審問官第二章「杳体」
――それはClone(クローン)とは勿論、違ふ何かさ。Cloneは、詰まる所、Cloneを超えることは出来ず、Cloneは寿命が短い《他》であり、《吾》には決してならないといふ論理に照らせば、万能細胞から再生される《吾》もまた《吾》ではなく《他》に違ひない。しかし、万能細胞から再生された《もの》は《吾》へ移植、つまり、《吾》が《吾a》を喰らふも同然で、さうする事で《吾》は生き延びるが、《吾a》は息絶える、そんな時代の到来が直ぐ其処までやって来てゐるのであれば、《吾》とは一体何なのかといふ、これまでは永劫の命題として保留しておけばよかった《もの》、つまり、パンドラの匣を既に「現存在」の人間は開けてしまってゐて、何とかして《吾》なる《もの》を規定する、若しくは定義する宿命を現代人は背負ひ込んじまったのさ。すると「人は麺麭のみに生くるに非ず」といふ基督の言葉の本質を深い深い深い懊悩の中で「現存在」は唯、ぢっと噛み締める外ないといふ事だ。
と、君が重重しく言ったのであった。
――さて、其処で一つ問ひを出すと、果たして、《吾》は再生医療の進歩の極致で《意識》を再生出来ると思ふかい?
と、丙君が、重重しく言ったのであった。すると、君が、
――多分、「現存在」たる人間の最終目標は《吾》の《意識》の再生にあるだらうが、脳に関して言へば、Neuron(ニューロン)を部分的に再生させる事はするかもしれぬが、脳を丸ごと再生された脳と取り換へる事は、「現存在」たる人間は出来ないと思ひたいが、しかし、欲深く業突く張りの「現存在」たる人間は何を仕出かすか解からぬのもまた、真実だらう。
と、君が言ふと、文学青年の丁君がぼそりぼそりと言ったのであった。
――例へば、「現存在」が永劫の《生》を手にした時、その時、「現存在」は首のみで生き延びるのであらうか? 多分、しかし――。
と、再び、丁君は次の言葉を呑み込んでしまったのであった。その時、ヴァン・ゴッホ気狂ひの甲君が誰にも知れずに自虐的な嗤ひを口辺に浮かべ、きっと丁君を見た事は、私を除いて誰も気付かなかったに違ひない。すると、雪が、
――それは或る種の夢物語でしかないわ。脳を形成するNeuronなどの脳細胞の幽かな幽かな幽かな発火現象で、私達「現存在」の行為や思惟活動が行はれてゐる事は、否定はしませんが、頭蓋内の闇にぱっと明滅する現象を言語に解読出来たとして、その事で、《吾》は《意識》さへすれば、外界の《生者》の体躯の代はりに拡大延長した巨大なNetwork(ネットワーク)に繋がる機械が、《意識》に正確無比に反応したからと言って、うふっ、さうなれば尚更ですけれども、《吾》は自同律の不快に堪へ切れないに違ひないわ。
――しかし、人間の欲として不老不死が《存在》する限り、死すべき運命を認識してゐる「現存在」にとって、不老不死の諦念では片付かぬ、何だかのっぴきならぬ方向へと現実は進行してゐるやうに思へるのだがね。
と、猊下たる丙君が言ったのであった。その時、丙君の既に鋭さを増してゐた眼窩の眼光は一瞬、きらっと光ったのであった。
――さうなると「現存在」は子を産まなくなるわね、うふっ。
と、雪は少し顔を赤らめながら、自身に降りかかった男による凌辱を浮かべながらか、恥ずかしげに言ったのであった。
――ねえ、あなたは、首のみが永劫に生きる「現存在」、つまり、幾ら再生医療が進歩しようが、老齢により全身癌に為れば、最早肉体は捨てざるを得ないからなのだけれども、その首のみで生き残る「現存在」の未来形をどう思ふの?
と、雪は、私に問ふたのであった。甲君、乙君、丙君、丁君、そして、君達は、雪の言葉に呼応するやうに一斉に私にその視線を向けたのであった。私は、一息「ふう~う」と吐いて徐にかう書いたのであった。
――つまり、覚悟が、つまり、あるかどうかだらうね、つまり、《吾》は《吾》であるといふ、つまり、自同律を、つまり、未来永劫に亙って、つまり、首とNetworkに、つまり、繋がった、つまり、主体の、つまり、《意識》と巨大な機械の体躯、つまり、それは、つまり、地球と言っても、つまり、過言ではないが、つまり、首と、つまり、Networkで、つまり、地球全体と、つまり、繋がってしまった、つまり、「現存在」は、つまり、裏を返せば、つまり、首のみの、つまり、《意識体》へと為り果せてしまった、つまり、《吾》は、つまり、地球全体に、つまり、拡大する事で、つまり、《吾》は、つまり、《吾》である事を、つまり、一瞬でも忘却して、つまり、《吾》は《全》であるなどといふ、つまり、妄想を、つまり、抱く事無く、つまり、《吾》は、つまり、何処まで行っても、つまり、首のみの《吾》でしかないといふ、つまり、断念を、つまり、出来ないのであれば、つまり、「現存在」は、つまり、不老不死を希求しては、つまり、ならぬと、つまり、そして、つまり、《吾》の機械化による、つまり、《吾》の巨大化、つまり、若しくは、つまり、《吾》の、つまり、無限の、つまり、延伸は、つまり、一体、つまり、「現存在」に、つまり、何を、つまり、齎すのかと、つまり、自覚せねば、つまり、首といふ《吾》の《意識》を容れる器と、つまり、地球規模に、つまり、拡大した、つまり、Networkと、つまり、体躯の機械化によってしても、つまり、《吾》は、つまり、自同律の不快からは、つまり、遁れる筈もない。
――それは、詰まる所、此の世に《存在》する森羅万象は、それが、例へば人体に例を取れば、複数の臓器などから成り立つ以前に、既に各各の臓器に《吾》といふ《意識》が宿ってゐるといふ《杳体御仁》の「黙狂者」君の思惟とは無関係ではないだらう?
と、甲君が飄飄と言ったのであった。
――《杳体御仁》の「黙狂者」君の奇妙な汎神論、それは、此の国に太古より伝承された八百万の神神への信仰と同根の、汎神論によって、此の世が形作られてゐるといふ、つまり、此の世の森羅万象は、さて、何処へ向かってゐるのかな。
と、猊下たる丙君が薄らと微笑みながらも眼光のみを異様に輝かせて言ったのであった。
――ねえ、あなた、再生医療が極限まで進歩を遂げた時、「現存在」は、頭蓋内の闇の脳といふ構造をした《五蘊場》を総取っ換へする、愚行へ歩み出す可能性があると思うの?
と、雪が私に訊いたので、私は、かうNoteに書いたのであった。
作品名:審問官第二章「杳体」 作家名:積 緋露雪