嗤ふ吾
と、哄笑する私といふ《存在》は、如何にも矛盾してゐる《存在》なのだと自覚せねばならない筈なのであった。しかし、何故に《吾》といふ《存在》が、元来、矛盾してゐるかは、これまた詰まる所、解からぬままでありながら、私は自嘲するやうに、
――私の《存在》は矛盾してゐる。
と、言明すれば、《吾》は《存在》の責め苦から遁れられ、また、《吾》といふ《存在》は許されると、あざとく考へてゐる節もあって、また、そのあざとさがなければ、此の《存在》といふ得体の知れぬ《もの》に一時たりとも対峙出来ないと断定してゐるのもこれまた、否定出来ぬ事なのであった。
それ故にであらう。私が夢で《闇の夢》を見ては、その闇が何かへと変容して姿形のあるれっきとした《存在》へと変貌するその激烈なる変容の現場に立ち会ひたい欲があり、
――《吾》もまた変容す。
と、呪文の如くぶつぶつと呟きながら、その実、瞼を閉ぢて、眼前に拡がる薄っぺらな闇に無限を見出す振りをする、何かしら擬態する《存在》へと、つまり、闇に対して擬態する《存在》に己が為り得る願望すら抱いてゐるのが己に対して見え見えに見え透いてゐて、その瞼を閉ぢて眼前の薄っぺらな闇を見て、無限を思ふ錯誤を心の何処かで楽しんでゐる己を不意に発見すると、
――ふっふっふっ。
と嗤って誤魔化すのである。
ところが、此処で先に触れてゐた《杳数》といふ浅墓な考へを持ち出して新たな数字の更なる拡張する概念を持ち込むと、此の眼前の瞼裡の薄っぺらな闇もまた一気に無限へと変容可能なからくりが《存在》し得るかもしれぬと、期待半分で自嘲しつつも、ところが、私が、本気で《杳数》の《存在》を信じてゐるのを知ると、私は以外にも吃驚して、その照れ隠しも兼ねながら、私は、多分、《闇の夢》を前にして、
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
と、嗤ひ飛ばしてゐるに違ひないのであった。
さて、此処で、これまた先に述べてゐた事、つまり、此の世の時空が根源の処で飛び飛びの非連続的な有様であるかもしれぬと考へてみると、《存在》が孤独である事のその理由が解かるかもしれぬのであるが、しかし、此の世が飛び飛びの時空間によって成り立ってゐると考へる莫迦は、つまり、デカルトの時代ですらさうであった延長といふ《もの》をもってしての世界認識の一つの在り方とは相容れず、また、此の世の時空間が飛び飛びの非連続的な《もの》として表徴出来得た暁には、私は、此の世のアポリアは全て解決するかの如く考へてゐるのも哀しい事に、また、確かなのであった。
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
《闇の夢》は、さて、此の瞼を閉ぢて眼前に現出する薄っぺらな闇と同様の《もの》と看做せるのか、看做せないのかは、現時点では、私には、しかし、如何とも言ひ切れぬのであった。
さて、闇は闇であれば全て同質な《もの》であるのかどうかは、考へるまでもなく、不可であったが、それでも尚、闇は闇としてその闇に如何なる《もの》が呑み込まれてゐても闇である事に変はりはないと、例へば新たな数字《杳数》を導入する事で証明出来てしまふと、それはとても面白いと思ふのであったが、人間は既に《場》といふ考へ方で世界認識をしてゐるので、この闇とあの闇が《場》として認識すれば、それははっきりと違った闇、否、《場》である事は一目瞭然なのであるが、しかし、頭蓋内の闇、それを私は《五蘊場》と名付けてゐるが、その《五蘊場》と瞼を閉ぢた時に眼前に拡がる闇の区別は、今の処、ついてゐないのもまた、確かなのであった。
――闇の同質性か……。
と、瞼を閉ぢた薄っぺらな闇に明滅する数多の表象群は、さて、私が夢で見る《闇の夢》のその闇と何処かが似てゐる処があるのかと問はれれば、それは正しく、瞼を閉ぢて眼前に出現する薄っぺらな闇と、《闇の夢》の闇は、途轍もなく似通ってゐて、多分、その闇は異母兄弟の闇と言へなくもないのであった。
私は、《闇の夢》を見ながら、
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
と、毒づいてはゐるが、しかし、覚醒時の私もまた、
――俺は、ちぇっ、俺か!
と、絶えず己に対して毒づき、自虐的に己自らが先頭に立って《吾》を査問、若しくは総括しながら責め立ててゐるのであった。そんな時、私は、やはり、
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
と、内心ほくそ笑んでは、《吾》を責め立てる《異形の吾》を煙に巻くのを常としてゐたのであった。さうしなければ、《吾》の《五蘊場》に棲み付いて神出鬼没に出現しては、《吾》を責め立てるその《異形の吾》は、際限なく《吾》を責め立て続けるに違ひないのであった。
私は、既に幼少期に《吾》に対する違和、若しくは不信を、さうとは知らずに抱へ込みつつも、
――《吾》は《吾》だ!
と、呪文の如く唱へる如くに、何時も《吾》に対して感じてしまふ違和、若しくは不信を幼心でも
――これは、唯、ぢっとしてやり過ごすしかない《危険》な《もの》。
といふ無意識裡の危機意識として私は感じてゐたやうで、幼児期に既に私を不意に襲ふその《吾》に対する違和、若しくは不信は、
――うわ~~ん。
と、突然何の前触れもなく泣き出す事で、その言葉に出来ずに堪らない感情をやり過ごしてゐたのであった。
そんな私は、当然の事、泣き虫で、多分、親にすれば、私が不意に泣き出す事に大いに困惑を感じてゐたのは間違ひなく、何を隠さう、当の本人が《吾》に対して一番当惑してゐたのであった。
多分に、その《吾》に対する違和、若しくは不信が、私が時折夢で見る《闇の夢》の淵源になってゐるのかもしれず、私は、無意識裡に《異形の吾》を闇で塗り潰しては、
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
と、その《闇の夢》の闇に対して、常日頃、《異形の吾》に《吾》といふ《もの》がどん詰まりへと追ひ込まれてのっびきならぬ《存在》の恐怖とも言ふべきその思ひの丈を、或る種、侮蔑の念を込めて、腹癒せに《闇の夢》のその闇に浴びせ掛けるのであったが、その言は、
――《吾》、《吾》なる事を承服し難き《存在》なりや。
といふものなのであったが、その言は、或る種、《吾》に対して投げやりな言葉を《異形の吾》に宣告してゐると思へなくもないのであった。私は、それ程に《吾》が憎らしくて堪らなかったのが正直な処で、《吾》なる《もの》に底無しの深淵が《存在》してゐる事を、私に教へて呉れたのが、後年に出合ふ事となる、ドストエフスキイやエドガー・アラン・ポーやヰリアム・ブレイクや埴谷雄高や武田泰淳や何冊かの哲学書や物理学の専門書など、先達達が遺した数多の作品群なのであった。
多分に、《存在》は己に対する違和、若しくは不信に苛まれ、
――《吾》とは如何なる《吾》の事なりしや。