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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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夢幻空花なる思索の螺旋階段

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一方、首を落とされた雄蟷螂は想像するに、多分、恍惚の中に陶酔したまま彼の世に逝つた筈である。生物史を見れば『性』と『死』は表裏一体の切つても切れない仲なのは明白で、雄蟷螂の死は『自然』の『慈悲』が最も良く具現化された『極楽』に思へてならないのである……。
さて、これは多分私だけの現象に違ひないが、快楽のみを求めて無用な性行為をしてゐる人間の男女は異様な瘴気を放つてゐて、私はそれを幻臭と名付けてゐるが、彼等は『死臭』若しくは『腐乱臭』の幻臭を放つてゐるのである。当然のこと、私が彼らの傍らを通り過ぎると幻臭に襲われ嘔吐するのである。そして、彼等は総じて老けるのが早く『醜悪』極まりないのである。
ランボーだつたかボードレールだつたかマラルメだつたか忘れてしまつたが、フランスの詩人のギロチンをMotifにした詩を読んだ記憶があるが、私が思ふにギロチンで死に逝く者は幸福なのかもしれないと、蟷螂が教へてゐるやうな気がしてならないのである。ギロチンが落とされ斬首された首の持ち主は、消え行く意識の中、多分、首は自由落下してゐるので『天上』へ向かつて飛翔してゐる『錯覚』と『陶酔』の中で死んで逝つてゐる筈である……


考へる《水》 弐‐ 『湯船、若しくは擬似胎内』

水分子間の水素結合……これが諸悪の根源なのか……。
純度百%の超純粋水は一時も『吾』たる事に堪へられず、手当たり次第に『他』の物質を水たる『吾』に溶解させ、『不純』なる水に、即ち、『不純』なる『吾』に変容することを渇望して已まない……
故に、『吾』、既に『吾』為らざる『吾』たり。
水分子間の水素結合が生体に不可欠なたんぱく質のその立体構造を生成するのに重要な役割を果たしてしまつてゐることは周知の事実であるが、この水分子間の水素結合が此の世の『寛容』の、即ち、『神』の『寛容』の淵源か。
…………
…………
或る日、私が湯船に浸かると不意に口から出た言葉があつた……。
――『初めに言葉ありき』(新約聖書の「よハネによる福音書」より)。否、『初めにLogos(ロゴス)ありき』。
さて、一神教の世界に『無』は在るや。
――基督教が生まれた中東も含め、西洋の『言葉』は全て横書きなのは『天』に、若しくは『頭上』に厳然と『神』が坐し給ひしためなり……、即ち、それは『有』が全ての創造物の前提になつてゐるからか……。其処には『無』は有り得ず、『空虚』若しくは『真空』のみ有る……つまり、全ての根源が『有る』事が前提なのか……
――つまり、一神教の世では『人』が直立するのに『自力』で地に立つのではなく、『神』が『既に』人を地に立たせてしまつてゐる……、つまり、其処には『白紙』の『紙』は存在せずか……
――一方、『初めに言葉無き』極東のこの地では『臣安萬侶(やすまろ)言(まう)す。 夫(そ)れ混元既に凝りて、氣象未だ效(あらは)れず。 名も無く爲(わざ)も無し。 誰か其の形を知らん。 然れども乾坤初めて分れて、參神造化(ざうけ)の首(はじめ)と作(な)り、陰陽(めを)斯(ここ)に開けて、二靈群品の祖(おや)と爲りき。 所以(このゆゑ)に幽顯に出入して、日月目を洗うに彰(あらは)れ、海水に浮沈して神祇(身を滌(すす)ぐに呈(あらは)れき。 故(かれ)、太素(たいそ)は杳冥なれども、本敎に因りて土(くに)を孕み嶋を産みし時を識(し)れり。』(古事記 上つ卷から) ……云々。つまり、初めに『無』ありき。
――それで?
――この極東の地で『人』が地に直立するには『自力』で、つまり、『神』無しに『立つ』外無し。
――それで?
――然れば、先づ『人』は此の世に『天地』を定めるなり。
――そして?
――『人』、『白紙』の如し。故に極東のこの地では『人』が直立するべく『無』たる『白紙』に縦書きで『字』を認(したた)めし。縦書き為らずばこの極東の地に『人』、即ち『直立』出来難し。
…………
…………
また、湯船の中で次の言葉が不意に口に出た……。
――『胎内瞑想』。
これは埴谷雄高が暗黒舞踏の創始者、土方巽について書いたEssay(エつセイ)の題名……。
――『舞踏とは命がけで突つ立つ死体』(土方巽)。
――この湯船の中……、『水』によつて『浮揚』する……『吾』……
――さて、胎児は羊水の中で『浮遊』しながら何思ふ……、ふつ。


〈現在〉からの遁走の末~The Concrete Jungle

外界に於ける「過去」と「未来」が《主体》次第で何時でも転換可能だといふ事、つまり、此の世は《個時空》といふ《渦時空》、例へば《主体》の《個時空》や《地球》の《個時空》や《太陽系》の《個時空》や《天の川銀河》の《個時空》等々のそれぞれの《渦時空》が各々相互作用しながらも個々に存在してゐると考へられるのである。去来(こらい)現(げん)、つまり、過去、現在、未来は私見であるが全て《渾沌》の中で《渦》を巻いてゐるのである。
更に妄想を肥大させるともしかすると此の世には渦状の《螺旋》を形作る《宿命次元》若しくは《運命次元》が《個時空》各々に存在し、その《宿命次元》若しくは《運命次元》が《主体》それぞれを貫いてゐるやうに思ふのである。生物について言へばその《宿命次元》若しくは《運命次元》は《主体》の二重螺旋のDNAと相互作用を及ぼし合ひながら《主体》の生老病死を決定してゐるやうに思へてならないのである。
例へば交通事故で死す人々を思ふと此の世の無情の《不合理》に怒りすら覚へ、『何故あの人が……』と死への疑問を覚へながらも、其の反面、胸奥では『これがあの人の《運命》だ……』と何処かである種の諦念にも似た思ひを抱き変に納得してゐる自分がゐるのであるが、不思議なものであるが《宿命次元》若しくは《運命次元》が確かに存在すると考へれば尚更納得出来てしまふのである。
多分、《宿命次元》若しくは《運命次元》は確かに存在する……
例へば、各々の《主体》の《宿命次元》若しくは《運命次元》が縄を捩るやうに互いに巻き付けばそれは《仲間》やら《友人》やら《恋人》やら《伴侶》やら《家族》やらになる筈で、一方互いの《宿命次元》若しくは《運命次元》が《垂直》に互いの次元をぶつた切るやうに交はればそれは交通事故死のやうに《死》を齎すに違ひないと思はれる……
さて、The Concrete Jungle(コンクリートジやングル)と異名を持つ都市の景色を見渡すと、先づ、《地球》の《個時空》の《現在》たる地肌をAsphalt(アスファルト)やConcreteで蔽ひ此の世を《過去》へ無理矢理に追い遣つて《現在》から遁走してゐるのである。つまり、《主体》は《地球》の《過去》の世界で敢へて《現在》を《永劫》に追い求める《仮象》の中で生きる《倒錯》の中に存在してゐるやうに思へてならないのである。つまり、都市に住む現代人は全て《現実逃避》の中で生きるといふ無責任極まりない生き方をしてゐるのである。そもそも《現実》は不便なもので《便利》とは、即ち《現実逃避》の別名である。そこで、もし自然が今直ぐにでも憤怒の鉄槌を人類に下して人類の数を半減させなければ今の自然環境は打ち壊れ、多分、昆虫と人類以外の殆どの生物は絶滅する筈である。