審問官第二章「杳体」
――さうだね……、確かに吾吾が此の世に《存在》するのは、数多の《死者》が《存在》したが為だが、だから、それ故に尚更《生者》は《死者》に対して《生》故に存在論的に優位でありたいのであって、また、《生》と《死》は断絶した《もの》として、つまり、《生》と《死》はそんなに簡単に飛び越えられぬ巨大な壁で仕切られた《もの》であってほしいのが《生者》の願望だらうけれども、そんな《もの》は、例へば大災害を前にすれば一気に吹き飛んでしまふ《生者》の憐れな、そして、ちっちゃな願望でしかなく、《生》と《死》を分けること自体が無意味な事だと、十分に納得はしているけれども、更に言ふと、《生者》は心の何処かでやっぱり《死者》よりも《生》として現存してゐるだけで《生者》が「先験的」に優位な《存在》だと、敢へて誤謬したまま日常を生きてゐるのは否定できないんぢゃないかな。
と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が、更に飄飄と言ったのであった。すると、雪が、
――さうしますと、《生者》は生まれながらに存在論的には《死者》に対しては傲慢といふ事ですわね。何故って、此の世の大部分は《死者》によって創られた産物だらけで成り立ってゐて、それは《生者》にはどう仕様もない事なのだから。つまり、《死者》達の歴史無くしては、《生者》は一時も生きられぬといふ事だと思ひますが、違ふでせうか?
――歴史ね。例へば図書館が好例だと思ふが、其処に所蔵されてゐる本の殆どが既に鬼籍に入った《死者》達が遺した作品に違ひないが、此処で極論を言ふと、譬へ図書館といふ先達が遺して呉れた遺産が近隣にあらうとも、《生者》にとって図書館は生きるのに必要欠くべからざる《もの》かと問はれれば、『いいえ』と答へる筈で、《生者》にとって最も大事な事はその日をどう暮らして行けばいいのかといふ事のみが何よりも優先され、大概は、その日の糧が得られればそれで満足の筈なのもまた、真なり、だ。しかし、その日の糧を得る仕方は先達達の仕方を踏襲してはいるがね。
と、尚もヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が飄飄と言ったのであった。すると、雪は、幽かに微笑んで、
――しかし、「人は麺麭のみに生くるに非ず」といふ基督の言葉が今も生きてゐるやうに、《生者》はその時の食べる麺麭は、成程、大事な事かもしれませんが、《生者》の《生》はそれだけに、つまりは、衣食住が満ち足りる事のみでは《生者》は生きられないといふ考へ方はをかしいかしら?
――ちっともをかしくなんかないです。寧ろ、雪さんの言ふ事の方が正解に近い筈なのですが、しかし、現代ではかう言へます。つまり「人は麺麭のみに生くるに非ず。唯、楽を徹底して欣求する《存在》になりし」といふのが、現実の実相だと思ひます。
と、尚も甲君は飄飄と言ったのであったが、雪はその言葉にちっとも納得がゆかなかったらしく、更に甲君に尋ねたのであった。
――甲さんは、それでは、楽を追求してゐるのですか?
と、雪が尋ねると、甲君は奇妙に自己卑下した嗤ひを口辺に浮かべて、
――いいや、ちっとも。
と、言ったのであった。その時、
――「人は麺麭のみに生くるに非ず」か……。
と、猊下たる丙君がぽつりと呟いたのであった。
――楽は、つまり、煎じ詰めれば時間の事だらう?
と、数学専攻の乙君が言ひ、更に文学青年の丁君が、
――だが、殆どの人間は、その日の暮らしに汲汲としてゐる、つまり、「人は麺麭のみに生くる」といふ事の方が真実として看做すべきぢゃないかと思ふのだが、……しかし――。
と、尻切れ蜻蛉にはたりと言葉を呑み込んでしまった丁君は、君を見て、君の言葉を待ち構へてゐるのであった。其処で、君は、
――丁君、《生者》が《生》の側に《存在》する以上、人は麺麭を求めつつも、己の出自、若しくは《存在》に関するあらゆる事に興味を、そして、苦悩を抱き、そして明日こそは、何かが少しでも解かるかもしれぬといふ淡い希望を胸に、此の世に《存在》する森羅万象は、何とか《存在》してゐるのぢゃないかね?
と、君が丁君にさう言ったのであった。
――うふっ。人間って《もの》は、基督が生きてゐた二千余年前とちっとも変わってゐないのは確かね?
と、雪が微笑みながら言ふと、雪は更に続けて、
――そして、基督の亡霊は確かに此の世に《存在》してゐて、その基督の亡霊、しかも、その基督の亡霊は、今も尚、磔刑に処されたままの無惨な姿で衆目に曝され続けて、いえ、違ふわね、現代を生きる《生者》が基督が磔刑になった無惨な御姿の亡霊を欲してゐて、基督はその《生者》の願望、若しくは欲求、それをLibido(リビドー)と言っても構はないわね、その《生》と《死》の衝動から基督は遁れる術がない。私はね、基督が哀れで仕方ないの。
と、雪が私を見詰めながら言ひ切ったのであった。すると、猊下たる丙君が、
――今尚、《生者》が基督を、磔刑に処された無惨な御姿の基督の亡霊の《存在》を全く疑ってゐない事だけでも、「人は麺麭のみに生くるに非ず」といふ箴言は、現代人の琴線に尚も触れる箴言として、その言葉は生きてゐる《もの》だとすると、雪さんが言ふ通り、歴史が、而も、生きた歴史、つまり、絶えず歴史の価値が浮動する状態でなければ、《生者》は一時も生きられぬといふのも一理ありかもしれないね。
と、言ったのでした。
――さうね。歴史に限らず何もかもが決定不可能な様相へと相転移してしまったかのやうな、《存在》に対する何とも名状し難い諦念の中に抛り込まれしまったといふ無力感、これが、何だか《存在》全てを蔽ってしまったやうに私には思へるの。
と、さう雪が言ふと、文学青年の蒼白い顔をした痩せぎすの丁君が、
――それは、詩人の故・石原吉郎がシベリア抑留で抱かざるを得なかった断念に通じる《もの》だね、多分。しかし――。
と、再び、不意に話す事を止めてしまった丁君は、在らぬ方へと目をやりながら何かを考へ込み始めたのであった。
――それで、《杳体御仁》たる「黙狂者」君は、どう考へるかね、この現在、《存在》全体を蔽ってしまってゐる不愉快極まりない無力感を。
と、猊下たる丙君が私に尋ねたのであったが、その私はといへば、その時も尚、私の視界の周縁をカルマン渦のやうにぐるりと回る光雲と、影絵の如く誰とも知らぬ赤の他人が視界にうっすらと浮かび上がるその様に心を奪はれてゐて、唯、ぢっと前方を凝視してゐる事しか出来ない状態にあったのであった。すると、雪が、
――あなたは、今、あなたに憑依した誰かの霊と黙=話中なのよね、うふっ。
――黙=話?
と、猊下たる丙君がその眼光鋭く眼窩の奥でぎらりと光ってゐる視線を雪に送ると、
――さう。声ならぬ内界の声で会話をしてゐるから黙=話中なの、うふっ、変かしら?
作品名:審問官第二章「杳体」 作家名:積 緋露雪