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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Cloak

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 つまり、このライフは礼子の車なのだ。視線を外したわたしは、礼子が着ているダウンジャケットに高校のロゴが入っていることに気づいた。
「それ、冬服?」
「懐かしいっしょ」
 礼子はそう言って腕を広げたが、わたしは所々飛び出た糸の方が気にかかった。暮らしぶりについて聞く機会はなかったが、二宮家は物を買わないのだろうか。
「あの洋食屋さんって、まだあるのかな?」
 スーパーの方向を見ながら言うと、礼子は首を傾げた。
「何年も行ってないから、分からんね。ご飯は家で用意していると思うけど。張り切っとったよ」
「じゃあ、食べない方がいいか」
 わたしが首をすくめると、礼子はスーパーの看板をじっと見つめた。まるで、結界が張られていて、それが自分にだけ見えるみたいに。
「大丈夫?」
 思わず訊くと、礼子はうなずいて運転席のドアに手をかけた。わたしはほとんど同時に、助手席のドアノブに指を引っかけた。ヒビが入りそうな感触や、ドアの重さ。手が頭の代わりに色々なことを思い出している。
「懐かし……」
 ダッシュボードの助手席側にぶら下がっているのは、メッキがぼろぼろに剥げたカップホルダー。エアコンの送風口に留めるタイプで、夏場は飲み物が勝手に冷えてくれるから重宝していた。礼子は運転席に乗り込むと、シフトレバーをDに入れた。車体ががくんと沈みこんで、わたしは思わず笑った。
「アトラクションみたい」
「まだまだ走りよるよ」
 礼子はロータリーから出ると、密度の高い森を目指してライフのアクセルを踏んだ。
「仕事はどう?」
「正社員だからさ、ようやくレールに乗れたって感じ」
「立派にやっとるねえ」
 礼子はそう言うと、結婚指輪がはまった薬指を良く見えるように持ち上げた。
「こんなんなったら、終わりよ」
「姉ちゃんがそんなこと言うなんて。二宮さん、いい人でしょ?」
 二十代前半で結婚しているというのは、今の基準なら早いのかもしれない。薬指を引っ込めた礼子は、わたしの言葉をしばらく噛み砕いていたらしく、車体の右側から微かに聞こえる地鳴りのような音だけが、車内を満たした。
「うーん。いい人では、あるんやけどね。二宮家と三橋家がくっつくなら、智則くんとわたししかおらんかったから」
 礼子の言葉は、現代の基準に当てはめなくても、どこかおかしい。そういうよく分からない『ルール』を耳にするたび、わたしの頭の半分が無意識に『そうだよね』と答えていて、自分がだんご岩の出身であるということを思い知らされる。
「ほとんど話したことがないんだけど。どんな人なの?」
「智則くん? だんご岩の男って感じやね。説明できんな。六星のお父さんとも上手くやっとったし、器用なタイプではあると思う」
 礼子は山道に入りながら、すらすらと言った。わたしは新命の標識を探した。十五分ほど走った辺りで曲がった看板が姿を現し、その全く変わらない様子に、わたしは思わず言った。
「これ、今でも命って書くんだね」
「こっちが正式名称やからね」
 片側一車線だった道はいつの間にか対面通行の一車線になり、三十分ほど走った辺りでさらに狭くなった。上り坂の勾配も徐々にきつくなって、つづら折りを抜けた辺りで礼子が言った。
「ここは、どう工事が入ってもあかんね」
 くねる山道をしばらく走った後、農道の分岐を折れて石畳でできた橋を渡り、礼子は森の真ん中を突き抜けるように山道を進んだ。誰からも相手にされない『八田家』の木造家屋が建っていて、その脇に転がる大きな丸い岩を見つけたとき、わたしは礼子の肩をぽんと叩いた。
「着いちゃった。八田さんって、元気にしてるの?」
「もう、おじいしかおらんけどね。今は入院しとるから、無人やわ」
 礼子はそう言うと、ハンドルを右に切って八田家の手前にある大きな水たまりを勢い良く踏んだ。これも『しきたり』のひとつ。八田家の人間は、上流に住む人間が前を通るときは家の中にいなければならない。出ていても誰も文句を言わないけど、礼子がやったみたいに水たまりを跳ね上げられたり、ロクなことが起きない。
 本当に、こういうのって変わらないんだな。わたしは、礼子の整った横顔をちらりと見た。子供のころは意識すらしていなかったし、八田家のことをいないものとして扱っていた。こうやって外から戻って来ると、それがどれだけ異常なことか、よく分かる。わたしも含めた子供はみんな、村八分にされることを『八田送り』と言って、ギャグのように連発していたっけ。
 実家に戻るのは気が進まなかったけど、正直なところ、興味は焚火の跡のように少しだけ燻ぶっている。子供のころに過ごしていた場所が、大人の目だとどういう風に見えるか。その記憶を丁寧に包んで大都市に持って帰り、部屋の奥に仕舞いこんで二度と開けない。それぐらいのことなら、今の自分であればできる気がしていた。
 でも、入ってまだ一分ぐらいしか経っていないのに、すでに少しだけ後悔している。
「八田さんとこって、おじいちゃん以外はどうなったの?」
「みんな、外に引っ越しよったよ」
 八田家は、今も残っているらしい祖父以外に、息子夫婦とその息子がいた。わたしと同じで、現実的な手段を選んだということになる。
「五頭さんと七尾さんも、早くに出て行ったよね。姉ちゃんは、ずっとここで暮らすの?」
 わたしが言うと、礼子は前を向いたままうなずいた。
「順番があるからね。二宮家は……、最後までおるんとちゃうかな」
 少しだけ奥まったところにある、車回しが広い家。六星の表札。家の前には白のトヨタハイラックスサーフが停まっている。あれも、昔からずっと現役だ。
「物持ち、良すぎない?」
 思わず呟くと、礼子はライフのハンドルをこつこつと叩いた。
「みんな、六星さんが修理してくれるからね。今は幸平くんがやってくれとるけど、あの子も機械を触るのが得意やから。ここ最近はずっと、水門の調子を見に行っとるよ」
 わたしは思わず姿勢を正した。さっき名前が出たときは、何とも思わなかった。でも、こうやって中へ入り込んだ今は、その印象は全く異なる。口を開きかけたとき、礼子が先に目を合わせた。
「なんで、岩場に行ったん?」
 わたしが昨日切り傷を負って、今日病院から帰ってきたように、礼子の口調は真新しかった。特に責める様子もなく、ただ純粋にその理由が気になるようだった。
「分かんない。禁止されてたからかな? バカだったんだよ」
 今さら幸平の名前を出すなんて気には、ならなかった。礼子は微かにうなずいただけで言葉は発することなく、ライフは五頭家の廃屋を通り過ぎて、シルバーのマツダデミオが停まっている三橋家の前で停まった。礼子がサイドブレーキをかけるのを見届けてから、わたしは言った。
「覚えてるそのままだよ」
「でしょ。なんも変わっとらん」
作品名:Cloak 作家名:オオサカタロウ