審問官第二章「杳体」
――つまり、例へば、つまり、《死》した《もの》が、つまり、何処へかと、つまり、呻きにならぬ呻き声を、つまり、『うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ~~』と、つまり、絶えず、つまり、自身の《存在》を、つまり、ぢっと我慢せざるを得ぬ、つまり、《もの》でしかない、つまり、としたならば、つまり、君は、つまり、雪は、つまり、その《死》といふ《もの》を、つまり、何の文句も言はずに、つまり、受容出来るかい?
――それは、私が《死》をどう思ってゐるのか訊いてゐるのね。でも、御免なさい。それは、今の私には手に負へない問ひなの。唯、ヰリアム・ブレイクやドストエフスキイなど、数多の先人達の作品が現在でも立派に通用する事に、『人間、此の変容せざり、而して変容する矛盾なる《存在》』などと思っては、精神のRelayのやうな《もの》が現実に《存在》するに違ひない思って何とか生きてゐるのよ。
――精神のRelayか……。
と、文学青年の丁君が、自ら発した内部の憤怒を圧し潰すやうに、何とも感慨深げに呻いたのであった。
――あなたは、その精神のRelayを信じてゐるのですか?
と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が雪に問ふと見せかけながら、猊下たる丙君、文学青年の丁君、そして、君と「黙狂者」の私の内、誰かの意見を引き出したい甲君の欲求は見え見えなのであった。それは、甲君の視線が、雪ではなく、吾吾の方を見廻しながら、にたにたと言った事でも明らかなのであった。
――駄目だぜ。君が私らの内、誰かしらの意見を待ってゐたって誰も語りはしないさ。
と、君が言ったのであった。すると、甲君が、
――やはり、ばればれか。どうも私は深奥で考えてゐることが、表情や語り口に出てしまふ正直者だな。しかし、それはそれとして、君は、精神のRelayなんて本当に可能だと思ふのかい?
と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が君に尋ねたのであった。しかし、君の発言の機先を制するやうに話し始めたのは、雪なのであった。
――一寸、待って下さい。その精神のRelayについては、此の人と此処に来る前に古本屋に寄って、其処で議論、議論ぢゃをかしいわね、議論じゃなく筆談で、お互ひの考える処を問ふて来た処なの。
――それで、「黙狂者」は何と?
――例へば皆さんが今まで読解して議論してゐた筈のこのヰリアム・ブレイクの作品の数数が、ブレイクが既に百年以上も前に亡くなってゐるにも拘はらず、現在に生きる私達は、ブレイクの作品に触れられて、それを自身の思惟の淵源となるべく、何かを考へる契機として在り得る筈で、そして、ブレイクの作品に触れることでブレイクの精神に触れた感じを抱くのは、実際の所、事実だわ。
――つまり、雪さんと「黙狂者」は、少なくとも精神はRelayされる《もの》との結論に至ったといふ事だね?
と、猊下たる丙君が、これまた、在らぬ方を見やりながら言ったのであった。
――でも、精神のRelayは、作品が現代で見出されなければ、精神はRelayされるべくもないぜ。極論をすれば、現在売れてゐる作家の作品の殆どが百年後には人類から忘れ去られる憂き目にあって、精神がRelayされるなんて事は在り得ない筈だ。とはいへ、現在売れてゐる作家の作品ばかりではなく、ヴァン・ゴッホが好例だが、実作者が生きてゐる内には全く見向きもされずに人知れず歴史から隠されてゐた作品が、作者の死後百年以上も経った現在べらぼうな値段で取引されてゐる此の《生》の矛盾は、時代がどんなに変はらうが、常に在り得る筈で、本音を言へば、俺が描いた絵でさへもまた私の死後、百年後に評価される、ちぇっ、此のブレイクの作品のやうに作者の死後にその価値が一変し、評価が鰻上りになる事もまた、在り得べき筈だ。つまり、作品が残って初めて精神がRelayされる。しかし、ソクラテスや釈迦牟尼仏陀のやうに彼等が発した言葉が弟子によって伝承される場合もあるがね、しかし、精神が仮にRelay可能な《もの》ならば、それはとんでもなく確率が低い筈だ。
と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が自身を問ひ詰めるやうに言葉を吐き捨てると、私はNoteにかう書いたのであった。
――つまり、此の世は、つまり、《生者》より、つまり、常に、つまり、《死者》の数の方が、つまり、圧倒的多数であって、つまり、それらの、つまり、《死者》の、つまり、殆どは歴史の闇の中に、つまり、消え去ったまま、つまり、此の世で、つまり、現在に、つまり、生きる、つまり、《生者》に、つまり、発見されぬまま、つまり、歴史の闇に未来永劫消え去ったまま、つまり、見出されることはなく、つまり、そして、此の世といふ現在に作品として、つまり、残された《もの》が、つまり、現在においても尚、つまり、評価される事は、つまり、歴史上に、つまり、嘗て、つまり、《存在》した《もの》のほんのほんのほんの一握りの、つまり、圧倒的少数の作品群でしかない。つまり、歴史とは、つまり、《死者》の、つまり、精神の、つまり、生存競争でしかなく、つまり、それは、つまり、そのまま、つまり、《生者》にも、つまり、ぴったりと当て嵌まる《もの》で、つまり、而も、つまり、《生者》の《存在》の、つまり、有様を見れば、つまり、《生者》は、つまり、即座に、つまり、《死者》へと瞬時に変容可能な、つまり、《生》のどん詰まりで、つまり、《生者》は、つまり、生き延びねばならない。つまり、此の世の不合理極まりない、つまり、それを、つまり、摂理と称して、つまり、何の文句も言はずに、つまり、《生者》は、つまり、受容してゐるが、つまり、此の不合理は、つまり、私には、つまり、全くもって、つまり、否として、つまり、摂理に対して、叛旗の、つまり、狼煙を、つまり、《杳体》といふ、つまり、《もの》を旗幟に、つまり、此の世の、つまり、不合理極まりない、つまり、摂理に、つまり、反旗を翻さなければ、つまり、《存在》が、つまり、此の世に、つまり、《存在》した証左には、つまり、値しない、つまり、と思ってゐるのだ。
――それは前に伺った気がするのですが、あなたが、何故、《存在》を生む此の宇宙へ反旗を翻して、此の世に「あっ」と言はせる事に全身全霊を傾注してゐるのかも、はっきり申しまして、私には今も尚、よく解からないの。私は女性だから、明言しますが、子を産む事は全的に肯定されべき《もの》の筈だわ。
と、雪は、再び目尻に涙を浮かべて、そこからぽろりと涙を落としながら、私に訴へかけるのでした。
――へっ、女性を泣かせたな、この「黙狂者」君。
と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が嫌味を言ったのであったが、それは甲君の性癖なのであった。ときどき茶茶を入れる甲君は、実は、深刻な存在論的な壁にぶち当たってゐて、それを悟られまいと、反射的に甲君は誰に対しても半畳を入れなければ、自分の倦み疲れた内実の《吾》が何時顔を出すのかびくびくしながら、いつも一見するすると明朗な振る舞ひが彼の持ち味であるかのやうに振る舞ふのであった。しかし、それは、甲君が人一倍《他者》の悲哀に敏感であったことの証左でもあったのだ。
作品名:審問官第二章「杳体」 作家名:積 緋露雪