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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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審問官第一章「喫茶店迄」

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――つまり、狂気をもつてしか《生(なま)》の《存在》には対峙出来ない。つまり、狂気なくして《無》と《無限》を見渡す事は不可能だ。つまり、《無》と《無限》を見渡さない限り、画家は一枚も絵を描けない。つまり、さうしないと《存在》が姿形あるものに収束しないからね。
――でも……それつて狂気なのかしら? 私には人間誰しも持つてゐる業にしか思へないのよ。《無》と《無限》を見渡す不可能性へ対する人間の業。不可能なるが故に何としても成し遂げたい渇仰。だつて人間誰しも《無》と《無限》の間に《存在》させられてゐるのよ。あらゆる《存在》物が姿形を持つて《存在》させられてゐるのよ。哀しいけれどもね。
――其処なんだよ。つまり、《存在》は《存在》に我慢してゐるのだらうか? 
――さうね。多分、どんな《存在》も《存在》に我慢してゐる筈よ。さうぢやなきや変容は生じないわ。
――変容――。つまり、《存在》は常に別の何かに変容したがつてゐる。つまり、君の言ふ事はさういふ事かい? 
――う~ん、どうかな。例へば、諸行無常と恒常不変の狭間で《存在》はもがき苦悩してゐる。さうとしか思へないのよ。
――不思議なものだね。つまり、《存在》は諦念として諸行無常を或る意味受け入れてゐるが、つまり、それでも或る意味《存在》は諸行無常には我慢がならぬ。つまり、外的要因で《存在》を変容させられる事を、つまり、何故か忌み嫌つてゐる。しかし、つまり、人間《存在》がどう足掻いても此の世は諸行無常だ。つまり、これは如何ともし難い。つまり、だから、《存在》は渋渋ながらも諸行無常に我慢してゐる。つまり、かといつて恒常不変を心から望んでゐるかといふと、つまり、望んではゐるけれども、つまり、本心ではこれまた忌み嫌つてゐるとしか思へない。つまり、現状のまま恒常不変にでもなつたなら、つまり、此の世の終はりでとんでもないと感じてゐる。とはいへ、《存在》は恒常不変なるものに或る種の憧れさへ抱いてゐる。つまり、をかしなもんだね、《存在》といふこの我儘極まりない《存在》は! つまり、正覚者でない限り変な慾のやうなものを、つまり、人間《存在》は抱いてゐるから始末に負へない。つまり、その変な慾といふものを一言でいふと、つまり、不可能事を此の世で成し遂げるといふ、どう仕様もない高望みの事だ。
――さう、不可能事なのよ! 何をおいても不可能事が第一なのよ! 《存在》した以上、不可能な事にばかり目が行くのよ。どうしてかしらね……。
――つまり、それは自由の問題と絡んでゐるんぢやないかな。
――さうね、自由の問題ね。そもそも自由が不可能事を望んでゐるのよ。自己実現出来てしまふ至極簡単な自由では我慢が出来ないのね、人間といふ《存在》は。欲張りね! 
――欲張りかもしれないけれども、つまり、しかし、不可能事に目が行かない《存在》といふのもどうかしてゐるぜ。つまり、現状に満足してゐたならば、つまり、其処に新たなものは何も生まれやしない。つまり、ヴアン・ゴツホにしろブレイクにしろ等伯にしろ若冲にしろ、現状に満足してゐたならば、つまり、これつぽつちも絵なんぞ描きやしないし、況してブレイクは詩なんぞ書きやしなかつた。つまり、其処には自由もへつたくれもありやしない。つまり、其処には不可能を可能にするべく、つまり、悪戦苦闘の軌跡しか残つてゐない。つまり、諸行無常に抗ふ諸行無常と言つたらよいのか、つまり、不可能への絶えざる肉薄を諸行無常といふならば、つまり、諸行無常から恒常不変な創造物が生まれる。つまり、諸行無常なくして恒常不変は無いんぢやないかといふ気がする。
――さうね。でも其処には絶えざる諸行無常への抗ひがあるのね。ああ、難しい! 
 と、ここで雪が呻いたので私は軽く微笑まざるを得なかつたのであつた。
――つまり、一方で断念といふものもある。
――断念ね……。
――つまり、断念する自由。
――断念も自由か……。
――つまり、何かを選べば何かを断念せざるを得ない。
――さうよね。何かを選べば何かを断念せざるを得ない。
――つまり、断念するのにも身命を賭して断念する。つまり、さうでないと時代を超越する創作など出来やしない。つまり、君は身命を賭した選択といふものをした事があるかい? 
――う~ん、あると言へばあるし、ないと言へばないとしか言へないわね。西洋哲学を専攻したのは或る意味身命を賭した選択だつた筈なんだけれども、今は東洋思想にのめり込んでゐるこのざまだわ。
――つまり、それは学びの途中だからだよ。つまり、何かを創作するには、つまり、身命を賭して別の何かを断念する外ない。つまり、例へば、それは現世利益だつたりするけれどもね。そのための途中の学びは取捨選択の自由の外にも全てが自由さ。何を学んだつて構ひやしない。つまり、君もその時期が来たならば、つまり、何かを断念して何かを身命を賭して選択する時が必ず来る筈さ。つまり、身命を賭して何かを選択しなければならない、つまり、のつぴきならぬ時期が必ず来る。
――……。
――つまり、君も真剣に生きてゐるからね。
――うふつ、有難う。
――それにしても、つまり、諸行無常は如何ともし難い宿命だと思はないかい? 
――宿命ね……。
――僕は、つまり、主体は各各《個時空》、つまり、《個時空》は渦巻いてゐるものなんだが、その《個時空》を生きてゐると考へてゐるんだが……。
――《個時空》? 《個時空》つて何?
――簡単に言へば、つまり、《主体場》の事さ。
――《主体場》? 
――さう。つまり、主体が置かれてゐる此の世の時空間は流れ移ろふものだらう? 
――さうね、時は流れるとか時は移ろふとか言ふものね。
――つまり、流れあるところには、つまり、必ずカルマン渦が発生する筈だと僕は看做してゐる。
――カルマン渦? カルマン渦つて? 
――つまり、カルマンといふ人が発見したんだが、つまり、自然界で発生する渦全般の事だよ。つまり、台風がその一例だね。
――川面に生じる渦の事? 
――さう。つまり、例へば、川の流れが大いなる時間の流れだとすると、つまり、其処に生じたカルマン渦の一つ一つが主体の《個時空》と看做せる。
――カルマン渦が《個時空》? まだピンとこないわね、うふつ。
――つまり、君も物理学の初等は解るよね。つまり、距離が時間に、時間が距離に変換出来る事を。
――ええ、解るわ。
――そして、つまり、主体と距離が生じるといふ事は、つまり、それは主体から見ると過去に過ぎないといふ事も解るよね。
――ええ、夜空の星辰が何億年もの過去の姿だといふ事なら知つてゐるわ。それと同じ事ね。
――さう。つまり、主体と距離が生じる事は、つまり、主体が現在だと看做しちまへば、つまり、外界は全て過去といふ事になる。その過去の、つまり、距離の拡がり方は主体を中心とした渦時空間を形成する事になる。
――主体が現在とはどういふ事かしら? 
――つまり、《個時空》またはそれは《主体場》と呼んでもいいんだが、つまり、《個時空》の中心といふ事さ。つまり、主体は主体から距離が零だから、主体は現在といふだけの事さ。
――つまり、主体から主体は距離が無いから物理学的に言つて唯の現在という事なのかしら?