審問官第二章「杳体」
――つまり、脳以外の、つまり、あらゆる体躯の、つまり、部位に再生医療で再生されるか、つまり、または、つまり、精巧に作られた、つまり、機械の体躯に、つまり、総取っ換へる事は、つまり、人間の、つまり、業故に、つまり、一気呵成に、つまり、突き進むのは、つまり、止めようもないが、つまり、果たして、つまり、体躯は、つまり、脳の、つまり、下僕として、つまり、《存在》する事に、つまり、肯ふ《もの》なのだらうか、と、つまり、さう考へると、つまり、腕の、つまり、自同律が、つまり、成り立って、つまり、腕は、つまり、己が腕であって、つまり、脳とは違ふ事は、つまり、腕は、つまり、自覚してゐる筈で、つまり、腕が、つまり、腕である事を、つまり、自覚してゐなければ、つまり、こんな高度に、つまり、各部位が、つまり、それぞれ、つまり、見事に、つまり、発達した、つまり、高分子の有機的な意識体は、つまり、生まれる術はなかった。
――ねえ、さうすると、あなたは、例へば人体は、その部分部分、いいえ、各細胞が己は己だといふ《意識》を持った《存在》として、此の「現存在」を思ひ描いてゐるといふことかしら?
――つまり、《吾》は、つまり、細部に、つまり、宿る《もの》なのさ。
――うふっ、《吾》は細部に宿るって、あなたはまた面白い事を言ふのね。
――つまり、細部に《吾》が、つまり、宿らなければ、つまり、Fractalな、つまり、《個時空》といふ、つまり、《吾》の、つまり、《存在》の有様は、つまり、成り立つ見込みは、つまり、なく、つまり、此の世に、つまり、単細胞が、つまり、誕生してしまった刹那、つまり、自同律の不快は、つまり、始まってしまった。否、つまり、此の世に、つまり、反物質と対消滅して、つまり、光となって消滅せずに、つまり、残ってしまった物質、つまり、の状態で、つまり、既に、つまり、《吾》は《吾》だ、つまり、といふ、つまり、自同律は、つまり、《存在》してしまった。
――ちょっ、つまり、《杳体御仁》の「黙狂者」君は、《吾》は、つまり、更に分解可能な《吾》の複合体といふ事を目論んでゐると解釈していいのかな?
と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が、その笑顔とは裏腹に『それは断じて認められぬ。つまり、否だ!』と胸奥で叫びながら私に訊いたのであった。
――つまり、さうさ。つまり、《吾》は更に分解可能の、つまり、小《吾》の複合体として、つまり、更に小小小《吾》の、つまり、複合体として、つまり、何処まで行っても、つまり、金太郎飴の如く、つまり、Fractalな《吾》が、つまり、顔を覗かせる、つまり、《存在》が、つまり、此の《吾》なのさ。
――ねえ、それは物質にも同じやうに当て嵌まる事なのかしら?
――ああ。つまり、物質にも、つまり、その素粒子まで行っても、つまり、《吾》は《吾》だといふ、つまり、此の世の《存在》、つまり、その根元において、つまり、《吾》は《吾》であるといふ、つまり、自同律を、つまり、授けられてゐる以外、つまり、《吾》といふ、つまり、観念が、つまり、生まれる筈は、つまり、ない。
――さうすると、あなたは、《吾》といふ自意識は本質に先立つといふ事を支持するのね?
――つまり、それは、つまり、実存は、つまり、本質に、つまり、先立つといふ、つまり、サルトルの言葉を、つまり、捩った、つまり、言ひ種と思ふが、つまり、私にすれば、つまり、《吾》といふ《念》は、つまり、本質に、つまり、先立つ、つまり、《もの》だと、つまり、私は思ふ。
――あなたがさういふ考へ方に至った理由って何かあるのかしら、うふっ。
――つまり、《吾》を、つまり、絶えず、つまり、問ひ詰めると、つまり、私においては、つまり、《吾》といふ自意識、つまり、若しくは、《念》は、つまり、本質に、つまり、先立つといふ、つまり、考へを、つまり、採らないと、つまり、《吾》が、つまり、此の世に、つまり、生まれる端緒が、つまり、見出せないのさ。
――それって唯心論や唯物論の系譜にあるのかね? 若しくは実存主義とそれらに続く現代思想、または唯識による《もの》なのかね?
と、鋭い眼光をぎらぎらと輝かせた猊下たる丙君が言ったのであった。
――へっ、そんな事、解かれば何の苦労もなく、彼が「黙狂者」になる事はなかったに違ひない。なあ、《杳体御仁》の「黙狂者」君!
と、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が軽口を敲いたのであった。
――しかし、《吾》の誕生には、どうしても《存在》が付き纏ひ、そして、その《存在》に有限な場合と無限な場合があるとして、有限か無限かでその位相が全く違ってしまふといふ、《存在》とはその様に面妖なる《もの》なのさ。
とヰリアム・ブレイク好きの乙君が言ったのであった。
――一つ、あなたにお伺ひしますが、無限は実際の処、有限な「現存在」に思惟可能な《もの》と看做して宜しいのかしら?
――現時点では、無限が現はれるのは背理法によってのみです。
――つまり、無限を背理法以外の方法で導く事は今の処不可能であるといふ事かしら?
――カントの二律背反が好例です。
と、乙君が言ったのであった。すると、文学青年の丁君がぼそりと呟いたのであった。
――ところが、此の《生》といふ哀しき性を持ってしまった「現存在」たる《意識》の複合体たる人間は、無限を演繹的にか、帰納的にか証明出来得る何かとして何の疑問も持たずに表象され、無限を恰も実数の仲間の如くに扱ってゐるのが、現代人の大きな誤謬ぢゃないかな。しかし、仮令……。
と、丁君は再び途中で言葉を呑み込み、ぷつっと喋るのを止めて口籠ってしまったのであった。
――さう、其処だ!
と、猊下たる丙君が、更に眼光鋭く私達を睥睨しながら言い放ったのであった。
――つまり、私達は無限といふ玩具を与へられて、それが恰も無限が吾が手で掌握出来るかの如き《もの》として、つまり、実体する《もの》として、軽軽しく取り扱ってゐる内に、何だか、無限は誰もが簡単に弄べる《もの》として、つまり、観念の遊具として、何か具体的な《もの》として、取り扱ってゐるといふ愚行を今こそ省察しなければ、無限の方が、《存在》を見て薄ら笑ひを、その名状し難い口辺に浮かべて、または、吾等の思惟には結局の処、捉へられないと高を括って哄笑してゐるかしてゐて、詰まる所、有限なる《存在》は、果たせる哉、無限を捉へる事が可能かどうかを今一度判断せずば、此の宇宙もまた何だか解からない《もの》に成り下がり兼ねない分岐点に差し掛かってゐるに違ひないのだ。
と、鋭い眼光を爛爛と輝かせて猊下たる丙君が言ったのであった。
ねえ、君、あの頃が懐かしいだらう。私は余命を医師に告げられてから、何故かあの頃の事ばかり思ふことが多くなってね。
今、私が思ふのは、《死》と無限は何やら同じ匂ひがする《もの》に思へて仕方がないのだ。これも雪の影響かな。
…………
…………
――しかし、絶えず思惟を無限へと誘ふのは、《もの》の道理ぢゃないかな。
とヰリアム・ブレイク好きの乙君が言ったのであった。
――あっは、絶えず思惟は無限を欣求するか――。何ともをかしくて仕様がないのだが、これは何故なんだらうか?
作品名:審問官第二章「杳体」 作家名:積 緋露雪