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死刑囚の視点(②佐野剛)

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 絶叫とともに立ち上がった俺の身体は勢いでよろめき、釘と釘の間をさまようパチンコ玉のように、独房の壁や洗面台の角や、動揺する警備隊員たちの身体にぶつかった。抑制しようと掴んでくる警備隊員の手を、両腕をおもいきり振り回して突っぱねる。
「佐野」
 網谷の声が、俺の脳裏に直接語りかけてくるように響く。
「両手を前に」
 まだ他の刑務官や幹部たちは警戒していたが、俺は網谷の言葉に素直に頷いた。しんと静まり返った独房と、F棟の廊下に、俺の手首に手錠がかけられる音が響く。今日も別の独房では誰かが、いつ執行されるか分からない恐れおののき、或いは、今日は自分の番でないことに安堵し、心の底から震えているのだろうか?俺はそいつらわき役に向かって言ってやりたかった。今日は、俺が主役だ!俺の胴に、逃走防止用の腰縄も巻かれたのを確認してから、網谷がいつもの抑揚ない声で、俺に告げる。
「いくぞ」

 大勢の刑務官に囲まれてF棟を抜け、俺のために刑務官たちが用意した線香のにおいが充満する廊下を歩いている間も、ずっと、俺は死の恐怖と闘い続けていた。それは黒い玉のような形をしていて、俺の胃から食道を押し広げるようにして口元までのぼってくる。
「わあああああああああああああああっ!」
そのたびに俺は絶叫し、
「いくぞ!いくんだ!いく!いく!わあああっ、わああああああああああああああっ……!」
 そうして怯え切った自分の身体にカツを入れ、地下の刑場へとつながるエレベーターの扉が重苦しい音を立てて閉まると、死の恐怖は最高潮に達し、それでも俺は、強く食いしばった歯と歯のあいだから猫の威嚇みたく「シィーッ!シィーッ!」という声を出して自分を鼓舞し続けた。

 刑場のすぐ隣に位置する部屋の扉が開かれる。金井が待っていた。金井は、連行されてきた俺と目が合うと一瞬、気まずそうに目を伏せた。が、すぐ決意したようにキッと目を上げる。
「佐野さん、こちらに座ってください」
「先生」
 向かい合うように置かれた椅子を勧めた金井に、俺は冗談めかして言った。
「スマイル、スマイル」
 俺が言うと、金井の表情が崩れ、泣き笑いのような顔になった。

 扉が閉まり、警備隊員たちの手で手錠を外してもらうと、俺は金井と向かい合って座る。テーブルには緑茶が入った湯呑と、どら焼きが用意されていた。
「最後の晩餐か」
 俺が言うと、金井は何か言いかけたが鼻から「ぶっ」という音を出しただけで、何も言えなかった。額の脂汗が、天井の照明に反射してぎらぎらと光っている。俺はもう喉元までのぼりかけていた黒い玉を押し戻すように、お茶を呑み、どら焼きを頬張り、甘い栗の粒をぬるいお茶で身体の中に流し込んだ。沈黙した部屋の中に、俺がどら焼きをもしゃもしゃと頬張り、緑茶をぴちゃぴちゃと飲む音だけが響く。死の恐怖に必死に抗おうとする俺の姿を、金井はただ目を瞬きながら見つめていた。
「なんか、無いんか」
「はい?」
 俺は気づくと鼻から垂れていた鼻水を拳で拭いながら言った。
「今日は俺が旅立つ日なわけだろう?その、俺の門出を祝うキリストの言葉とか、さ」
 金井は少しうつむいて考えこみ、首から下げた金色のロザリオが揺れた。額から流れた汗が頬を伝って顎から滴り落ち、ズボンの太ももに黒いシミを作っていた。俺ほどではないにせよ、こいつも今、きっと闘っているのだ。金井は風呂上りのように湿りきった顔を上げ、濡れた瞳で俺を見た。
「祝福の言葉ではありませんが……旧約聖書の中に、神への賛美の言葉を集めた『詩編』というものがあります」
 そう言って金井は、テーブルの上に置いた聖書の、端がところどころ破けてボロボロになったページをめくり、旧約聖書の中にある『詩編・第121編』を口ずさみ始める。

「都にのぼる歌。

私は、山々に向かって目を上げた。私の助けはどこから来るのか?
私の助けは、主のもと、天と地を造られた方のもとからくる。
 主が、あなたの足をよろめかせることがないように……」
 
 俺は金井の時々震え、時々せき込みながらも続く言葉にじっと、耳を傾けていた。俺の後ろには、俺が暴れたら抑えるための屈強な警備隊員たちがいて、金井の後ろには、網谷がいつもの無表情でじっと立っている。いつも通りだ。俺は思った。ここは週に1回訪れていた教誨室と、何ら変わらない。俺はそう自分に言い聞かせ、震えそうになる膝頭をぎゅっと、握りしめた。

「主はあらゆる災いからあなたを守り、あなたの魂をも守ってくださる」
「主は、あなたの行くのも帰るのも、守ってくださる。今も、そして、とこしえに」

「詩編」の一説を読み終え、顔を上げた金井に向かって、俺は言った。
「俺が、手にかけてしまった被害者と」
 俺は息が苦しくなり、それでも、腹の底から力を込めて、続けようとした。
「被害者と、遺族のためにも……」
 その時、足元でびちゃびちゃと音がした。お茶をこぼしてしまったのかと思った。目線を下げると、ズボンの股間が濡れていた。足元の床に広がっていく自分の尿を見て、俺はもう、堪え切れなくなった。
「わあああっ……!」
 俺の異変を察知した警備隊員たちが、俺の両腕を素早い動きで捕まえる。
「逃げない!逃げないよ!でも……」
 俺は警備隊員たちに向かって、髪先についた汗を飛ばしながら「でも……」俺は必死にかぶりを振った。
「コワイんだ!」
 すぐ横には紫色のカーテンがかけられていて、その奥には、俺を吊るすための刑場がある。俺は怖かった。怖くて、怖くてたまらなかった。捕獲された猿のように立たされると、両足が目に見えてガクガクと震えだした。ムリだった。自分の足であのカーテンの向こうへ、首つりの機械がある場所まで歩いていくなんて。
「ついてきてくれ!先生」
 俺の絶叫に、金井の表情が凍りつく。
「頼む!無理なんだ、一人じゃムリなんだ!」
 刑場へは規則上、死刑囚本人と、刑務官しか入ることが許されていない。分かっていた。でも、俺は縋るように、汗まみれになった金井に向かって叫んでいた。
「頼む!」
「申し訳ありません」
 金井はすまなそうに首を振る。しかし、その目には、今までに見たことが無い光が宿って見えた。そして、ぷっくりと太ったてのひらで、俺のシャツの胸にそっと触れる。
「ここからは、お母さまがついて行ってくださいます」
 その時、金井が触れた部分からぬくもりが広がり、俺は全身から力が抜けていくのを感じた。が、次の瞬間には腕を動かそうとして、激しくもがいた。抑制しようと加勢した警備隊員たちをかき分けて近づいてきた網谷が叫ぶ。
「佐野!もう動くな」
「違う!」
 俺は床に引き倒され手錠を掛けられながらも「違う、違うんだ……!」顎を上げ、床に向かって唾を飛ばしながら叫んだ。
「お守りを……!」
「何ですか?」
 床に押し付けられている俺と目線を合わせるように、金井が這いつくばって俺に問う。
「お守りを……先生に……」
 俺は金井にお守りを渡そうとしてもがいたのだった。「それは……」金井は表情を曇らせる。
「お母さまからもらった大事なモノじゃないんですか?」