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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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審問官第二章「杳体」

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――つまり、それって、西洋で言ふ「虚無」では飽き足らず、印度や仏教で言ふ処の《無》に魅入られたといふ事だね?
 と猊下たる丙君が言ったのであった。
――へっ、《虚無》は中中絵に描けぬ難物だ!
 と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が言った処、
――だが、ヴァン・ゴッホは渦を描いてゐるぜ。
 と、乙君が言ったのであった。
――また、渦か! 皆黙狂者の彼に感化され過ぎていないかね? 君が言ふナビエ・ストークスの方程式、
非圧縮性流れ( )の場合、



と簡単化される。ここで は動粘性係数、
とか、ストークスの定理、


{\displaystyle \iint _{S}{\boldsymbol {\mathit {\nabla \!\times \!A}}}\cdot d{\boldsymbol {\mathit {S}}}=\iint _{S}{\boldsymbol {\mathit {\operatorname {rot} A}}}\cdot d{\boldsymbol {\mathit {S}}}=\int _{C}{\boldsymbol {\mathit {A}}}\!\cdot \!d{\boldsymbol {\mathit {l}}}}

ここで S は積分範囲の面、C はその境界の曲線で、しかし、それ以上、物理数学では渦に迫れない、つまり、物理数学で渦は未だに正確無比に記述不可能な《もの》で、しかし、ヴァン・ゴッホは渦を「星月夜」などでしっかりと描いてゐるぜ。
 と甲君が言ったのであった。
 すると、乙君が、
――其処さ。
 と言ったのである。
――あの、其処と言ひますと?
 と雪が尋ねると、
――つまり、人間は、否、此の世に《存在》する森羅万象は、どんな《存在》でも渦を《認識》してゐる筈だ、といふ事が、《杳体》の淵源の一つなのさ。
 と、君が口を挟んだのであった。
――ねえ、《杳体》の張本人のあなたはどう考えてゐるの? そのあなたが言ふ処の《杳体》って何?
 と雪が私に尋ねたのであった。
――つまり、そもそも《存在》とは、つまり、杳として知れぬ《もの》だらう?
――そんな事、うふっ、大袈裟に言へば、人類はその全史を通して《存在》とは何ぞや? と問ひ続けて来た《存在》の一つに過ぎないわ。だから、私は、あなたの言う《杳体》と名付けた《存在》の何たるかが知りたいのよ。
 と、雪は興味津津の態で私たちの会話を楽しんでゐたのが、その美しい表情に表はれているのであった。
――つまり、今言へるのは、つまり、オイラーの公式然り、つまり、《虚体》然り、と、それだけしか言へないのが本当の処さ。
――それぢゃ、ずるいわ。何の説明にもなっていないぢゃないの?
 と、雪が言ふと、数学を専攻してゐる乙君が容喙したのであった。
――此の世が複素数で成り立ってゐるならば、実体は無限の虚数的なる《存在》の相、つまり、それを此処で《虚=体》と名付ければ、実体の実相は無限にあるといふのが正解といふ事さ。
――《虚=体》? 《虚体》ではなく、=で虚と体とを繋いだ《虚=体》? 面白い表現ね、うふっ。でも、cogito,ergo sumをその《虚=体》は超越出来るのかしら?
――「黙狂者」の彼が言ふには、肉体と精神といふ「現存在」のありふれた捉へ方は、複素数、つまり、肉体が実部に、虚部が精神に相当するといふ事らしいぜ。
――でも、それは誰しも一度は夢想することぢゃないかしら。私もさう考へたことが確かにあったわ。 
――それぢゃ、話は早い。雪さんは肉体と精神といふ二元論的な思考法に与するかい?
――それで論理的に物事が語れるのであれば、私は積極的に肉体と精神の二元論的思考法を受容するわ。
 と、此処で、私が次のやうにNoteに書いたのであった。
――つまり、それが、つまり、人間の錯誤でしかないとしても、つまり、君は肉体と精神といふ考へを、つまり、受容するのかい?
――ええ、それが錯誤であっても、《存在》に一歩でも近づくのであれば、私はその錯誤を錯誤として受け容れるわ。私思ふの、所詮、人間が考へることは多かれ少なかれ過誤であり、それでも、此の世の、そしてこの《吾》といふ《存在》の正体を何としても暴きたい欲求は、止め処なく、《存在》が《存在》する限り《吾》とは何ぞや? 《世界》とは何ぞや? と問ひ続ける宿命にあるに違ひないと思ふの。
――へっ、土台、人間は、懊悩するべき《存在》として「先験的」に《存在》させられる《もの》に過ぎないんぢゃないか?
 と、画家志望の甲君が半畳を入れたのであった。其処で、
――《存在》の一番の快楽は何だと思ふ?
 と、猊下たる丙君がおもむろに言ったのであった。
 すると、私はNoteに、
――つまり、肉体と精神の一致!
 と、書いたのであった。
――さう、肉体と精神の完全なる一致だ。肉体と精神が一致した刹那程、《存在》に快楽を齎す《もの》はないのだが、さて、それと紙一重に肉体と精神の完全なる一致は、反吐を吐きさうな程、不快極まりない《もの》でもある。
――でも、肉体と精神の完全なる一致など、《存在》が此の世に《存在》する限り在り得ぬ見果てぬ夢でしかないんぢゃないかね?
 と、文学青年の丁君がぼそりと呟いたのであった。
――例へば、言葉は、それが発話され、記述される事で、《吾》の表象から無限に遠ざかる虚しさは誰もが知る処だらう?
 と、丁君は更に続けたのであった。
――ふっ、君らしい意見だね。
 と、君が丁君に言ったのであった。
――多分、肉体的なる《もの》と精神的なる《もの》、つまり、実部なる《もの》と虚部なる《もの》を統合する《存在》の在り方が、お前の言ふ《杳体》だらう?
 と、猊下たる丙君が言ったのであった。
――否、つまり、今の処、つまり、あなたの仰るやうに《存在》を簡略化、つまり、若しくは腑分けしちゃ、つまり、《存在》を語る時には、つまり、その時点で駄目ぢゃないかと、つまり、思ひますが。
 と、私はNoteに書き記したのであった。
――相変はらずまだ発話は出来ないやうだね、「黙狂者」君。しかし、そもそも言葉を発話する行為と書く行為、つまり、パロールとエクリチュールの断絶の溝に落っこちまった君は、絶えず湧出する数多の言葉の洪水に溺れながらも「つまり」といふ言葉を書き記すことで辛うじて君の思考の渦動を保持してゐる。何とも厄介なことだな、「黙狂者」君。
 と、おどけてヴァン・ゴッホ気狂ひで画家志望の甲君が言ったのであった。しかし、その言葉には暗に、私の事ではなく、甲君自身がのっびきならぬ処で尚も自分の世界認識の仕方を試行錯誤してゐることが端的に表はれてゐる言い方なのであった。