Cloak
礼子はそう言うと、エンジンを止めた。わたしは助手席から降りて、空気を吸い込んだ。からっとしていて、鼻の奥が少しくすぐったい。花粉症ならくしゃみを百回しても収まらないぐらいに、何かが飛び交っているのだろう。三橋家は二階建てで、こじんまりとした庭もある。わたしがリュックサックを背負いなおしたとき、その引き戸ががらりと開いて、白髪が少しだけ増えた両親が並んで出てきた。
「舞衣子、おかえり」
お父さんがそう言って、お母さんも口角を上げた。三年振りだから、そんなに新鮮味はない。それどころか、二人とも記憶の通りで、お父さんの着ている薄茶色の部屋着や、お母さんの変な柄のエプロンすら、当時と変わっていない。
「ただいま。そのエプロン、懐かしい」
わたしが言うと、お母さんは視線を自分の体に落として、笑った。
「そうやね。あるもんで、頑張らな。なんでも大事に使わんと」
そう言って胸を張る二人は、四十代後半。そこまで倹約するような感じの年齢でもない気がする。会話が止まり、わたしが礼子の方を向きかけたとき、お父さんが言った。
「怪我の痕を治したって、礼子から聞いとるよ」
「そう、見て」
わたしは腕を捲った。あの蛇のような傷跡は、もう跡形もない。二人が顔を近づけてきて、腕に息がかかった。
「はあ〜、すごいねえ」
お母さんが言い、明るい笑顔をお父さんに向けた。お父さんも同じように、光に当てるように角度を変えながら、傷跡を見ている。
「ちょっと、もういいでしょ」
わたしがそう言って腕を引くと、二人は我に返ったように顔を引き、繕うように笑った。
「ごめんごめん、あまりに綺麗になくなるもんやから」
お父さんがそう言って、玄関を手で示した。
「なんも、変わってないよ」
わたしは足を踏み入れて、靴が多いことに気づいた。お母さんが隣をひょいとすり抜けて家に上がると、言った。
「一条さん夫妻と、智則くんが来とるからね。挨拶は後でいいから、ゆっくりしといで」
言われるままに二階へ続く階段を上がり、わたしは一度振り返った。みんな、客間にいるのだろうか。一条夫妻はどうでもいいけど、礼子の夫になった二宮智則がどんな感じかは、結構気になる。わたしは後ろ髪を引かれながら、戻るわけにもいかずに階段を上がりきった。丸い文字で『まいこ』と書かれたピンク色の札がかかった、かつての巣。わたしは自室のドアを開けた。微かに埃は舞っているけど、綺麗に掃除されている。すでに暖房のスイッチが入っているし、ベッドの上に掛けられた布団はチェックインしたばかりのホテルみたいに整えられていて、勉強机の上は、高校を卒業して出て行くことが決まったときの決意が、まだそのまま残されているようにすら感じる。
『もう、戻らんから』
確か、そんなことを勉強机に語りかけたのだと思う。いや、戻ってきたけどね。一泊しかしないけど。いや、てか一泊するんだな。
ふと思う。感謝の気持ちというのが、わたしには本当にないんだなと。
わたしが勝手に色々と懐かしめるのは、部屋だけでなく、車から服まで当時のものが全部残っているから。つまり、誰も新しいものを買っていないからだ。都会での生活は、全てが使い捨てだ。そもそも、日用品のほとんどは修理できるように作られていない。でも、この集落にあるものは全て、六星家が寿命を引き延ばしている。
ずっとそうだったかと言えば、そうでもなかった気もする。わたしが小さかったころに両親は車を今のデミオに買い替えているし、この部屋にだって、いわゆる『甘やかされ期』に買ってもらったものがたくさん置いてある。
お年玉をもらえなかった、小学三年生に上がる年の正月。恨み言を言いたいわけじゃなく、ただ不思議だったのだ。鏡餅もなく、去年の続きみたいに平然と過ごす正月は、他の年と比べると明らかに異質だった。そして、わたしが怪我をした次の年からは、それが普通になった。わたしは、この傷跡と付き合っていく覚悟を決めるのに必死だったから、正月なんてイベントは部屋でごろごろしているだけの休日としか思えなくなっていた。でも、こうやって後から振り返れば、『甘やかされ期』が中断されたのは、たった二回だったということになる。
わたしは机の棚をひとつずつ開けていった。筆記用具と、先端にまだ消しカスが残っている消しゴム。シャーペンと消しゴムと紙で何かをしていた、当時のわたし。たった三年なのに、こんなに懐かしく感じるなんて。二段目は使わなくなった参考書と、卒業証書。最後の段に手をかけたとき、わたしは自分の癖を思い出した。三段目は、『見たくないもの』だ。捨てればいいのにそれだけはしないのが、いかにも昔のわたしって感じがする。でも、何も変わっていないのだろう。そもそも捨てられる性格なら、こうやって戻ったりしていない。わたしは意を決して、三段目を開いた。
写真アルバムや、あちこち傷がついて掠れた手袋、耳当てがついた帽子。
冒険のための道具だ。子供が怪我をしないよう最大限配慮された集落であっても、子供は怪我をする。むしろ、怪我をしたがるために危険な場所へ誘われていく。そういうものなんだと思う。岩場だけは怪我をした日以外に近寄ったことはなかったけど、この手のアイテムは、必須だった。こうちゃんと遊ぶときは、特に。
昔の呼び名がふと浮かんで、わたしは三段目をそっと閉じた。
その呼び名は、『こうちゃん』から『幸平くん』へと変遷していった。その切り替わりのタイミングは、仲が良いのを周りに見せつけていた時期から、名前だけ距離を置いて仲の良さを隠す時期へ変わっていったのと、ほぼ同時だったと思う。それはお互い様で、先に呼び名を変えたのは、幸平のほうだった。中学三年生のときに突然、わたしはマイコから三橋さんになった。
もう一度三段目を開いて、わたしは写真アルバムを取り出した。
一枚目は、十年ほど前。小学四年生のわたしと、六年生の幸平。使い捨てカメラを駅前のスーパーで現像してもらったものだ。白っぽい指がレンズにかかっているから、撮ったのはおそらく、当時中学一年生だった礼子。二枚目は、幸平のお父さんと、その真横でポーズをとる幸平、そしてそれを呆れて見ているわたし。後ろには、あのホンダライフ。三枚目は、小学校の卒業式から帰ってきたわたし。すでに中学生で詰襟を着た幸平が隣に立ち、わたしの頭の上に手を持って来て、背が高くなったアピールをしている。後ろには、礼子の夫になった二宮智則や、一条和樹が写っている。全体的に人があちこちにいて、活気がある。わたしは反対側からアルバムを開いた。最後の写真は、中学校の卒業式が終わって、集落に帰ってきたときに撮られたもの。高校を卒業した幸平は私服で、わたしは中学校の制服を着ている。後ろには、普段着のまま家から出てきたらしい、わたしの両親。礼子は、例の高校のロゴが入ったダウンジャケットを着ていて、手に紙袋を持っている。みんな、何かの途中だ。
『暗すぎるんやけど』