審問官第一章「喫茶店迄」
Likewise that the forms of all things are derived from their Genius.
which by the Ancients was call'd an Angel & Spirit & Demon.
PRINCIPLE 2d As all men are alike in outward form, So (and with
the same infinite variety) all are alike in the Poetic Genius
PRINCIPLE 3d No man can think write or speak from his heart, but
he must intend truth. Thus all sects of Philosophy are from the Poetic
Genius adapted to the weaknesses of every individual
PRINCIPLE 4. As none by traveling over known lands can find out
the unknown. So from already acquired knowledge Man could not ac-
quire more. therefore an universal Poetic Genius exists
PRINCIPLE. 5. The Religions of all Nations are derived from each
Nations different reception of the Poetic Genius which is every where
call'd the Spirit of Prophecy.
PRINCIPLE 6 The Jewish & Christian Testaments are An original
derivation from the Poetic Genius. this is necessary from the
confined nature of bodily sensation
PRINCIPLE 7th As all men are alike (tho' infinitely various) So
all Religions & as all similars have one source
The true Man is the source he being the Poetic Genius
(出典:PENGUIN CLASSICS版 「WILLIAM BLAKE――THE COMPLETE POEMS」より頁75~77)
William Blake著
《THERE IS NO NATURAL RELIGION》の拙訳
「如何なる自然宗教(理神論)も在り得ない」
[a]
論証。人間は教育を除く如何なるものからも道徳の適合性に関する概念を持ち得ない。本来人間は感覚に従属する単なる自然器官である。
一 人間は本来知覚する事が出来ない。自身の自然乃至身体器官を通さずしては。
二 人間は自身の推理力によつては。単に自身が後天的に理解(知覚)した事を比較乃至判断出来るのみである。
三 単に三つの感覚乃至三つの要素のみで構築した知覚から如何なる人間も第四の乃至第五の知覚を演繹出来なかつた。
四 仮に人間が器官による知覚の外一切を持たないなら如何なる人間も自然乃至器官による思惟形式以外持ち得る筈もない。
五 人間の希求は自身の知覚によつて限られる。如何なる人間も自身が知覚し得ないものを希求する事は出来ない。
六 感覚器官以外では如何なる事象も知り得ぬ人間の希求及び知覚は感覚(客体)の対象に対して制限されなければならない。
結語。仮に詩的乃至預言的な表現が此の世に《存在》しないならば、哲学的及び試論による表現は即ち全事象の数学的比率となり、及び陰鬱な単一反復回転運動を繰り返す以外不可能故に立ち尽くす(停止する)のみである。
[b]
一 人間の知覚は認識機構によつて制限されない。人間の感覚(どれ程鋭敏であらうとも)が見出す以上の事を知覚(認識)する。
二 推論乃至吾吾が後天的に認識した全事象の数学的比率は。吾吾が更に多く認識すると想定された《存在》と同じである事はない。
三 欠落
四 枠付けは枠付けした者に忌避される。宇宙の陰鬱な反復回転運動でさへ、即ち歯車複合体たる水車小屋に変容するであらう。
五 仮に多様が単純に還元されると看做す場合、そしてそれに取り憑かれたとき、もつと! もつと! は迷妄なる魂の叫びであり、直ちに全事象は人間を満足させる。
六 仮に如何なる人間も自身で持ち得ないものを希求する事が出来るとするなら、絶望こそ人間の永劫に亙つて与へられし運命であるに違ひない。
七 人間の希求が無尽蔵なら、それを持ち得るといふ事は無限であり自身もまた無限である。
応用。全事象に無限を見るものは神を知る。単に数学的比率しか見えぬものは自己しか知り得ない。
それ故、神は吾吾が《存在》する限り《存在》し、即ち吾吾は神が《存在》する限り《存在》するのであらう。
《ALL RELIGIONS ARE ONE》の拙訳
「全ての宗教は一つである」
荒野の一嘆き声
論証。真の認識法が試みであるなら、真の認識力は経験の能力でなければならない。この能力について論ず。
第一原理 詩的霊性が人間の本質である。及び人間の肉体乃至外観の様相は詩的霊性から派生する。同様に全《存在》物の形相はそれら自身の霊性から派生する。古代の人々はそれを天使及び霊魂及び霊性と呼んだ。
第二原理 全人類が形相に於いて同等であるなら、即ちその事はまた(及び等しく無限なる多様性を持つならば)全人類は詩的霊性に於いても同等である。
第三原理 如何なるものも自身の心の深奥から思考し乃至書き乃至話す事は出来ないが、しかし人間は真理へ向かはなければならない。何故なら哲学の全学派は全個人の羸弱さに応じた詩的霊性から派生したものである。
第四原理 既知の領域を見回したところで如何なるものも未知を見出す事は出来ない。即ち後天的に得た認識から人間はそれ以上獲得出来なかつた。故に全宇宙型詩的霊性は《存在》する。
第五原理 あらゆる民族の各宗教はあらゆる場所で預言の霊性と呼ばれる詩的霊性を各民族が多様に感受した事から派生する。
第六原理 ユダヤ教徒及び基督教徒の聖書は詩的霊性から本源的に派生したものである。この事は肉体的感覚の限界性から必然である。
第七原理 全人類は同一(無限の多様性が見えてゐるにも拘はらず)である故に、全宗教及び全宗教的類似物は一つの本源を持つ。
真の人間は自身が詩的霊性である事の源である。
以上、当時のMemoのまま――表現が稚拙で誤訳ばかりであるが――ここに書き記しておく。当時の雰囲気が香つてくるのでね。
作品名:審問官第一章「喫茶店迄」 作家名:積 緋露雪