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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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夢幻空花なる思索の螺旋階段

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「おおよそ世にあるものは、肉の欲、眼の欲、生命の誇りなり。感ぜんとする欲、知らんとする欲、支配せんとする欲。」これら三つの火の川が潤おしているというよりも燃えたつている呪われた地上は、何と不幸なことであろう! これらの川のうえにありながら、沈まず、まきこまれず、確乎として動かずにいる人々、しかもこれらの川のうえで、立つているのではなく、低い安全なところに坐つている人々、光が来るまであえてそこから立ちあがろうとせず、そこで安らかに安息したのち、自分たちを引きあげて聖なるエルサレムの城門にしかと立たせてくれる者に、手をさしのべる人々は、何と幸福なことであろう! そこではもはや傲慢が彼らを攻め彼らを打ち倒すことはできないであろう。それにしても、彼らはやはり涙を流す。それは、すべての滅ぶべきものが激流にまきこまれて流れ去るのを見るからではなく、その永い流離のあいだたえず思いつづけてきたなつかしい彼らの祖国、天のエルサレムを思い出すからである。

四五九
 バビロンの河は流れ、落ち、人を引き入れる。
 ああ、聖なるシオンよ。そこにおいては、あらゆるものが永存し、何ものも落ちることがない。
 われわれは河の上に坐らなければならない。下でも、中でもなく、上に。また、立つていないで、坐らなければならない。坐ることによつて、謙遜であるために。上にいることによつて、安全であるために。だが、われわれはエルサレムの城門では立ち上がるであろう。
 その快楽が永存するか流れ去るかを見よ。もしも過ぎ去るならば、それがバビロンの河である。


崖上にて

この頬を掠め行く風の群れの中にもしや鎌鼬達が身を潜め今直ぐにでも私の頬を切り裂くやうな朔風が断崖絶壁のこの崖の壁面を這ふやうに登つて来る中で、多少高所恐怖症気味の私は崖の際に打ち付けられた手摺りに摑まつて漸く下界の景色が味はへるのであつたが、その下界はといふとすつかり冬支度を始めた木々達の紅葉が誠に美しかつたのである。一方この朔風の上昇気流を上手く利用して鳶達が天空をゆつくりとゆつくりと輪を描きながら上昇し悠々と飛翔してゐるのであつた。
――地球の個時空の《現在》たる地表もまた波打ち起伏に富んだ《ゆらぎ》の下でしかその形象を保ち得ずか……。
さうなのである。《現在》とはのつぺりとした《平面》である筈は無く、高峰から海淵までの《現在》のずれが自然を自然たらしめる重要な要素なのは間違ひない。
――それにしても宇宙全体から見れば全く取るに足らぬこの地球の個時空の《現在》のずれは、しかしながら、人類にとつては最早畏怖すべきものであつて人類は自然外では一時たりとも生きられない羸弱極まりない生き物にも拘はらず、未だ反抗期の子供の如く自然に反発してみたはいいが、しかし、その結果人類は人類自身の手で滅亡する瀬戸際に人類自ら追いやつたその馬鹿らしさに漸く気付き始めたが、ところが、それは最早手遅れかもしれないのだ。
…………
…………
山上には古からの山岳信仰と仏教が絶妙に習合した地獄に見立てられた地も極楽に見立てられた地もあるが、成程、下界から見れば山は《過去》でも《未来》でもあり得る聖地に違ひない。死者達の魂が集ひし所でもあり神が棲む、否、山そのものが神たる霊峰として崇められてゐる。
と、突然と突風が私の身体を持ち上げんばかりに吹き付けて来たのである。
――ううつ。このまま眩暈の中に私自身が飛び込んだならば、さて、私は神の懐に潜り込むことで、私が神に成り果せるかな、ふつ。馬鹿らしい。ところが、人類は神に成らうと目論んでゐたのは間違ひない……。その結果が、巨大な墓石の如き鉄筋Concreteで出来た群棟に住む摩訶不思議な《高層族》が出現し、日々其処から誰かしらが飛び降り自殺をするどん詰まりの生活場に人類は引き籠つてしまつた……。さて、千年後、さう、高々千年後、この崖から私が今見てゐる景色を見る未来人は、さて、存在するのであらうか……。
私の心には巨大な穴がぽつかりと開いたのか、下界から吹き付けて来る朔風が私の心に開いたその巨大な穴をも吹き抜けて、私は何やら物凄く薄ら寒い不安の中に独り取り残されたやうに、下界の誠に美しい木々の紅葉を眺めながらも途轍もなく重苦しい孤独の中に独り沈潜して行くのであつた……。
しかし、
――だが……
と、この暗澹たる思ひを全て飲み込むと私は顔をくつと上げ次第に強まる朔風に真つ向から対峙するが如くに鳶が悠然と飛んでゐる虚空を睨み付けるのであつた。
――ふつ、千年後に生き残つてゐるのは何も人類でなくても良いじやないか。


陰翳――断章 壱

マラルメ詩集(【岩波文庫】鈴木信太郎訳)「エロディやド」より

               おお 鏡よ、
倦怠により その縁の中に氷れる冷かなる水、
幾たびか、またいく時か、数々の夢に悶えて、
底知れぬ鏡の淵の氷の下に沈みたる
木の葉にも似し わが思出を 探し覚(もと)めて、
汝の中に杳かなる影のごとくに われは現れぬ。
しかも、恐し、夕されば、その厳しき泉の中に
乱れ散るわが夢の裸の姿を われは織りぬ。

影に一旦魅せられると最早其処から去れぬなり。何故か。それは将に影即ち《物自体》の影を映す鏡也故。
吾、今宵もまた闇の中に埋まりし吾部屋で和蝋燭を点しける。Paraffin(パラフィン)で出来し西洋蝋燭は炎が殆ど揺らがぬ故に味気なし。脈動する陰翳の異形の世界に浸るには之和蝋燭に限るのみなり。
――ゆあゆあ……ぽつぽつ……ゆあゆあ……
と点りける和蝋燭がこの吾部屋の心臓なりし。和蝋燭の炎の強弱絶妙なりし。和蝋燭の炎が弱まりそれ故一瞬の闇に包まれし吾部屋の静寂、ぱつと和蝋燭の炎が強まりしと同時に物皆その面を此の世に現はしきらりと輝きし。其の様、何とも名状し難き趣あり。
――吾、此処ぞ。
――吾も此処ぞ。
――吾もまた此処ぞ。
と物皆、己の存在を無言で表白するなり。さはあれ、然りしも、物皆の陰翳、ここぞとばかりに深き闇に変貌するなりしが、其の闇に溺れし異形の物達もまた無言の煩悶する呻き声を彼方此方で発するなり。
――無限の物の相貌が和蝋燭で生じし陰翳の深き闇の泉の中に生滅しては
――吾、何ぞや。
と哀しき哀しき無言の嘆きに満たされし吾部屋の中、独り、吾もまた
――吾、そもそも何ぞや。
と深き懊悩の中に沈みける。
唯唯、明滅する和蝋燭の揺らげき炎を凝視する中、吾の頭蓋内の深き深き闇に異形の吾が無数に生滅するなり。
――これも吾。あれも吾……。
と、思ひながら、吾、不意に吾暗き頭蓋内に独り残され、怯え顫へる侏儒の哀れなる吾を見つけし。その侏儒の吾が不意に此方を振り向きし時のその面、醜悪なる美といふか、紊乱し醜と美と煩悩とが渾然となりし無様な異形の吾の面に魅入られし吾に対する不快、これ名状し難きなり。
――自同律の不快……。
其の刹那、吾、不敵な嗤ひを浮かべ、侏儒の吾に向け罵詈雑言の嵐を浴びせし。
――ふつふつふつ。
と侏儒の吾も不敵な嗤ひを浮かべ吾を侮蔑するなり……。
吾部屋では独り、和蝋燭のみ恬然と点り続けし……。