夢幻空花なる思索の螺旋階段
さて、しかし、時計の針が動く様を凝視してゐた在る時、不意にこの時計の針を無限大にまで引き伸ばしに引き伸ばしたならば、さて、時計の針は進めるのだらうか? といふ疑問が湧いたのであつた。例へば秒針が無限大の時、一秒針が進むのでさへ∞の円周を秒針は回転しなければならない筈である。さて、さて、Aporia(アポリア)の出現だ。
其処で私の思考はx0 = 1(x > 0):0より大きい数の 0乗は 1 となるといふ処へ飛んだのであつた。ここで時計の針を無限大にまで引き伸ばすのは断念せざるを得ないのではないかといふ考へが閃き、つまり、時計の針を引き伸ばしても針が進める境界域が存在し、それが個時空ではないのかといふ考へに思ひ至つたのであつた。その個時空ではx0 = 1(x > 0):0より大きい数の 0乗は 1 となるといふ、時空の大河に生じた時空のカルマン渦といふ個時空が存立する。そして、其の個時空の境界外は∞の0乗の世界ではないのかと考へたのである。即ち、その∞の0乗がこの宇宙を流れる時空の大河の正体に違ひないと直感したのであつた。そして、∞の0乗が一になつた瞬間この宇宙は死滅する。私は常々x0 = 1(x > 0):0より大きい数の 0乗は 1 となるといふことは《死》を意味してゐると看做して来たのである。0乗は生の一回点、即ち、一生の終着点といふ《死》を意味してゐると看做して来たのであつた。それ故∞の0乗が一になつた瞬間にこの宇宙は死滅するのである。
更にこの個時空といふ考へに従ふと、物理学を始めとするこれまでの時間の扱ひ方――私は常々この時間の扱ひ方が時間を侮蔑してゐると考へてゐる――からすると
で定義されるストークスの定理は必然であつて、さて、物理数学がストークスの定理以上に《渦》に接近な出来ない以上《渦》にお手上げなのは必然なのである。
さて、時間が進むといふ事は時々刻々とx0 = 1(x > 0):0より大きい数の 0乗は 1、即ち、xで《象徴》されてゐる微小な微小な小さな小さなxといふ零の形をした《渦》状の《存在》であるところの小さな小さな小宇宙が一つ消滅してゐるといふ事であつて、つまり、時々刻々と《宇宙》が消滅し続けてゐるのである。将に此の世は《諸行無常》である……。
蝙蝠(こうもり)の番(つがひ)、雪中に舞ふ
私個人の身に起こつた或る出来事と相前後する数年間、我が家の屋根裏に先づ、多分、雄の蝙蝠が棲み付き、そして、翌年、雌の蝙蝠も棲み付き、それから数年間、私を見守るやうにその番の蝙蝠が屋根裏に棲み付いたのであつた。その番は毎年、子を育み時折私の様子を窺ふ為にか私の部屋に何度も潜り込み暫く私と蝙蝠の追い駆けつこを愉しんだ後に私が素手でその、多分、雄の蝙蝠を捕まへるのを常としてゐた。
私の素手の中のその愛くるしい蝙蝠は思ひの外温かくビロードのやうなその毛並みがとても心地良く、また、素手の中でその蝙蝠は逃げやうとも、暴れることもなく、抛つて置けばずうつと私の素手の中に居続けてゐたかのやうな具合で、私とその蝙蝠の番とは人知れぬ絆のやうなものが芽生えて行つたのであつた。
例へば夕刻、燕と入れ替はるやうに田圃へ補虫しに行く時などは埴谷雄高著『死霊(しれい)』の登場人物である運河沿ひの屋根裏部屋に住む黒川健吉と蝙蝠の関係を思はずには居られないのであつた。我が家の屋根裏に棲み付いた蝙蝠の番は「挨拶」はしなかつたが、がさごそと屋根裏で物音を態と立てて捕食に飛び出して行くのであつた。
――今日も餌を捕りに出掛けたか。
と、毎日その蝙蝠の番の動向を気に掛けながらの何とも愉しい日々が続いたのであつた。そんな日々の中には蝙蝠の番の子育ての奮闘の日々も当然含まれてゐる。それは不思議なことであるが子が生まれたからといつて屋根裏の物音は変はらないにも拘はらず《気配》で子が生まれ今乳を飲んでゐる等眼前でその様子を見てゐるが如く解つたのであつた。今考へてもそれは摩訶不思議なことである。
さて、さうかうする内に私の身に運命を左右するほどの重大至極な出来事が起こつたのである。その時期私は心身共に疲弊困憊の状態に陥つたが、蝙蝠は時々私の様子を窺ひ愉しませる為にか私の部屋に潜り込んでは私を元気付けてくれたのである。
そんな日々が数年続いた後、この地方では珍しく十二月に大雪が降つた在る日のことであつた。
真夜中にその雪明りの白黒の荘厳美麗な世界が見たくて南側の窓を開け一面の銀世界に目を遣ると蝙蝠の番が何やら求愛のDanceのやうな情熱的ながらも華麗で優美に飛翔し舞つてゐるのであつた。それはそれは一面の銀世界に映えて美しいの一言であつた。
その時、私はそれはこの天の川銀河と何億年後かには衝突する筈のアンドロメダ銀河の輪舞を見るやうな錯覚に陥つたのである。そのアンドロメダ銀河との衝突時には既に太陽系も人類も此の世から消滅してゐる筈だが、しかし、星々が爆発的に誕生するStar burst(スターバースト)で生まれた何処かの恒星の水の惑星で再び生命は誕生し、死滅した人類の外、此の世に存在した全生物の意思若しくは思念を受け継ぐ形で生命が新生する世界が出現する筈であらう等等想像しながら蝙蝠の番の美しい舞ひに見入つてゐたのである。
すると、その蝙蝠の番は互ひに旋回しながらゆるりと上昇し、不意に雪明りの闇夜の中に消えたのであつた。それは私への別れの舞ひだつたのである。
私はといふと蝙蝠の番が消えた闇夜の虚空を凝視するばかりであつた……。
太虚、吾が頬を撫でしや
※ 註 太虚(〈広辞苑より〉【たいきよ】:①おおぞら。虚空。②宋の張載の根本思想。窮極なく、形なく、感覚のない万物の根源、即ち宇宙の本体または気の本体。)
激烈で豪放磊落なる稲妻の閃光を何度も地に落とし轟音で地上を震はせた末にやつと巨大な雷雲が去り往く其の時、吾は南の太虚を見上げし。其処には未だ黒雲が地を舐めるが如くに垂れ籠め、北へ向かつて足早に流れし。其の様、将に太虚が濁流の如き凄まじきものなり。巨大な大蛇の如くとぐろを巻く其の濁流が如き上昇気流は地に近い程流れ行く其の速度は遅くなりし故、一塊の山の如し黒雲が其の気流より取り残され、更に其の黒雲の一部が千切れ、そして、それが取り残され、其の場に留まりし。あな、不思議なりや。其の取り残されし黒雲、見る見るうちに半跏思惟像の菩薩に変容せしなり。すると
――悔い改めよ、悔い改めよ。
と其の菩薩が説法せし声が吾に聞こえるなり。
――すは。
其の黒雲の菩薩、忽然と吾に向かつて動き出しや。
――悔い改めよ、悔い改めよ。
其の黒雲の菩薩、凄まじき速度で吾の上空を駆け抜けるなり。と、突然、辺りは漆黒の闇に包まれ、吾もまた其の闇に溶けしか。其処では既に自他の堺無く、唯、漆黒の闇在るのみ。
――あな、畏ろしき、畏ろしき。
吾、瞼を閉ぢ、只管に祈りしのみ。
――吾を許し給へ。吾、唯の凡夫なり。吾が生きし事自体罪ありと日々懺悔セリなり。あな、吾を許し給へ。
――莫迦め。はつはつはつ。
作品名:夢幻空花なる思索の螺旋階段 作家名:積 緋露雪