夢幻空花なる思索の螺旋階段
――成程、これが《虚》の世界か。あの神秘的な光の帯が未だ出現ならざる未出現の存在体の秘術なのか。埴谷雄高は『死霊』を完成させずに彼の世に逝つてしまつたが、何やら《虚体》の何たるかは解つたぜ、ふふつ。
「零の穴」。それは存在以前の《もの》ならざる波動体――これを「虚の波体」と名付ける――が横溢する所謂数学的に言へば虚数の世界、つまり確率論的な波が無数に存在する《もの》なれざる《もの》が犇めき合ふ世界なのであつた。
そして、あのAuroraのやうな神秘的な光ならざる光の帯こそ「虚」が「陰」に変化(へんげ)した、これまた未だ出現ならざる未出現の存在――これを「陰体」と名付ける――なのだ。埴谷雄高においては「虚の波体」と「陰体」とが未分化まま虚体の正体が明かされることなく永劫に未完のまま『死霊』を終へてしまつたが、さて、「陰体」とは数学的に言へば虚数を二乗して得られる負の数のことで、この「陰体」を更に具体的に言へば、闇の中にひつそりと息を潜めて蹲つて存在してゐる《もの》のことでそれらは「光」無くしては其の存在すら解らぬままの永劫に未発見の存在体のことである。
――Eureka !
「零の穴」の奥に向かつてかう私は叫んだのであつた……。
そして、人心地ついた私には、作曲家、柴田南雄の合唱曲のやうな旋律ならざる声の束がやがて風音に聞こえてくると言つたら良いのか、そんな「零の穴」を吹き抜ける一陣の風の噎び泣く音ならざる音が今も私の耳にこびり付いて離れないのであつた。
瞼考 弐――過去にたゆたひ未来にたゆたふ
物理の初歩を知つてゐるならば距離が時間に、時間が距離に変換可能なことは知つてゐると思ふが、さうすると、《私》から距離が存在してしまふといふことは悲しい哉其処が《過去》の世界といふことを意味してゐるのである。つまり私といふ存在は《過去》の世界の中に唯独り《現在》として孤独に存在してゐるのである。
――其処。
と私が目前を指差したところで其処は最早《過去》に存在する世界なのである。
これは考へやうによつてはとても哀しいことであるが、私たちはこれが普通のこととして受け入れてゐるである。
しかし、不思議なことにここで一端到達すべき目的地が《現在》である《私》の側で発生するとその目的地は《過去》の世界にありながら《過去》から到達すべき《未来》の世界にあれよと転換してしまふのである。つまり、《過去》は到達すべき《未来》に、到達した《未来》は再び《過去》にと《未来》と《過去》は紙一重の関係で《過去》と《未来》は入れ替はりが可能な摩訶不思議な関係にあるのである。
さて、先に《現在》が私であると言つたが、それはつまり《過去》か《未来》の世界の孤島として存在する《現在》の私自体の《現在》はと更に問へばそれは外界と距離なく接してゐる皮膚の表面といふことになるのである。さうすると《現在》の私から負の距離を持つ私の内界は当然《未来》といふことになるが、しかせうくよく考へてみると私の内界では《未来》も《過去》も関係なく《現在》に置かれてしまつた《私》の意識はある種自在感を持つて《過去》と《未来》を行き来してゐるやうにも思へるのだ。
つまり、私は《過去》でも《未来》でもない《現在》といふ処に保留されたまま存在してゐるといふことになる。だから瞼を閉ぢて出現する闇に《未来》も《過去》も関係ない《現在》といふ表象が浮かんでは消え、また浮かんでは消えてを繰り返し、私は《現在》で逡巡しながら《未来》へと歩み出してゐるのである。
ところが《もの》たる肉体をもつてしまつた私の内界には限りがある。つまりそれは死を必然のものとして賦与されてゐるといふことである。さうすると中原中也の『骨』といふ詩が不思議に味はひ深いものとなつてくるのである……。
中原中也の『骨』の出だし――
ホラホラ、これが僕の骨だ、
…………
…………
――つまり、骨が《私》の到達すべき《未来》たる《死》!
カルマン渦 断章 弐
時空がカルマン渦を巻いてゐる光景は誰しも目にしてゐる筈で、それは主体が動くといふ行為をすると時空のカルマン渦は必ず発生してゐるのである。一番それが解るのは電車から見える窓外の光景でそれが無限遠の近似を中心に渦を巻く時空のカルマン渦であることが一目瞭然である。
すると主体は左右の時空のカルマン渦の間に生じた《現在》といふ狭間にしか存在出来ない哀しい宿命を背負つてゐる存在を電車の窓外の光景を見ながら噛み締めつつも、例へばここで主体の《存在》の仕方を《個時空》と名付けると此の世の存在物は皆《個時空》といふことができる。
さて、そこで《個時空》は主体だけの現象であるが、ここで更に主体が《他者》の存在を考慮に入れると途端に客体に転換するけれども《他者》にとつて客体と化した私はその《他者》といふ何物かが出現させた《他者》による時空のカルマン渦に絶えず巻き込まれてしまつてゐるのである。
…………
…………
――二つの《個時空》が同時に同じ場所に存在できる《超越》といふ事象を、さて、人間は成し遂げることが、未来の何時か成し遂げることが出来るのだらうか……
――お互ひ同士波と言ふ音を使つて会話が出来るではないか。
――ふむ。しかし、人間は同一空間に二つのものが同時に存在する様を夢想する生き物なのだよ。
――はつは。お前は此の世に存在し存在した全生物に変態しながら同一空間に二人の人間が存在してゐた時期を忘れてしまつたのかね。つまり《個時空》が全く同じである二人の人物が一人として此の世に存在する奇跡の時間を……
――……
――よおく考へてごらん。きつとお前なら思ひ当た.る筈だから……
――ふむ……
――お前は宇宙の始まりからずつと此の世に存在してゐたのかね、ふつ。
――はつは。そうか母胎の中だね。受精卵といふ一つの球体から此の世に存在するあらゆる生物に変態し、全生物史を十月十日で体験する胎児の時代か……
――さうさ、お前の母親と胎児のお前は同一の《個時空》に存在してゐたんだぜ。
――つまり、誕生は《楽園》といふ胎内からの追放か……。存在の悲哀、汝其は吾に何を与へ給ふたのか……。
――へつ、生老病死さ……。
髑髏(されかうべ)
漆黒の闇に包まれたその虚空には遠くで鳴り響く天籟のかそけき音が幽かに耳に響くのを除けばその虚空もやはり闇以外の何物でもなかつた。彼にとつて闇は無限といふものへ誘ふ何か奇妙に蠱惑的な神秘を惹起させるもの以外の何物でもなかつたのである。彼にとつてその闇の虚空を覗く時間は至福の時であつたのだ。
彼の机の左上にはいつも彼が学生時代に手に入れた古代人の髑髏が一つ置かれてあつた。初めは唯研究目的で手に入れたその髑髏は何時の頃からか彼を無限へ誘ふ装置として欠かせないものとなつてしまつてゐたのである。
最初は何気なく髑髏の窪んだ眼窩を意味もなく覗き込んだだけのことであつたが、それが彼の胸奥に眠つてゐた何かと共鳴したのか仕舞ひには髑髏の眼窩を覗き込むことが病みつきになつてしまつたのである。
作品名:夢幻空花なる思索の螺旋階段 作家名:積 緋露雪