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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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夢幻空花なる思索の螺旋階段

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彼の頭蓋内の闇にはその声が絶えず響き渡つてゐたのである。
彼は再び珈琲を一口口に含む。その珈琲は砂糖がたつぷりと入つた驚くほど濃い珈琲であつた。彼は煙草を銜えながらゆつくりと目を閉ぢたのであつた。
――どうしたものか、この私といふ存在は!
埴谷雄高風に言へばそれは正に自同律の不快に違ひなかつた。本当のところ彼は自分が持ち切れずに苦悩してゐたのであつた……。


沈下――断章 壱

睡眠とは不思議なもので、水面に仰向けで浮かんでゐる時に深々と息を吐くと身体が水に沈み込む如くに、何処か見知らぬ闇の水中世界へ沈下するやうな感じを私に抱かせるものであつた。私はそれ程睡眠時に至る瞬間について自覚的でもなくまた睡眠の瞬間には意識も夢現ないので本当のところは解らぬが、しかし、確かに睡眠に至るその瞬間は埴谷雄高も言ふやうに息を吐いた瞬間に違いないと思はずにはゐられなかつたのも確かである。私には、それが深い深い睡眠時だと尚更であつたが、睡眠が深い時は夢魔にうなされての息苦しさ――それは何処か水の底の底へ沈み込んでしまつた時の息苦しさでもあつた――で不意に睡眠が破られ目覚めてしまふ事しばしばであつたのである。それは正に息苦しくて空気を求めて堰を切つたやうに水底から水上へと顔を突き出しぶはぁ~つと息を吐く如きものとして私に深く深く刻印されてしまつたのである。多分に今見てゐるものが夢に違ひないと気付きながらも何とか白を切り夢の世界を見てゐるのだが、その様が息苦しくて息苦しくて私の意識は夢見から這い出るやうに私は頭蓋内で平泳ぎを泳ぐやうに腕を大きくかいて現実の蒲団に横たわつてゐる吾に還つてきてしまふのである。それはいつも大体同じであつた。多分ほんの束の間、夢に没頭してゐる筈であるが、暫くすると今見えてゐる世界は夢だと不思議に意識されてしまひ、しかし、それでも私は何としてでも夢見を続けたいのであるが私は溺れる者の如く息継ぎのために目覚めてしまふのが常であつた。だから私の眠りは浅く、夢といつても現実をそのまま映しただけのやうなもので夢特有の奇妙奇天烈な内容の夢を見てゐると途端に息苦しくなつて仕方がないのである。これは困つたことで多分これは一種の睡眠障害の症状に違ひなく、私はいつも寝不足気味で生活してゐるのである。困つたことに熟睡が決してできないのである。その淵源を辿ればきつと幼児期に途轍もない夢魔に襲はれたことのTrauma(トラウマ)に行き当たると思はれるが、多分、私にとつて睡眠時に夢を見ることは恐怖体験でしかなかつたのである。しかし、夢魔に襲はれ夢から覚めてはつと吾に帰り目をかつと見開き、暫く闇に包まれた部屋に身を横たへるその時間は、私には何となく好きな時間なのであつた。誰もが寝静まつた真夜中の闇の中に目覚めてしまふ自分のその存在のあり方は、何処か捨て難い魅力を持つてゐたのは確かである。多分、そのあたりに私の闇への偏愛の秘密の一端がありさうであるが、しかし、闇の中でかつと目を見開き何も見えない闇を先程まで見てゐた夢魔を祓ふやうにぼんやりと眺めてゐる時間は、私の思考をやがてフル回転させ、それは結局のところ無限へと誘ふのであつた。闇と無限について堂々巡りを繰り返すある種無意味な時間の魅力は筆舌に尽くし難い程私を虜にするのである。しかし、そんな魅力的な時間は長続きする筈も無く、暫くすると私は再び浅い眠りに陥るのが常であつたが、その眠りに陥る瞬間は、何処とも知れぬ深い深い深海の底へ沈み行く感覚を私に残すのであつた。その所為もあつてか醜悪な姿を曝す深海生物を目にすると私はついつい見蕩れてしまふのであつた。
――どうしてこんな醜い姿に進化したのだらう? 
これが深海生物を見るとつい自身に発する愚問の始まりである。
――不思議だ。深海の闇の中でこの生物は自己を自己として自覚してゐるのだらうか? もし、自覚してゐたとしてこの生き物にとつて《美》とは何なのだらうか? 餌を捕獲し深海の水圧に順応することに精一杯で、《美》などこの生物の概念の範疇には皆無なのだらうか? いやいや、そんなことはない筈だ。この生き物も大部分は《水》で出来てゐる筈だから深海の水圧はあつて無きが如きものでしかない筈で、深海に適応するなんて朝飯前の筈だ。それなのにこの姿を選び取つた主たる要因は何なのだらうか? 
と、深海生物に対する愚問は尽きる事が無いのである。
――もしや深海生物は夢現の中で存在してゐるのかもしれない! あの息を吐いて沈下する感覚の夢の中にゐるに違ひない! あつは。さうだとすると、このGrotesque(グロテスク)な姿も納得がゆくじやないか。全ては夢の賜物さ。妄想の仕業だ!


孵化

太陽内部の核融合反応によつて発生させられてしまつたガンマ線が未来の《光》になるべく太陽内部といふ強力な《場》から数万年かけて脱しなければならないその道程の険しさにも似て、或ひはわし星雲の中心部の積乱雲の如き柱状に屹立したGas(ガス)の雲塊の中で何万年といふ時間をかけて次々と誕生させられてしまふ星々が太陽風の如きPlasma(プラズマ)の嵐でもつて次第に吹き飛ばすGasの塵芥の晴れ行く様にも似て、受精卵といふたつた一つの細胞から何度も何度も細胞分裂を繰り返した末に雛にまで成長してしまつたその卵中の雛が、まだよちよちの真新しい嘴でこつこつと卵の殻を突つつき卵の殻をやつとのこと割つて外へ出ようとするその様は、さながら自己といふ名の《殻》に我慢がならずその自己といふ名の《殻》を割つて更なる新たな自己へと変容する自己超克の或る一つの形を見るやうで、孵化といふ新たな生命の誕生するその様は、しかし、卵の殻を割る途中で力尽き卵中で死んでしまふ雛も数多ゐることからも死と隣り合はせの大仕事であるのは間違ひないのである。しかしながら、殻を割らずにずつと卵の中に留まり続けることもまた死を意味するのである。故に現在の自己といふ名の《殻》は絶えず嘴で突いて割らなければならない宿命を、悲しい哉、自己は負つてゐるのである。現在を生きなければならないものにとつて自己満足若しくは自己充足なるものは御法度なのである。現在の自己の有様に満足してしまつたならばその時点で、哀しい哉、即、死を意味するのである。自己は絶えず自己といふ名の《殻》を破つて絶えざる自己変容を続けることを精子と卵子が受精してしまつたその瞬間から強要されてゐるのである。