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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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嗤ふ吾

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 と、此の世に《存在》を出現させた《神》、若しくは此の宇宙の摂理に対して、絶えず、疑義の叫び声を、何に向かってか、上げて、さうやって、《吾》に潜む《異形の吾》を宥めすかして、現在に至ってゐるとも考へられなくもないのであった。つまり、《吾》が《吾》に対して疑義の念を抱くのは必然であって、能天気に己を全的に自己肯定出来る《存在》程、気色悪い《存在》はなく、さうすると、《吾》は絶えず、《異形の吾》に対して罵詈雑言を浴びせるのが、《吾》が此の世に《存在》する正しき作法に違ひないのであった。
 しかし、それは私が《異形の吾》に対する形式的な作法に過ぎず、実際の処、私は、《異形の吾》の棲む処が、もしかすると私が夢で見る《闇の夢》ではないかと思ひ為し、その証左が《闇の夢》を前にして私は夢の中で、
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
 と、嗤ふ事で、私は私なる《存在》を自己承認してゐるのかもしれないのである。
 先づ、私は絶えず、《吾》なる《もの》を疑ってゐるので、《吾》の自己承認は私においては、自己否定でしかなかったのである。
 ところが、《吾》といふ《存在》は、全く私に認められてゐない事には絶えず憤懣を抱いてゐて、その私が《吾》に対して抱いてゐる自己否定と自己肯定の狭間で、私においてそれを何とか摺り合せて、最後は私において、共存させる術が見つかれば、私は何とか此の《世界》の中で、その摂理に対して従順になれるかも知れなかったのであるが、《吾》は否定と肯定に完全に引き裂かれたまま、其処に底無しの深淵を見、多分に、それが、《闇の夢》として、私の夢の中に出現してゐるのかも知れなかったと合点してゐるのであった。
 それにしても《吾》はそもそも不運な《もの》であるといふのは確かであったのかもしれない。つまり、《吾》は《吾》とは異なりながら《吾》であると名乗る《異形の吾》を絶えず抱へ込んでゐる事は、誰も同じ筈なのだが、此の《異形の吾》は、変幻自在で直ぐに《吾》にとって代わる事は、日常茶飯事で、そして、それが、《吾》が《吾》に対して大いなる不信を抱く契機となり、《吾》は絶えず疑心暗鬼の目を《吾》に向けて、最後は我慢が出来ずに《吾》に罵詈雑言を浴びせ掛けるのが、何時も繰り返し行はれる事なのであった。
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
 また、この私が夢に見る《闇の夢》は、多分に私自身の醜悪で厭らしい部分が凝縮してゐる筈で、それらを私に見せない為に夢は、《闇の夢》として私に現はれるのは間違ひない事であった。つまり、《吾》といふ《もの》を容れる器は、闇以外在り得ないといふのが私の率直な感想で、これはこれまでも何度も触れた事であったが、絶えず、自己肯定する《吾》も気色悪いのであったが、絶えず、自己否定する《吾》もまた同じく気色悪い《もの》で、頭蓋内の闇の脳といふ構造をした《五蘊場》で、Neuronの発火現象が絶えず起こって、私はその《五蘊場》に《吾》なる《もの》をもまた表象し、そして、自問自答といふ陥穽に落っこちて、其処から這ひ出す事もせずに恰も岩窟王の如くその陥穽から出る気配は全くなく、しかし、棲家としても一時も休まる事はなく、然しながら、絶えず、《吾》なる《もの》と対話をする至福の時間を知ってしまってゐる私は、何にでも変容可能な、それは無限といふ観念に何処か繋がっている《闇の夢》に出合ふ事を、多分に望んでゐたのもまた確かなのであった。
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
 《闇の夢》を前にして、何時も哄笑せずにはをれぬ此の《吾》とは、さて、何《もの》かと自らに問へば、自己が自己正当化するといふこの世で一番悪しき愚行を行ふ《吾》なのかもしれず、然しながら、善なる《吾》もまた《闇の夢》の中に或るひは《存在》してゐなくもないと思はれるのであった。そして、闇こそが《吾》を正確無比に映す鏡である事は先述したと思ふが、確かに闇は、《吾》を正確無比に映す鏡であって、不肖なる《吾》が仮に《闇の夢》に対峙してゐるのであれば、《闇の夢》は、そんな《吾》を映し出し、それ故に《吾》は、
――《吾》だと、ふはっはっはっはっ。
 と、哄笑せずにはをれなかったのであったのもまた事実であらう。
 さて、其処で、《闇の夢》は聾唖な《存在》なのかと言ふと、それは違ってゐて、《闇の夢》は絶えず私に語りかけ、謎を出し、そして、《吾》なる事を私に問ふのであった。そして、その度毎に《闇の夢》は水墨画の墨の如く濃淡が現はれ、そして、ぐるぐると渦を巻いてゐるのであった。
 《闇の夢》が薄らとであるが、渦を巻いてゐる事に気付いたのは、しかし、つい最近の事なのであったが、それに対して、私の感慨は、
――やはりな。
 といふものでしかなかったのである。つまり、《闇の夢》が渦を巻いてゐるといふ事は、《闇の夢》にも私とは別の自律的な時空間のカルマン渦が《存在》し、それは詰まる所、《吾》とは決定的に違ふ《存在》として《闇の夢》が私の《五蘊場》に《存在》してゐる事を意味してゐるに違ひはないのである。つまり、
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
 と、《吾》が《闇の夢》を見た刹那、哄笑するのは至極当然の事で、元来が、別の《もの》である《吾》と《闇の夢》を一括りにして、《吾》として始末してしまふ事には無理があり、私は夢で《闇の夢》に対峙した時に、
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
 と嗤ひ飛ばす事は、自然の成り行き上、至極自然の事で、然しながら、其処には大いなる矛盾が潜んでゐるのであるが、その矛盾を語る前に、《闇の夢》にはもしかすると《吾》を捕らへる罠が仕掛けられてゐて、《吾》は《闇の夢》を一瞥するだけで、その《闇の夢》が発する魅惑に惑はされ、ところが、《吾》はといふと一向にそれとは気付かずに《闇の夢》に《吾》は《吾》として映し出されてゐる、若しくは炙り出されてゐるのであるが、それを《吾》は《吾》の姿形とは露知らずに、《吾》は、
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
 と、哄笑し、《闇の夢》に映る《もの》が《吾》の異形の姿である事を端から否定してかかるその心理状態は、もしかすると夢の中だけの事で、そして、それが《闇の夢》を前にしてのお決まりの事なのかもしれなかった。
 しかし、《闇の夢》が渦を巻いてゐるとなると、どうもこれまで《闇の夢》に対して抱いて来た印象は全て虚妄に過ぎず、《闇の夢》には《闇の夢》にのみ当て嵌まる摂理が《存在》する事は、最早、否定する事は出来ぬ事なのであった。
 それでは、《闇の夢》の摂理はどんな《もの》なのかと問へば、
――解からぬ。
 といふのが正直なところで、その外に思ひあたる《もの》など全くなかったのであった。
 しかし、夢に《闇の夢》を見てしまふ私にとって、《闇の夢》はどう考へても《吾》を生け捕りにするとしか思へず、また、実際の処、《吾》は《闇の夢》にまんまと捕らへられてゐる事は事実であって、さうでなければ、私が、《闇の夢》を前に、
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
作品名:嗤ふ吾 作家名:積 緋露雪