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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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夢幻空花なる思索の螺旋階段

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――ぷふい。重さがあるつてことは、此の世の時空間の穴だつてことだぜ。つまり、奈落の底さ。
――重さが此の世の時空間の穴凹だといふのは果たして重力場のことを指して言つてゐるのか? 
――さうさ。五次元時空間の住人から見れば重力場は穴凹に違ひない。そして、それは、つまり、奈落の底つてことだ。つまり、地獄だ。
――へつへつへつ。お前の思考もまたどん詰まりだな。重力場が地獄へと一足飛びに飛躍してしまふなんぞはその証拠だぜ。
――ぷふい。それじやあお前は極楽の住人だつて言へるのかい? 
――へつへつへつ。重さを感じるつてことはまだ己が自由落下してゐないつて証拠じやないか。つまり、まだ奈落の底には至つてゐない! 
――ぷふい。地上が地獄の底でないつて誰が決めたのだ! 
と、ここで私は
――しゆぼつ。
と、再びライターに火を点し、その炎を凝視するのであつた。
――ふうつ。
と、再び私はライターの炎を不意に吹き消し、闇の中にぼんやりと残るライターの炎の残像を凝視し始めるのであつた。
――へつ、この地獄の住人めが! お前のその虚しさがその最たる証拠じやないか! 馬鹿めが! さあさあ、もつと落ちろ! 


時の瀑布

 神の鉄鎚の一撃が振り下ろされた結果、流れ始めてしまつた時間、或ひは超爆発(ビつグバン)によつて時空間が生じ爆発的に膨脹を始めてしまつたこの宇宙のその原初において、或ひは特異点がFractal(フラクタル)に自己相似的にこれまた爆発的に存在の核として拡散したこの宇宙の原初において、神は自らの一撃によつて生じた存在に対する憐みの涙を流したのだらうか。
…………
…………
――存在の懊悩は特異点の懊悩に等しい……。
――えつ、それはどういふ意味かね? 
――つまり存在するといふことはその内部に特異点を内包してゐる……。
――えつ、特異点が内包されてゐるつて? 
――さう。存在の謎は特異点の謎に等しい……。
――えつ、それはどういふ意味かね? 
――特異点の裂け目を蔽ひ隠すやうに存在は存在する。つまり、特異点が特異点のままである以上、存在はその素顔を見せることはない……。
――ふつ、しかし、存在は既に存在してしまつてゐるぜ。
――ふつ、それが存在の素顔だと思つてゐるのかい? 時は移ろひ存在もまた変容する。銀河の中心部の巨大Black hole(ブラつクホール)を考へてみれば君も納得するだらう……。星星は砕け散り、事象の地平面といふ時の瀑布にもんどりうつて雪崩れ込むその時の存在の呻き声を君にも聞こえてゐる筈だ……。
――……。
――うぁぁぁぁああああああああああああああああああああああ――。


陰影――断章 四

 暗夜の闇の中で見る花咲く桜の樹は、成程、桜の樹の下には死体が埋まつてゐるといふ話が本当のやうな、それは何か名状し難い想像を絶した妖気めいたものを闇の中で発し、気配であそこに桜が咲いてゐると闇の中でもはつきりと解る程、妖気が匂ひ立つてゐるのである。それにしても闇の中の桜の花は妖艶である。多分、この異様な程の妖艶さは、闇が深ければ深い程際立つので、現代人は《癒し》などと呼んで嬉しがつてゐるが、しかし、本当のところはそれを気味悪がつて桜の妖気を拡散させなければ花を愛でられないので愚劣なLight up(ライトアつプ)をしてゐるに違ひないのである。
 桜の花には何といつても闇が一番似合ふ。といふよりも闇の中のもの全てが何となく生き生きと感じられるのである。暗夜の下を独り逍遥してゐるとつくづくさう思へて仕方がないのである。
 闇を人工燈の明かりで駆逐するのは愚の骨頂のやうな気がしてならないのである。中でもLight upは何をか況やである。ものみな全て暗夜の中で一息つかうとしてゐるのを何故Light upして闇の中でもものの姿形を人工燈の明かりで曝すのであらうか。
 闇の中でLight upされたものは種類を問はず哀れである。中でもLight upされた桜の花は尚更哀れで私は見てゐられないのである。成程、Light upすると見た目は一見美しいかもしれないが、しかし、もの本来持つてゐる異様な気配といふものがLight upの明かりで封印されてしまつて、Light upされたものは愚劣で皮相的なぺらぺらな何かに変質してしまつて、見てゐて痛々しいのである。
 更に言へば闇が人工燈で照らせるのが自然だと思い込んでゐる現代人の傲慢が気色悪いのである。それが現代人の思考法にまで深く深く及んでしまつてゐて、最早手の施しやうがない程で、つまり、闇が照らせるものといふ思考法が諸悪の根源のやうな気がしてならないのである。
 仮に明かりの下の世界を有限の世界、つまり、ものが有限の姿形を曝す有限の世界だとすると、闇の世界は無限に繋がつた無限の世界と規定出来るかもしれない。それなのに何故現代人は人工燈の明かりを持ち出して無限へ通じる道を断ち切るのであらうか。闇といふ無限が不安を誘ふからであらうか。多分にそれは覚悟、己は己であるといふ覚悟が結局のところ出来てゐない所為のやうな気がしてならないのである。
 己が己であるといふ覚悟は空前絶後で想像を絶する覚悟が必要である。精精去来現のほんの百年足らずといふ束の間を生きるのみの私は、それにしても私は私であるといふ自同律を一度たりとも全的に引き受けることか果たして可能なのであらうか。当然、無数の客体に囲まれた此の世の現状から無理矢理私は私に収斂されてゐるが、しかし、私は私に満足である、つまり、自身に自足してゐる私なるものか果たして存在可能なのであらうか。それが不可能故に現代人はそれを考へたくないために無限の吾に通じる闇を断ち切るべく何でも人工燈の明かりにものを曝してもの皆全てを或る姿形に押し込めてしまはなければ不安で仕方ないのかもしれない。自身の内界の闇を一瞥さへすれば其処には醜悪極まりない異形の吾がにたりと笑つて私を侮蔑してゐるのが解かる筈である。それ故に内界の闇に通じる闇を外界に齎すことを極力避けるべく日々人工燈の明かりの下に焦がれるのであらうか。闇の中でこそ《個時空》なる私が私であることを強要される場面はないのである。
 闇の中における《個時空》たる私を何とか私たらしめようとする自同律の不快のこの私を持続させる原動力を、現代人は不問に付すべく人工燈の明かりの下に身を寄せるのであらうか。
 私が私であるといふ覚悟は空前絶後の想像を絶する覚悟である。