審問官第一章「喫茶店迄」
――つまり、《固有時》といふ考へ方は解るかい?
――《固有時》?
――つまり、僕と君はそれぞれ違つた時間の流れ方をする時計を持つてゐるといふ考へ方は解るかな?
――相対的といふ事ね。時間の流れは全ての主体にとつて同一ではなくて各各固有の時間が流れてゐるといふ、ええつと、相対論だつたかしら、アインシユタインの相対論の考へ方ね。さうでしよ。
――さう。つまり、時間は相対的にしか《存在》しない。つまり、主体各人が各各固有の時間、つまり、《固有時》を持つてゐるといふ事さ。そこで、つまり、主体は主体から距離が零だから主体各各は全て固有の現在に《存在》する。もつと正確に言ふと、主体の現在は主体の表皮のみ、つまり、それをずばりと言つてのけた表現で言へば《皮袋》であつて、更に言へば主体の内部は主体から、つまり、距離が負故に、つまり、時間が逆巻く故に、つまり、其処は主体の未来になる。
――主体内部は負の時間、さうねえ、かうかしら、時間が逆回転して進むやうにしての未来といふ事かしら?
――さう。つまり、主体内部は主体自体から距離が負だから唯単に計算上未来といふ事になる。そして、主体《存在》が有限且主体《存在》の内部に中心があるといふ事は、つまり、主体の死を暗示してゐる。つまり、《存在》物は内部を持つ事で、つまり、自らの死を内包した《存在》としてしか此の世に《存在》出来ない。つまり、この考へ方を総じて僕は《個時空》と名付けてゐる。
――すると、あなたにとつて私はあなたの過去の世界に《存在》してゐるといふ事?
――さう。君は僕にとつて過去の世界に《存在》してゐる。しかし、つまり、君と僕との距離が、相対論で見ると、つまり、無視出来る程に小さいのでお互ひに全く同一の現在にゐるやうに看做せてしまふけれども、相対論は光速度が基本になつてゐるから、つまり、理論物理の世界では、つまり、 僕と君の距離は、つまり、光速度においては無視出来るかもしれないけれども、しかし、つまり、僕も君も光速度では動かない、つまり、理論物理では無視出来ても、現実では無視しちやならない、つまり、僕と君との間に横たはる距離、つまり、正確にいへば僕の《個時空》では君は過去に《存在》してゐる。
――すると、私からするとあなたは私の過去に《存在》してゐるといふ事ね。何となくだけれども、あなたのいふ《個時空》または《主体場》といふ考へ方が解つたやうな気がするけれども、まだまだピンとこないわね、うふつ。
――つまり、それでいいんだよ。つまり、《個時空》といふ考へ方は僕特有の考へでしかなく、つまり、一般化なんかされてゐないんだもの。つまり、誰も現在が主体の表皮、つまり、《皮袋》でしかなく、しかも有限的に《存在》するといふ事は未来の死を内包してしまつた宿命にあるなんて考へないもの。
――さうねえ。あなた独特の考へ方ね。その《個時空》といふ考へ方は……。
と、雪が言つたので私は軽く微笑みながら頷くのであつた。
――そこでだ。つまり、此の世に《存在》してしまつた以上、誰も時間を止める事は出来ず、また、時間から遁れられない。つまり、諸行無常だ。つまり、僕はこの諸行無常こそ《個時空》の宿命だと看做してゐる。
――宿命か……。
――つまり、大いなる時の流れの上に生じた、つまり、主体といふカルマン渦の《個時空》は、つまり、大いなる時の流れから見ればほんの束の間しか《存在》出来ない。人間で言へば高高百年位なものだ。
――あなたの言ふ大いなる時の流れつて宇宙大の悠久の時で見た時の時間の流れつて事かしら?
――さう。つまり、主体といふ《個時空》は、つまり、大いなる悠久の時の流れの上に生じた、つまり、小さな小さな小さなカルマン渦に過ぎない。つまり、その生滅は主体にとつては如何ともし難い。つまり、《個時空》の考へ方からすると大いなる悠久の時の流れの上に《個時空》といふカルマン渦が生じた時点で、つまり、そのカルマン渦の寿命は既に決定されてしまつてゐるに違ひないと思ふ。つまり、僕は決定論者ではないけれども、《個時空》は必ず死滅する。
――何か虚しいわね。
――さうだね。しかし、この虚しさは、つまり、受容する外ない。つまり、僕は宇宙すら死滅する宿命を負つてゐると看做してゐる。つまり、どんな《個時空》も死滅するといふ宿命からは遁れられない。
――だから、死滅する宿命に抗ふやうにして《存在》は不可能事たる恒常不変なるものを欣求するのよ。
――さうかもしれない。しかし、つまり、《個時空》が負ふ諸行無常は如何ともし難い。つまり、断念する事から何事も始まるんぢやないかな、恒常不変も。
――また断念ね……。
――つまり、僕は物事を単純化する事は嫌ひだから単純化する気はないんだけれども、つまり、何事も按配ぢやないかな、つまり、主体の自由度は。つまり、大いなる悠久の時の流れを重要視すればそれは信仰生活に近い生活になるし、カルマン渦の小さく小さく小さく渦巻くその渦を重要視すればそれは主体絶対主義ともいふべき、つまり、何とも摩訶不思議な生活になると思ふ。
――按配なのかしらね……、人生といふものは。
――つまり、やつぱり、其処には断念が厳然と《存在》する。つまり、誰しも己の《存在》に対して、例へば他の人生は選べないなど、断念した上で、例へば自由などと言つてゐるに違ひない。つまり、死の受容だ。つまり、己を死すべき宿命を負つた《存在》として、つまり、己を受容する外ない。それでも人間は日一日と生き長らへる。つまり、死すべき宿命にありながら、否、むしろ死すべき《存在》だから、つまり、尚更日一日と精一杯生きる。つまり、ここにはある断念が厳然としてあるに違ひない。
――諸行無常ね。人間は諸行無常を受容しつつも、それに一見抗ふやうにして生きてゐる、否、生きざるを得ない。つまり、其処に断念があるとあなたはいふのね……。
――つまり、断念すればこそ、人間は時代を簡単に飛び越える、例へばこのヴアン・ゴツホやブレイクや等伯や若冲のやうな創作物を作り果せる《存在》へと変容する。つまり、しかもそれはちやんと諸行無常の相の上に《存在》してゐる。つまり、これはそれだけで凄い事だよ。
と、その時、それ迄蛍光燈の周りをひらひらと舞つてゐた一匹の蛾が雪の目の前を通り過ぎ、私の眼前の本棚の画集にとまつたのであつた。
――きやつ、何?
それはやや灰色つぽい色を帯びた地味な配色の蛾であつた。
――何だ、蛾ぢやない……。
作品名:審問官第一章「喫茶店迄」 作家名:積 緋露雪