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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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審問官第二章「杳体」

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――確かにさうですね。だが、殆どの《存在》はそれが青臭いといって、一時出来る腫物の如く自然に治癒する《もの》と思ひ為してやり過ごし、そして、挙句の果てが《吾》は《吾》だと開き直って《吾》のその醜悪なる異形の面を全く無視して何食はぬ顔でのうのうと生きてゐる。それが、パスカルの深淵の穴居人には全く理解不能の事で、また、不思議でならないのですが、彼等はとことん《異形の吾》の《存在》を知らんぷりして現状に満足の態で、《吾》が《吾》に躓く事が《存在》の生死に関はる大問題である事に全くピンと来ずに『何を下らぬ事に現を抜かしてゐるのか!』と訝しり、大抵はパスカルの深淵の住人たる穴居人を蔑視して、彼等は徹底して《吾》を見ずに《吾》から只管遁走してゐるのですが、しかし、その内実はと言ふと、実際、《吾》が《吾》である事が不安で仕方ないのです。そして、彼等はその不安に徹底して対峙したくないので、吾等のやうなパスカルの深淵の住人たる穴居人は《吾》に《吾》を喚起させるので、全く毛嫌ひして乞食を見るやうに見なかったことにして「社会的」な《存在》といふ《吾》が《吾》である事から一面で解放する《吾》のない《存在》である振りをし続けるのです。まあ、それはそれで胃が痛む事ではありますがね。
――さうですね、丙さん。しかし、《存在》の作法として『《吾》は《吾》に躓いてゐる』と胸を張るのもまた不作法でどうかしてゐます。《存在》はそもそもその正体を隠す《もの》で、出来得ればその《存在》の、もしかするととんでもなく無様な有様を見たくないのは《存在》に備わった本能に違ひありません。その好例が、此方の甲さんですわ。
――へっ、俺ですか?
――確かに雪さんの仰る通り甲君は、明るく振る舞ってはゐますが、その振舞ひの彼方此方に甲君の本質に関はってゐるに違ひない憂ひがどうしてもそのおくびを出してしまはずにはをれないのです。
――丙さん、甲さんばかりでなく、あなたもまた、その鋭き眼光に憂ひの《吾》の姿がまざまざと見えてしまってゐますわ。
――何故さう思ひます?
――だって、丙さんのやうにぎろりと眼光鋭く《他者》を見る人は、いえ、《存在》ですね、その《存在》は《吾》をも同様に眼光鋭く覗き込まなければ気が済む筈はありませんもの。
――確かにその通り!
 と甲君がこれまた笑顔を湛へながら言ったのであった。
 ――そして、乙さん、丁さん、××さん、そしてこの《杳体御仁》の「黙狂者」さんも同じです。普通であれば、《吾》に躓いた《吾》は、直ぐに起き上がって何事もなかったやうにさっさと歩いて行く《もの》ですが、此処に集ってゐる皆さんは、《吾》に躓いても立ち上がる事が出来ずに、またその術が全く解からず、ひっくり返った亀の如く首をぬっと伸ばして元に戻る膂力が無くなく、只管、のた打ち回ってゐるのが精一杯なのですわ。
――また、何故にさう思ったのです、雪さん。
 と丙君が重重しく、そして鋭い眼光をぎろりと輝かせて尋ねたのであった。
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ~~。
――それは簡単ですわ。私があなた方と会った刹那、私自身が自分に対して感じる或る特徴をあなた方にも感じたからですわ。つまり、類は友を呼ぶですね、うふっ。
――つまり、雪さんは、この「黙狂者」の彼に自分と同じ《もの》を見てしまったと?
――はい。
――例へばこの彼の何が雪さんにさう感じさせたのですか?
――この方の瞳よ。この方の瞳は、何メートル先にあらうが、その憂ひに満ちた不穏な輝きが一際目立つのです。
――すると雪さんは、今日、この「黙狂者」と会ふ前から既に彼を気に掛けてゐたのですか?
 と、君が雪に尋ねたのであった。
――ええ。いづれはこの方と対する事になるだらうと思ってゐました。
――うはっ。すると雪さんはがこの《杳体御仁》の「黙狂者」君に惚れてゐたと?
 と、これまた甲君が嬉嬉として言ったのであった。
――はい。
――うはっ。『はい。』、と来たもんだぜ。すると雪さんの一目惚れかい?
 と、これまた甲君が嬉嬉として雪に尋ねたのであった。
――はい、うふっ。
 と、雪はその窈窕な顔に薄らと紅色を浮かべて微笑みながら言ったのであった。
――よう! 《杳体御仁》、何とか言へよ!
 と、甲君が私を囃し立てながら茶化すのであった。
――雪さんは一体彼に何を見たのですか?
 と甲君の言葉を無視して猊下たる丙君が言ったのであった。
――さあ、何かしらね……強ひて言へば、この方と私の第六感の波長がぴたりと合ってゐたことかしら……、つまり、例へば前世といふ《もの》があるとしたならば、この方と私は前世では夫婦だったと、この方を一瞥した刹那に私はこの方に魅せられてしまった、と言へばいいのかしら。
――それだけですか?
――いいえ。この方の《存在》が何かとても愛ほしかったのです。多分、私はこの方に私の亡き父の姿を見てしまったのでせう。
――さうですか。
――へっ、何を落胆した面をしてゐるんだね、丙君!
 と、これまた甲君が嬉嬉として言ったのであった。
――ちっ、それが君の優しさなんだよ。
 と、丙君はにんまりと笑って甲君に言ったのであった。
――よう、《杳体御仁》の「黙狂者」君、女性から直截に恋心を打ち明けられた感想はどんな《もの》かね?
――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ~~。
 相変はらず私の瞼裡には、見知らぬ男が私の眼前に拡がる虚空を声に為らざる声を発しながら何処とも知れぬ何処かへと浮遊してゐるのであった。
 しかし、その時は皆が押し黙ったまま私の手元を見てゐたので、私は仕方なく、大学Noteにかう書いたのであった。
――つまり、私も、つまり、雪と同じだ。
――はっはっ。二人とも一目惚れ同士か! このお、まったく隅に置いておけないな、《杳体御仁》!
 と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君がさらに嬉嬉として半畳を入れたのであった。
――成程。雪さんは、この「黙狂者」の全てが知りたくて、今日、私たちのサロンにいらしたのですね?
 と君が言ったのであった。すると雪が、
――はい。もしもお邪魔でしたなら、私はお暇しますが。
――いえ、雪さんはいらしてください。男ばかりだとどうもむさ苦しくていけないんでね。紅一点の華美な花がここにゐるのとゐないのとでは雲泥の差なのです。
 と君は言ったのであった。
――《杳体御仁》がお美しい雪さんに惚れるのは解かるとしても、雪さんがこの発話不能な「黙狂者」君に惚れるとは、此の世はまだまだ捨てたもんぢゃないな。不思議だぜ、此の世は。
――あら、私はその発話不能な処が尚一層好きなのです。
 と、雪は、きらきらと輝かしい笑顔で言ひ切ったのであった。
――それはまたどうしてですか、雪さん?
 と、丙君は、天井へとその視線を向け、己の頭蓋内の闇を弄るやうにして、重重しく言ったのであった。
――現代では、発話可能な方は、実際、《存在》してゐると思ひますか、丙さん? 私は現代では発話そのものが既に不可能な時代なのだと思へて仕方ないのです。
――しかし、私達は、現代にかうして発話しながら会話を交はしてゐるぢゃありませんか?
――でも、私達は《存在》をぴたりと言ひ当てる言葉を喪失してゐます。