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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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審問官第二章「杳体」

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――つまり、世界は、常に主体を《存在》の在り処として、有史以来、否、全宇宙史以来、変はらずに《存在》してゐる。例へば自然は、主体を簡単に殺せる恐怖の《面》を持ってゐるが、その自然に対する現代の主体の感じ方は、古の邪神や邪鬼などの《存在》を心底信じてゐた世界に対する畏怖と、現代の主体の世界観は殆ど変はってゐやしないぜ。
…………
…………
ねえ、君。此の世に《吾》の事を《吾》と《念》じられる、つまり、此の世の森羅万象は、全て己を《主体弾劾者》として、己で己を裁かなければ為らない「先験的」な義務を負ってゐると思はないかい? 何故って、今も尚、磔刑されたままの基督の磔刑像がRosary(ロザリオ)として、基督者の首にぶら下がってゐるその様は、何とも無情で遣り切れない感情を私に齎すが、換言すると、基督者は己で己を《弾劾》する事で一刻も早く基督を磔刑から解放してやらなくちゃいけない。また、此の世で生きる上で避けやうもない艱難辛苦を神仏に祈り、また、加護を賜る事を望みながら、此の世の邪神や邪鬼が横暴を働くことを鎮める為のそんな主体の振舞ひは、別段悪くはないが、しかし、《吾》が《吾》と認識した《吾》といふ全《存在》、つまり、此の世の森羅万象は、神仏に縋る事無く、徹頭徹尾《吾》は《吾》によって徹底的に《弾劾》される事で初めて、神仏の前に立てるのぢゃないかい?
 私から言はせれば、現在、生きてゐる主体全ては、神仏はもとより、《世界》にもおんぶに抱っこされた甘ちゃんばかりが生き延びる不合理極まりない《世界》の無情を感じずにはゐられぬのさ。此の世の森羅万象は、しかし、君、己を己で裁く《主体弾劾》を行使すると思ふかい?
…………
…………
――つまり、丙君は、人類は殆ど進化してゐないといふ事を言ひたいのかい?
 と、甲君が丙君に尋ねると、
――ああ。私に言はせれば人類は進化してゐるどころか、むしろ退歩してゐるとしか思へぬがね。
 と、丙君が言ふと、雪が、
――あら、丙さんは、もしかして文明否定論者ぢゃありませんの?
――はい。私は此の文明といふ奴との相性がとことん悪いやうで、どうも文明に対しては、否定的な感情しか湧かないのです。
――それは何故かしら?
――多分、文明が進歩する事、即ち人類の進歩といふ能天気な考へが全く受け入れられず、自分でもほとほと困ってゐるのです。これまで、人力でしか行へなかった事が、どんどんと文明によって人力以上の事がいとも簡単に行へ、さうして人類の人工奴隷として生み出された文明の利器の数数を見てゐると、哀れで仕方ないのです。
――へっ、何をしをらしい事を言ってゐるのだ、丙君?
 と、甲君が半畳を入れたのであった。
――では、甲さんは、人類は進歩してゐると?
 と、雪が訊くと、甲君は、
――へっ、まさか! 俺はさっきから言ってゐるやうに主体は《世界》から抛り出されちまって救ひやうのない《存在》として捉へています。
――さうでしたわね。
――私は丙君に賛成だ。
――僕もだ。
――私はどちらとも言へない。
 と、乙君、丁君、そして君が言ったのであった。
――雪さんはどう思ひますか?
 と、甲君が笑ひながら訊いたのであった。
――さうね、文明の利器に関しては、人類の奴隷でもあり、人類の主人でもある……かしら。
――成程。
――それでは、文明の利器が主人の場合、人類は、どんな思ひでゐるのでせう?
――それは苦苦しく忸怩たる思ひで、もしかすると、その人達の胸奥では不穏な復讐心が芽生えて、燃え盛ってゐる、殺人鬼へと豹変する素地の上にゐるのかもしれませんわね。
――成程。
 と、甲君が言ったのであった。すると、丙君が、
――雪さん、《存在》が《存在》する以上、《他》の殺戮はなくならないと思ひますか?
――それは食料を除いての事かしら?
――はい、さうです。
――さうねえ、哀しい事ですが、主体が何かを信仰してゐる限り《他》の殺戮はなくならないと思ひますわ。しかし、何の信仰もない主体はこれまた一時も生きられないのもまた事実でせうね。
――すると雪さんは、諸悪の根源に信仰があると?
――私は、信仰は尊ひ事とは思ひまずが信仰が尊ひが故に、自然が邪神や邪鬼の一面を持ってゐるやうに、信仰は、醜悪で《吾》といふ《存在》には荷が重すぎ、手に負へぬが故に吹き出す暴力が、信仰には厳然と《存在》してゐるのもまた確かでありませんか、丙さん?
――例へば《存在》は絶えず「真」、「善」、「美」を求めずにはをれぬ《存在》であると看做すと、その事自体に、必ず「邪」、「悪」、「醜」をも求めてしまふ元凶が潜んでゐるといふ事ですか、雪さん?
――はい。私の経験に照らしても……、さうですし、また、此の世の森羅万象は全て、「真」、「善」、「美」を求めずにはゐられぬのに比例する形で「邪」、「悪」、「醜」に魅せられてしまふといふ、《存在》がそもそも矛盾した《もの》でしかないと考へてゐます。
――へっ、何やら面白くなってきたな、丙君。
 と、甲君がにたりと笑ひながら丙君に言ったのであった。しかし、丙君は甲君には構はずに更に雪に訊いたのであった。
――それでは雪さんは、もしかすると《存在》が諸悪の根源と看做してゐるのですか?
――本当の処はそれを認めたくはないのですが、《存在》は何かと考へれば考へる程に、《存在》が諸悪の根源と言ふ一面を持ってゐる事は否めません。そして、それは「先験的」なの事だと私は考へてゐます。しかし、それはとても残念で仕方がないのもまた事実です。
――そんな事は……文学作品を読めば必ず「邪」……「悪」……そして「醜」なる主題が書かれてゐて……それが文学の永劫の主題とも言へるものなのだが……しかし……だからと言って私には何も言へないのだが……しかし……《存在》から「邪」、「悪」、「醜」がなくなっちまふと……そもそも《存在》は雲散霧消してしまふ何かとしか私には思へぬのだが……だから……私は私が此の世に《存在》してゐる事に憤怒せずにはをれぬのだ!
 と、文学青年の丁君は珍しく最後は語気を強めて言い放ったのであった。
――へっ、丁君、そんな事は皆承知しているのを知ってゐるぢゃないか。
 と、甲君が丁君を宥めたのであった。しかし、一度憤然としてしまった丁君は、未だ怒り収まらずの態で、その怒りを自身に向けて自身を呪ってゐるやうであったのである。すると、丙君が、
――甲君の言ふ通り、丁君の言った事は皆自覚してゐる事なのです、雪さん。
――さうですか。しかし、あなた方はそれが甘受出来ずに苦悶してゐるのぢゃありませんの?
――ご名答、雪さん!
 と、甲君がその明るい語調とは裏腹に甲君はその顔に少し憂ひを漂はせて言ったのであった。