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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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審問官第二章「杳体」

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――ふはっ。雪さんは譬へが上手ですね。さうです。この「黙狂者」君の《杳体》は、《存在》といふ版木に対する墨のやうな《もの》なのです。つまり、版木に彫られた《存在》の姿形に即応して、版木に塗られた墨は半紙にその彫られた《もの》を写し出すのです。それが《杳体》です。
――さうしますと、《杳体》とは、変幻自在な何かといふ事でせうか?
――はい。さうです、雪さん。
――では、《杳体》もまた、巨大な加速器で光速近くまで加速させられた素粒子を衝突させることで莫大なEnergy(エナジー)を生み出し、嘗ての宇宙誕生時の状態を近しく再現し、その宇宙誕生時には確かに《存在》してゐた素粒子が《存在》した痕跡を光速近くに加速した素粒子同士の衝突で見つける事で探すのと同じやうに、《杳体》にとっては、素粒子の如く光速近くまで加速させる加速器に当たる《もの》とは何なのかい、甲君?
 と丙君が言ったのであった。
――それが解かれば「黙狂者」君が黙狂になる事なぞなかった筈だぜ。
――それでは、皆さんは、この方が唱へる《杳体》といふ《もの》の《存在》を信じてゐるのですか?
 と雪が皆に問ふと、誰もが頷き、そして丙君が荘重に話したのであった。
――これまでの哲学、科学、宗教、その他諸諸の智を総動員しても《存在》の本質は未だ何《もの》も解からず仕舞ひです。ならば、これまでの智には《存在》を語るには何か重大な欠落があると考へるのは至極当然な事です。吾吾はその端緒にヰリアム・ブレイクの幻視があるのではないかと考へてゐるのです。
――やはり、さうなのですね。私は何故に皆さんがヰリアム・ブレイクをこのご時世に読み合ってゐるのか漸く合点がゆきましたわ。確かにブレイクは、ブレイク独自の宇宙を創造してゐますから。
 と雪が言ふと、
――さうなのです。ブレイクを読む事で何かこれまで伏せられてゐた《もの》が不意に姿を現はし、吾等を煙に巻いて呉れればしめた《もの》なのです。
 と、甲君がさも楽しさうに言ったのであった。
――それでは、私の事などに感(かま)けてゐないでブレイクを読みませんか?
 と雪が言ふと、猊下たる丙君が、
――いやいや、今日位は、先づ、雪さんとかうして語り合ふことでいいのです。ブレイクを読むのは次の機会でも出来ますから。
――しかし、あなた方はブレイクを読む事でこの方が言ふ《杳体》の何かを摑まへたいのぢゃありませんの?
――かうして話してゐる事が、即ち、ブレイクを読む事の役に立つのです。ブレイクの幻視が何かの暗示になること間違ひなしなのです。つまり、雪さんとかうして話してゐる事が皆楽しいのです。
――さうですか、丙さん。しかし、私はこの方が言ふ《杳体》といふ考へを先程知ったばかりで、《杳体》については未だ解かりませんわ。
 と雪が言ふと、丙君が、
――それは当然です。雪さんはこの「黙狂者」に一目惚れしたとはいへ、今日初めてこの「黙狂者」に対面したのですから。そして、雪さんは、この「黙狂者」の事が少しでも知りたくて、私達の処へとやって来たのでせう?
 と、丙君は微笑みながら言ったのであった。すると雪が、
――はい。その通りですわ。では、《杳体》についてもう少しお話して下さいませんか?
――私見ですが、有限から無限へ至るその飛躍を媒介する《もの》が《杳体》です。
――おい、丙君、それは君の考へであって、この《杳体御仁》の「黙狂者」君が言ふ《杳体》とは似ても似つかぬ《もの》だぜ。
 と甲君が言ふと、丙君が、
――本当にさうかね?
――私は丙君とは少し違った考へ方をしているがね。
 と、君が言ったのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ~~。
…………
…………
ねえ、君。雪が初めて私達のサロンみたいな集ひにのこのことやって来たその日は、皆、実に楽しさうで、誰もが雪に魅せられてゐたね。そして、話も弾んだね。正直に言ふが私はあの時も《死》を目前に控へた今も《杳体》が何なのか解からず仕舞ひだ。しかし、《死》が目前に迫った今、《杳体》とは、《吾》なのかもしれぬと思ってみたりして独りほくそ笑んでゐる。をかしいだらう。しかし、あれ程、私を悩ませ、その結果として《死》を私に引き寄せた《杳体》なる《もの》は、所詮、《吾》を超越する事は不可能な代物に違ひないと今更ながらに自省する事で、私は心安らかになるのさ。そして、私は一つの結論として《杳体》とは、もう直ぐに《死》ななきゃならない私にとって、この《吾》といふ観念を抱へながら彼の世へと跳躍するその跳躍板こそが《杳体》の正体なのかもしれぬと思ってゐるがね。
…………
…………
――といふと?
 と丙君は君に訊ねたので、君は、
――この「黙狂者」の彼が思ひ描いてゐる《杳体》は、多分、此の宇宙に匹敵する壮大なる何かだとは思ふがね。つまり、私にはやはり、《杳体》は∞と強く結び付いた何かだと思へて仕方がないのさ。
 と君が言ふと、雪が、
――この方の《杳体》をブレイク風に言ふと《死》すべき運命から免れた《不死》なる《存在》といふ観念は、《杳体》に含まれますか、××さん?
――それは当然さうだらうと思ひます。《杳体》は《不死》なる何かに違ひありません。
 と君が言ふと甲君が、
――《不死》は《不死》と雖も、その《不死》の《杳体》は、シーシュポスの如く、何時果てるとも知れぬ労苦を未来永劫続ける《もの》と思はないかい、××君?
――多分、甲君が言ふ通り、《杳体》は未来永劫、終はる事のない労役に従事してゐるには違ひないとは私も思ふがね。
――へっ、それぢゃ、未だブレイクの方が進んでゐるだらう、××君!
 と甲君が言ったのであった。すると、雪が、
――それでは甲さんは、《杳体》をどのやうな《もの》と直感的にでもいいですが、《杳体》として把握してゐるのですか?
――さうですねえ。例へば此の世に《存在》しない《もの》と言へば解かりますか?
――あら、此の世に《存在》しない《もの》ですか。恐れ入ります。それでは、つまり、甲さんにとって《杳体》とは此の世には《存在》しない《もの》全ての何かなのですね?
――さうです。《杳体》は此の世に《存在》しない《もの》でなけりゃなりません。さうでないと何《もの》も此の世の《存在》に我慢がならないからです。
――すると、甲さんは、《杳体》を、此の世に《存在》する事を余儀なくされた森羅万象の慰み《もの》としての夢、若しくは仮象のやうな《もの》とお考へですの?
――いえ、それでは雪さんは、ゴッホの「星月夜」を見て、あの絵が《現実》に《存在》する《世界》とお思ひですか?
――あら、偶然ね。先程私はこの方と画集専門の古本屋さんでゴッホの「星月夜」を見てきたばかりですわ。この方はゴッホの「星月夜」に《神》がゐるかとお尋ねしましたがね。
――さうですか。《杳体御仁》の「黙狂者」君とねえ。ふむ。それで雪さんは何と。
――私は《神》はゐると答へたと思ひますが。
――さうですか。では私の質問にもお答へください。雪さんは、ゴッホの「星月夜」は此の世の《もの》とお思ひに為りますか?