令和七年随想録
その4 或る詩人の不安
年は私より一世代若いけれど、生育歴と現在までの経歴は尋常では考えられないほど熾烈である。
私の不安という程度のものではなかろう。
彼はこれまで宿命的な病歴を持っているので働くことはできず、日々自己の魂を見つめて格闘しながらその思いを詩に書き、あと僅かだと自嘲しながら死を待っている。
現実の生活で身体に症状が出ていない時間帯には散歩をしたり女性と会ったり教えたりしているようだ。
私は以前から入会している投稿サイトで、その鋭く透明な感覚の詩に魅せられてポイントを入れていた。
メールをしませんかと言われメールアドレスを教え合ったが、今までメールをした人達のように健康体ではないので、先方の体調が良い時間帯にメールをしていたが、その極短時間にメールを書かねばならないという義務感があったようなので、それほど書かなくても良いという旨を伝えていた。
彼の詩は生きるか死ぬかのぎりぎりの線上で書かれているので、平凡で浅い思慮しか持たない私には到底理解できない。
たまに何かの連絡か時候の挨拶のつもりでメールを書くと、電話できずに申し訳ないという意外なメールが来る。彼は私が電話をしたがっていると思っているようだが、私はその逆の気持ちでいるのがわからないらしい。
自分があまりに高い目線から人を見ているので他人の気持ちを汲み取ることが苦手なのだろう。
彼は容貌とか年齢とか社会の地位とかには価値を認めず、魂との触れ合いを望み、他者ともそういう繋がりを求めている。
私はそういうところに惹かれているので陰ながら応援したいと再入会したが、切り捨てたいという気になることもある。詩人というものは自分の内面ばかりを見つめて生きているから世俗的なことには興味はなく他者の心にも無関心なようだ。