審問官第二章「杳体」
――さうしますと、あなた、甲さんは「黙狂者」のこの方は、この方が呼ぶ処のこの頭蓋内の闇の脳といふ構造をした《五蘊場》といふ仮象にこの方が逃げ込んだといふのですね?
――はい、それ以前に、雪さんは《五蘊場》が何の事なのか解かりますか?
――いえ、詳しくは。しかし、「黙狂者」のこの方が「現存在」の行為を全て脳に帰す事に反旗を翻してゐるのは、間違ひない事でせう?
――其処です。現代の「現存在」は脳を残る未開の地として探査を始めてしまったが、仮令脳内の発火現象の全てが隈なく解読出来たとしても、私はこの「黙狂者」君と同様に科学的にその全貌が解明された脳を拒否します。
――それは何故ですの?
――多分に科学に対する不信感からです。
――つまり、甲さんは、反科学主義者といふ事かしら?
――いいえ、それは違ひます。私は単に神学から離れてしまった科学は科学としては全く認めることは出来ないといふ事だけです。
――さうしますと、甲さんは、《神》は《存在》すると?
――へっ、《神》が《存在》しなければ、此の世はどうして生まれたのですか?
――その《神》は基督教、若しくは回教的、若しくはゾロアスター教的な一神教の《神》ですか、それともこの日本に生滅する八百万の神神の事でせうか?
――そんな事は、どれでも構ひやしないのです。唯、《神》といふ観念が実在し、つまり、私の言ふ《神》は、「現存在」の「先験的」な事項で、多分、無限と同じやうに背理法の論理をもってしても此の世から排除出来ない《存在》なのです。
――君の言ふ《神》の《存在》は背理法による無限の《存在》とは明らかに違ふだらう? 君の言ふ《神》は《存在》に纏はり付く《神秘》の事だらう?
と、猊下たる丙君が甲君に言ったのであった。
――甲君、君が言ふ《神》は限りなく数学に近しいぜ。
と、ヰリアム・ブレイク好きで数学専攻の乙君が言ったのであった。
――そして、数学も《神》に結び付き易く、ギリシャのピタゴラス学派ぢゃないが、数学の論理の美しさは、《神秘》を生み出し、「現存在」を魅了して已まないのだが、例へば数学教なる宗教が《存在》し、其処に偉大なる《神》が《存在》すれば、多分に、科学者は、その信者に為るに違ひない。だが、数学は何時の時代かは私は知らぬが、無理矢理宗教から遠く分派し現在では宗教の匂ひがしないのが数学といふ、摩訶不思議な不文律が成立してゐるやうに思へるが、しかし、「現存在」が数学的なる《世界》に、しかも、其処にはどうしても《神》の《摂理》が《存在》するとしか思へぬ《世界》に投企されてゐるのは間違ひない。
と、乙君が更に続けたのであった。
――数学をして《神》を暗示するといふやうに思ひ為する、その思惟形式が既に宗教ぢゃないかね?
と、甲君が数学専攻の乙君に言ったのであった。
――さうだね。数学に魅了されてしまった《もの》は、多分、全てが観念上の《神》の《存在》を信じてゐるかも知れないな。さうぢゃなきゃ、数学なんぞに胸躍らせ、そして、数学に憑りつかれて、その人生を狂はす狂気の沙汰なんて起こりはしないからね。
――すると、君によると、現在の数学が手中にしようと目論んでゐる《もの》は何かね?
と甲君が乙君へ言ったのであった。
――やはり、《無限》と、そして、《もの》といふ個体の扱ひ方かな。つまり、数その《もの》を問ふといふ事さ。
――つまり、それは現代数学では、数字その《もの》の《存在》が曖昧模糊で不確定な《もの》で、もはや数字自体で数字その《もの》を定義出来ないといふ事かね?
と、猊下たる丙君が乙君に訊いたのであった。
――いや、唯、普通の日常世界と数学の世界が全く交はらない程、隔絶した《もの》へと現代では数学その《もの》の様相が変はってしまった事に、数学者以外は余りに無頓着だといふ事さ。つまり、例へば、或る《もの》が「一」と言ったとしてその「一」は何の事なのか、数学で定義する時、「空(から)」が前提になってゐる事さ。
と、乙君が言ったのであった。
――これは独断だがね、数学で《ある》といふ事を語る時に、先づ、「空」が《存在》してゐないと定義すら出来ないのだとすると、それは暗に「空」が《無限》の《存在》を要請してゐると言へるのと違ふかな。
と、丙君が言ったのであった。
――当然、さう看做して差支へないだらうだがね。だが、「空」と《無限》は近しくありながら、《無限》に遠い観念だよ。
と、乙君は何かの意味を噛み締めるやうにさう呟いたのであった。
――さうしますと、乙さん、数学では、《存在》その《もの》が「空」を前提にしなければ、何にも定義できないといふ事ですの?
――はい、雪さん。
――さうしますと、仏教の《空(くう)》と数学の「空」とでは何か随分と違ふやうでゐて、案外近しい《もの》なのですね、うふっ。
――しかしだ、数学を用ひる以前に存在論を語る場合、既に何百年にも亙って「空」と《空》と《無》と《無限》について、森羅万象は思ひ惑ってゐる。
と、猊下たる丙君がさう言ったのであった。これを聞いた甲君が、
――でも、そんな事を問題にせずとも「俺は《存在》する」と言へちまふのも確かだぜ。
――例へば、かう考へるとどうでせうか。森羅万象の《存在》の担保には、「空」と《無限》の《存在》が所与の《もの》として前提になってゐて、《存在》が《存在》するといふTautologyにも似た言ひ種は、其処に無意識裡に「空」と《無限》、そして、《無》と《色》と《空》が同時に概念上に重なり合って《存在》し、それ以外では《存在》を語れるとは看做せない以上、それは、詰まる所、何《もの》も《存在》に意味すら見出せないといふ行き詰まりの処に、森羅万象は追ひ詰められてゐて、そして、苦し紛れに「私は」と言ってゐると看做せます。つまり、《存在》してゐるといふ言葉には、暗に「空」と《無限》の《存在》が「先験的」に含意されてゐて、つまり、《存在》について何かを語るには、どうしても「空」と《無限》に言及せずば、何《もの》も既に《存在》に関して何も語れない状況が現在、森羅万象が置かれた様相といふ事ですね、丙さん。
と、雪が何かに思ひ至った如くに語ったのであった。
――或ひは雪さんの言ふ通りかもしれませんが、此の世の森羅万象は己が此の世に《存在》すると思ひ為すのは、唯、「《吾》あり」と《念》ずるだけで、既に《吾》なる得体の知れぬ《存在》は、さう《念》ずるのみで《存在》してしまふ。其処には《無限》は未だその《存在》にとって観念としてすら想起されてをらず、つまり、《吾》が《存在》するとは、初めに「《吾》あり」と《念》ずるのみで、《吾》は己の《存在》をこれっぽっちも疑はないといふ事です。しかし、その《吾》は途端に《吾》に対する途轍もない猜疑心に駆られ、「《吾》あり」と《念》ずるに呼応して「《吾》とは何んぞや」といふ疑問が既に《吾》には生じてゐるといふ矛盾をこの《吾》は抱へ込まざるを得ぬのもまた事実です。
と、猊下たる丙君が自身を確認するが如くに己に対して言ったのであった。すると、雪が、
作品名:審問官第二章「杳体」 作家名:積 緋露雪