知恵と本能
大団円
その結界が、世の中の、
「正対するもの」
であったり、
「交わることのない平行線」
あるいは。
「限りなくゼロに近い」
などという発想に至るのであり、それが、
「人間には、フレーム問題というものを無意識に解決できるだけの知恵のようなものがある」
ということになるのであろう。
実際に、世の中における。
「正対する」
というものが存在することで、それらの、
「数式で解くことができる理屈」
というものが、人間の中に備わっていると考えられるのではないだろうか?」
これが一人一人の個人単位であれば、
「結婚」
というものであったり
社会の仕組みという。
「会社組織」
さらには、
「国家体制」
というものには、必ず、何らかの、
「対になるもの」
というのが存在するのだ。
これは、
「夫婦としての、つがいというもの」
であったり、
社会体制における、
「社会主義と自由主義」
の関係のようなのであったり、
さらには、
「顔などにも、
「目、鼻の孔、耳」
などと、
「対になっている者が存在する」
というわけだ。
それが、どのような形になるのか?
ということを考えると、
「必ず、必要なもの」
であるということを、無意識に分かっているのだろう。
これが、ある意味、
「人間だけが、フレーム問題を理論的に、解決できる」
ということで、それは、
「他の動物のように、本能というものが存在しないからだ」
ということになるのだろうが、それは、結局、
「石ころという存在を、無意識のうちに意識している」
ということからであるう。
つまり、人間というのは、
「無意識に意識をしている」
という知恵を持っているからであろう。
この機能を、
「知恵と言っていいとすれば、人間だけであり、頬化の動物は、本能という形になるのだろう」
もし、
「人間だけが、どうしてフレーム問題を解決できるのか?」
ということになるのかというと、それは、ここでいう、
「知恵」
というものを持っているからであろう。
それが、
「正対するもの」
という考えに至るのではないか?
と考えるのであった、
( 完 )
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