の黒蟻さへもせつせと自分の巣へ運んでゐたのである。
翌年、黒蟻の姿を余り見かけなかつたのは言ふまでもない。
人間はかうも罪深き生き物である。この償ひは近い将来必ず人間自らに降りかかつて来るに違ひない……。
水鏡
例へば宇宙の涯を妄想するには満潮時の流れが澱んだ川面に映る街明かりをぼんやりと眺めながら考へるに限る。それが新月だと尚更いい。
其処は両岸がConcreteの護岸で覆われて葦原の無い都会の街明かりが最も川面の水鏡に映える場所であつた。その日は夜もどつぷりと暮れ真夜中近い弓張月が天高く上つた頃に満潮を迎える、つまり宇宙の涯を妄想するのに最もよい日であつた。いつものやうにConcreteの護岸の一番上に腰掛けて流れの澱んだ川面の水鏡に映る街明かりと月明かりをぼんやり眺めてゐると考へはいつものやうに宇宙の涯へと及んだのである。
――さて、この宇宙が《開いた宇宙》でしかも光速より速く、つまり埴谷雄高のいふ《暗黒速》で膨脹してゐるのであれば、多分、宇宙外にいましまする神々の目には反物質の暗黒の大海に浮かび急速に肥大化する越前海月のやうに吾々が存在するこの宇宙は観えるに違ひない……。
一台の自動車が堤防の上にある国道をLightを点けて左から右へと走り行く様が逆様に澱んだ流れの川面の水鏡に映つてゐた。
――しかし、現在の科学ではどうやら宇宙は《閉ぢた宇宙》らしいので暗黒の大海に浮かび急速に肥大化する《海月宇宙》は無いな……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………すると……さういへば確か北欧の神話だつたと思ふが、この世は《世界樹》だか《宇宙樹》だかで表現されていたな……ここはニゆトンに敬意を表してその《世界樹》を林檎の樹に喩へると……さて、吾々が存在するこの宇宙はその《林檎の樹》に実つたたつた一つの林檎の実でしかないに違ひない……
水鏡にうらうらと明滅する街明かりと月明かり。その明滅するRhythmが心地良い。
――すると反物質は林檎の芯の部分で果肉の部分は虫食ひの跡のやうに重力を表す部分で吾々が宇宙と言つてゐるのは林檎の表皮に過ぎないのかもしれないな……この考え方は銀河の分布を描いた宇宙地図で見る銀河の分布の仕方、真ん中がぽつかりと空いてゐて銀河が無く球上の周縁にのみに銀河が存在する銀河の分布の仕方とも一致してゐるやうな……無いやうな……まあ良い……今日のところは林檎の樹で行かう……
一尾の魚が水面を跳ね上がり水鏡に波紋がゆつくりと拡がつて行く……。
――さて、熟した《林檎の実》がぽとんと枝から落ちても《林檎の実の表皮》に過ぎない吾々には……多分……宇宙外の《地面》に落下したことすら解らないだらうな……知るのは神のみぞか……さて、《地面》に落下した《林檎の実》は地面と接した部分から朽ち始める……巨大な巨大な巨大なBlack holeの出現だ……そして……その巨大な巨大な巨大なBlack holeも朽ち果てて《林檎の実》宇宙はべちやつと潰れて反物質である《林檎の種》のみぞ残るのみか……さうして悠久の時を経て《林檎の種》は発芽する……ビつクバンか……神が鉄槌の一撃を《林檎の種》に食らはせるのだ……そして時が刻まれ始める……一つの《林檎の種》から《世界樹》は育ち幾つもの《林檎宇宙》を実らせる……これを未来永劫繰り返す……か……
また一尾の魚が水面を跳ね上がり水鏡にゆつくりと波紋が拡がつて行く……。
――さて、今度は宇宙の膨脹が光速以下だとすると宇宙の涯は、さて、鏡のやうなものに違ひないだらう……この世に存在するあらゆるものは当然この宇宙外に飛び出ることはあり得ず光速で宇宙の涯まで到達してしまつた光は宇宙の涯で反射する外無い……すると宇宙は光Cableのやうな、Fiber(ファイバー)状でもTube状でもよく……すると……この宇宙の形状は閉ぢたものであればどんな形でも構はないことになる……ふつ、宇宙の膨脹が光速以下とする方が今のところ合理的かな……つまり……この宇宙の涯は眼前の水鏡か……うらうらとうらうらと澱んだ流れの川面に映る街明かりと月明かりが明滅する美しさは飽きが来ない……。
その日は宇宙に対する妄想が尽きる事無く潮が引き始めて川が再び流れ始めてもConcreteの護岸から腰を上げることなく明け方まで川面の水鏡をずつと眺め続けてゐたのであつた。
「哲学者」といふ名の犬
その子犬は私が何か考へ事をしながら川辺をふらふらと歩いてゐた時に不意に葦原から眼前に現れ、私の顔を見上げながら尾を振つて私の愛撫を待つてゐる様子で私の前に座つたのがその子犬との出会いであつた。私はその子犬の望み通り頭を撫でて一度その子犬を抱きかかへ、「高い高い」をして「お前のお家にお帰り」と言つてその子犬を抛つてしまひ最早その子犬のことなど忘れ、再び考え事に耽り始め、暫く川辺を散策した後家路に赴いたのであつた。
だが、或る交差点で赤信号を待つてゐると不意に私の左脇にあの子犬が私の顔を見上げながら尾を振つて座つてゐるのに気が付いたのである。
――お前は捨て犬か……
私はその時この子犬が吾が家まで付いてきたなら飼ふと心に決め、その子犬に対して敢へて知らん振りをしながら家路に着いたのであつたが、果たして、その子犬は吾が家まで私にくつ付いて来たのであつた。
それが正式名「哲学者」、通常の呼び名は「てつ」との出会いであつた。
「てつ」は兎に角倹しい犬であつた。食べものといへば一番価格が安く市販されてゐた固形のDog foodと煮干少々、牛乳少々と週に一度の鶏肉の唐揚げ一つといふのが「てつ」が生涯食べたものの全てである。それ以外のものを上げようとしても「てつ」は首をぷいつと左に向け決して食べようとしなかつたのである。
作品名:夢幻空花なる思索の螺旋階段 作家名:積 緋露雪