死刑囚の視点(②佐野剛)
後ろ手に手錠を掛けられ立たされると、俺は金井に向かって首を振る。母ちゃんは、ついてきてくれるから。俺はもう全身が冷たい汗まみれで喋る気力も残されていなかったが、目線だけで金井に伝えようとした。これから母ちゃんのいるところへいくから、もう、いらない。俺の意志を悟ったのか、金井は一度だけ深く、頷いた。そして、俺に近づくと制止しようとした警備隊員の男に向かって言う。
「大切なお守りを、私にくださるそうです」
警備隊員たちが振り返ると、俺は汗と涙でまみれた顔をわずかに動かして見せた。金井の太った指が俺のシャツの丸首を引っ張り、中にあるお守りを不器用な手つきで探る。そして、つまみだされた角がぼろぼろに破けた「勝運」のお守りと、首から細くなったヒモが外された時、なぜか、俺の目から熱い涙が溢れた。ホントは、よくわからなかった。なぜ金井に、このお守りを託そうと思ったのか。或いは、この世にのこしたかったのかもしれない。母ちゃんの存在を。俺が生きた証を。
お守りをローマンカラ―の胸に抱いた金井が頷くと、俺の足にも縄が巻かれ、後ろから目隠しをされる。生暖かい暗闇の中で紫色のカーテンが開かれる音がし、先導する網谷の「前へ、少しずつ」という声とともに、屈強な警備隊員たちに支えられながら俺は芋虫のように縛られた両足を動かして少しずつ、前へと進む。
刑場と教誨室の境界を示す冷たいラインの感触を足の裏に感じて、俺の喉から、潰れたはずの声が漏れた。
「母ちゃあああああんっ……!」
分からなかった。母ちゃんはついてきてくれる筈なのに、どうしてそう叫ぶのか。「母ちゃんっ」或いは、疑っているのか?俺はもう、母ちゃんに見放されているかもしれない、と。確かに、屋上にある運動場で聞いた母ちゃんの声はもう、聞こえなかった。
俺がこれから逝く場所に、優しかった母ちゃんの姿はないかもしれない。
「母ちゃあんっ!」
だから、俺は力の限り叫ぶんだ。
「母ちゃん!」
母ちゃんが、怯える俺の背についてきてくれるように。これから俺が逝く場所に、どうか、母ちゃんの姿がありますように。
「母ちゃんっ……!」
首に革の冷たい感触が当てられ、俺の肩や背中に触れていた警備隊員たちのぬくもりが消える。かあちゃん……。背後から刑務官の「執行!」という勇ましい声が聞こえる。次の瞬間、俺の足裏から床の感触が消える。俺の目を覆っていた暗闇が、冷たい感触にすり替わった。
作品名:死刑囚の視点(②佐野剛) 作家名:moshiro