審問官第二章「杳体」
――だって、《存在》する事の哀しさを知らない人が《存在》を愛する、いいえ、違ひますね、《存在》を慈しみの目で見る事は不可能な筈ですから。
――すると、雪さんは甲君にその底無しの《存在》の悲哀が感じられるのですか?
――ええ。私の一方的な甲さんに対する感じ方ですみませんが、甲さんは、実際、独りになると、その絶望の底が知れぬ程の絶望の中で、唯、只管、《世界》と《存在》の正体を見出すばかりでしか《生》が存続出来ない程に追ひ詰められてゐるに違ひありませんわ。
――雪さん、俺の事はどうでもいいぢゃありませんか。
――あら、どうして?
――こっ恥ずかしくて仕様がないから!
――でも、甲さんは、多分、現世に《存在》してしまった《もの》に今一度、『何故にお前は此の世に《存在》するのか?』と必ず問はせる不思議な能力をお持ちぢゃありませんか。
――だから、俺の事はどうでもいいぢゃありませんか、雪さん。
――照れ屋さんなのね、甲さんって、うふっ。
……………
……………
ねえ、君。成程、雪が喝破した甲君に対する眼差しは、冴えに冴えてゐただらう。甲君はたじたじで、ちょっと照れ笑ひを浮かべてゐたのが今でも私の瞼には焼き付いてゐるよ。
それはさておき、君には私が言ふ主体弾劾の正体が解かってゐたのだらうかね。私は当時、既に存在論的に破綻を来してゐて、存在論的抹殺を己自身で《吾》に対して行ってゐたのだよ。それが何かと尋ねられば、私は迷はずに、
――《存在》は「先験的」に此の世から抹殺される宿命を遅かれ早かれ心底味はひ尽くす事を課されてゐる。それ故に、《存在》は現世に《存在》出来得るのだ。そして、己の抹殺を行ふのは、《吾》か《自然》のどちらかしかなく、私は迷はずに前者を選んだのだ。
つまり、《吾》が《吾》を永劫に弾劾するといふ地獄をね。それが、《存在》の全うな作法だらう。
……………
……………
――でも何故に《存在》は、そもそも底知れぬ悲哀を味はひ尽くさねばならないのかしら?
と雪が言ったのであった。
――さうですね。それは《存在》が《世界》を認識せざるを得ぬからでせうかね。
と猊下たる丙君が雪の問ひに答へたのであった。
――《世界》に戸惑はない《存在》などありません。
と数学専攻の乙君が言ったのであった。
――はて? 《世界》に戸惑ふとは?
――如何なる《存在》も此の世に出現するその刹那に、此の《世界》との遭遇に戸惑ひ、『うわぁっあっあっ』と産声を上げるのさ。その時、母親的な、つまり、Agape(アガペー)的なる《存在》が、産声を此の世に発した如何なる吾子たる《存在》へも慈悲の愛を注いで、泣いてゐる《存在》の赤子をあやさずばをれぬ、へっ、本能を《存在》には「先験的」にか「後天的」にか授けられてしまってゐるのさ。しかし、己が《存在》の何たるかを認識出来ないうつけ《もの》が幼子を虐待し、つまり、Ssadism(サディズム)とMasochism(マゾヒズム)といふこれまた本能的なる《もの》に「先験的」に付与された《存在》の愚行を感情の捌け口としてか、将又、感情的なる《存在》へと吾が《存在》を逃げ込ませるのかなど、様様な原因はあらうが、《存在》は残酷極まりない《もの》でもあるのは確かさ。ともあれ、普通の《存在》ならば泣いてゐる赤子はあやさずにはをれぬ《もの》だらう?
――ふっ、それが諸悪の根源ではないのかね。
――埴谷雄高だね。さう、《存在》の赤子が産声を上げれば、《存在》の赤子を微笑みを持って吾が赤子を抱き上げる母親的なる《存在》が《存在》する事が、《存在》を此の世に出現させる諸悪の根源であるのは、一面的には正しいかもしれぬが、しかし、《存在》が《存在》を生み出す業を背負ふ宿命にある女性的なる、つまり、子宮を持つ《存在》のその有様は、《世界》を存続させるべく、此の世に出現させられた一番の犠牲者なのではないかね。例へば、聖マリアなど、《世界》の悪意から吾が子を守るべき事を自覚しなければならなかった《存在》が《存在》した事が、その象徴とも言へるだらう。
と君が言ったのであった。
――ではヨブはどうかね?
と猊下たる丙君が君に訊いたのであった。
――ヨブ程、《存在》の莫迦らしさを徹底的に味はされた悲哀なる《存在》はゐないのぢゃないかな。
と君が言ふと、雪が、
――私は『ヨブ記』が大っ嫌ひなのです。
と言ったのであった。その顔には、《神》と名の付く《もの》への多少の反発とヨブに対する慈しみがない交ぜになったやうな何かを嫌悪する顔付であった。
――また、何故にですか?
――何故って、『ヨブ記』程、《神》の傲慢が描き出されてゐる《もの》はありませんわ。
――《神》の傲慢と言ふと?
と丙君が言ふと、雪が、
――《神》が「現存在」の信仰を試す傲慢ですわ。
――しかし、吾等は絶えず己の信仰心を自ら試してゐるぢゃありませんか?
――だから、《神》自らが「現存在」の信仰を試す愚行を平気の平左で行ってゐるのが我慢ならないのです。
――つまり、雪さんにとって、『ヨブ記』は、《神》によるヨブへの虐めといふ解釈ですね?
――はい、丙さん。《神》が「現存在」を虐めてどうするのですか? 「現存在」が《神》に手も足も出ないのは、端から解かってゐるのに、それを敢へてやっしまふ《神》は一体何ですの?
と雪が捲し立てて丙君に訊くと、丙君は、
――さうであっても、「現存在」は必ずや信仰を捨てられない羸弱な《存在》である事の見本として『ヨブ記』が《存在》してゐると思ひますが。
――それが《神》の傲りなのよ。「現存在」を含めて、此の世の森羅万象がヨブの身になれば、大概どんな《存在》も《神》の撲滅へと衝き動かざるを得ぬ筈だわ。
――《神》を撲滅した後は?
と猊下たる丙君が少し皮肉を交へて雪に訊いたのであった。
――《世界》の相転移よ。
――それは《存在》の全剿滅を意味してゐるのではありませんか?
――はい。《神》を撲滅しての森羅万象は、其処で《世界》が相転移する事象に思ひも及ばず、然しながら《世界》は相転移を起こし、《世界》は《新=世界》へと生まれ変はるのよ。
――雪さんは、相転移と言ふ言葉を何によって知ったのですか?
――この方に。
と雪はにこりと微笑みながら私を見たのであった。
――成程。
と丙君が言ふと続けて、
――現代が、《神》亡き《世界》とは看做せませんか?
――さうねえ。それは一面的では的を射てゐるかも知れませんが、しかし、現代でも《神神》は《死》する事無く厳然と《存在》してゐますわ。
――例へば、その《神神》が全て『《吾》とは何ぞや?』と自問自答する《存在》に纏はり付く自同律の陥穽に落っこちてゐたとしたならば、雪さんは、それをどう看做しますか?
――あら、丙さん、面白いことを仰るのね。さうねえ、此の世の全《神神》が『《吾》とは何ぞや?』といふ自同律の陥穽に落ちた処で、「現存在」はそんな事知っちゃこっちゃありませんわ。唯、《神神》に幻滅し、《神神》に対する見方を見直すかもしれませんね。でも、《神神》は元元、『《吾》とは何ぞや?』といふ自同律の陥穽の中に《存在》する《もの》ではありませんか?
作品名:審問官第二章「杳体」 作家名:積 緋露雪