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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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審問官第一章「喫茶店迄」

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――つまり、きつと彼等は絵を描く事で、つまり、自在感なるもののその片鱗を、つまり、一度は味はつてしまつたやうな気がする。つまり、この自在感なるものが曲者で、つまり、世界を思ひのままに描く事が出来る愉悦、つまり、絵を描く事即ち世界の創造に、つまり、無謀にも自在感なるものを味はつてしまつた事で挑まざるを得なくなつてしまつた。つまり、其処には《存在》に対する恐怖なるものも必ず《存在》してゐて、つまり、頼れるのは己の技量のみ。そこでだ、つまり、彼等は神、若しくは仏性ある世界に一度は大敗北を喫する。其処では、つまり、自在感が徒となる。つまり、それは底無しの陥穽だ。どう足掻いても、つまり、その底無しの《存在》といふ陥穽から抜け出せない。さうすると、つまり、己を全的に世界にぶつけてみるしかない。つまり、其処でますます世界に対峙するべく、つまり、己の絵の世界に没頭して行く事になる。つまり、其処は無明の闇さ。つまり、試行錯誤を何度も何度も繰り返して、つまり、世界といふ不可思議な《存在》を吾が《もの》にしようともがき苦しむ事になる。つまり、それでも世界は知らん顔だ。つまり、神も仏も一度たりともその素顔を明かさない。つまり、それでもこの手で世界といふ不可思議な《存在》を、つまり、一度握り潰して再創造してみたくて仕様がない。困つたものだね、人間の業といふのは――。
――うふつ、どん詰まりのところでは結局、自身はあなたの言ふ鏡、世界を映す鏡になるしかなかつたのね。つまり、心鏡ね。どう人間が足掻いても世界はその断片しか見せてくれない。つくづく人間《存在》つて哀れな《存在》ね……。
――つまり、絵を描く事に没頭するといふ、つまり、飽く事なき《存在》の探究、つまり、それは世界との対話と言つても良いのだが、つまり、心鏡に映る世界は、果たしてその素顔の片鱗でも垣間見せたのだらうか? つまり、《物自体》はその尻尾を見せたのだらうか? 
――さうね、きつと最後迄見せる事はなかつたでしようね。
――そこでだ、つまり、パスカル風に言つて此の世が《無》と《無限》の中間だとすると、つまり、例へば若冲は鶏の絵を描く事で、つまり、《無》と《無限》の両極端を認識してしまつたんぢやないかな。つまり、認識と迄は言はなくてもぼんやりにでも、つまり、《無》と《無限》を垣間見てしまつた――。それぢやないとこんな鶏の絵なんぞ描けつこないぢやないかと思ふんだけれども、君はどう思ふ? 
――さうね……。あなたのいふ特異点の問題の事ね。
――さう。つまり、詰まるところ特異点の問題だ。つまり、この度し難い特異点と対峙してしまつた時、つまり、画家はたじろぎ怯むが、つまり、それでも眼前の《存在》を逃がさぬやうにぢつと目を据え世界を凝視する。つまり、この端倪すべからざる世界を。つまり、対象を凝視するしか術がないんだ。つまり、その時《存在》は、つまり、《無》と《無限》との間を大振幅して画家を嘲笑つてゐるに違ひない。つまり、揺れる《存在》――。つまり、《無》と《無限》の間を《存在》は自由に揺れる。つまり、画家たるものそれを睥睨して、つまり、世界を描き始めなければならない。つまり、この時の苦悩は底知れぬ苦悩に違ひない筈だ。つまり、若冲の鶏でいふと、若冲は鶏に神を、仏を、宇宙を見てしまつた。つまり、神を、仏を、宇宙を描く事の恐ろしさと言つたらありやしない。つまり、それでも敢然とそれに対峙して、つまり、若冲は鶏を描かざるを得なかつた。つまり、これは何なんだらうね? 
――宇宙を見るか……。本当に何なのかしら? 人をして絵を、それもとんでもない絵を描かせるその原動力は……。
――つまり、現代と違つて、彼等にはそれぞれ現代宇宙論では収拾のつかない、つまり、個性的なと言ふのか独創的なと言ふのか、つまり、解らないけれども、つまり、何とも奇妙な宇宙が彼らの内界には育まれてゐた筈だが、つまり、それ故彼等は知識に邪魔されない《生(なま)》の世界《存在》に出会つてゐる筈だ。つまり、それはそれは面白かつたんぢやないだらうか。
――《生(なま)》の《存在》ではないでしよう? 彼等にも神や仏の知識は《存在》してゐた訳だから。唯、科学的な知識は遠く現代人には及ばなかつたけれども、それが幸ひして科学的な知識が邪魔しなかつたのは確かね。それはむしろ幸福だつたのかもしれないわね。
――さう、其処なんだ。つまり、心鏡は科学的知識に集約される必要があるのだらうか? つまり、本来、非科学的な事の中にこそ真実なるものは隠されてゐるんぢやないかな。それを心鏡は映す。
――でも、非科学的な世界は渾沌の世界よ。
――つまり、それで良いんぢやないかと思ふんだが、つまり、渾沌の中からしか新世界の再創造はあり得ない。
――陰陽魚太極図ね、うふつ。
――さう、つまり、彼等は太極の状態を、つまり、《生(なま)》の世界《存在》を見てしまつたんぢやないかな。つまり、其処から《生(なま)》の世界なり《存在》なりがぬつと顔を突き出したんだ。しかし、それは一瞬の事で、つまり、その後は一度たりとも顔は現さない。しかし、つまり、一度でも《生(なま)》の《存在》を見てしまつた以上、つまり、それを探求せずにはゐられなかつた。
――それつて探求なのかしら? ただ単にその《生(なま)》の世界なり《存在》なりを捕まへたいといふ人間の業でしかないんぢやないかしら。
 といふ雪の言葉を聞くと、私はゆつくりと瞼を閉ぢたのであつた。
――――ううううああああああああ~~。。
 赤の他人の彼の人は相変はらず音為らざる音を発しながら、瞼裡の虚空の何処とも知れぬ何処かへとゆつくりと旋回しながら飛翔を続けてゐたのであつた。
『……絵を描く事は渾沌に秩序を与へる行為に違ひない……しかし……私が《存在》してゐなくても世界は《存在》する……《存在》してしまふのだ!』
 等と私は思考を巡らせたのであつた。そして、私は雪に解らないと首を横に軽く振つてにやりと笑ひ、おどけて見せるのであつた。
――さうね、解らないわね、うふつ。
――つまり、度し難い己の《存在》に対する処し方が画家の絵にも反映される。つまり、心鏡だ。
――さうね。さうぢやないと画家の作品は時代を超えて残らないわね。何処迄この度し難い《存在》に肉薄したか、それが絵を見るものの魂を揺さぶるに違ひないわ。
――さう、つまり、度し難い《存在》への肉薄だ。つまり、特異点への肉薄さ。つまり、《無》と《無限》の狭間で発散しようと隙をうかがつてゐる《存在》といふ特異点は、つまり、それでも無理矢理収束状態に一見馴致されてゐるやうに見えるが、しかし、《存在》といふものはそれで済まない。つまり、狂気とも言へる情熱は如何ともし難い。それに狂気がなければ絵など描けない筈だ。つまり、《生(なま)》の《存在》に対峙してしまつたんだからね。つまり、狂気のみが《存在》を馴致する。
――狂気か……。狂気をもつてしか《存在》には対せないのかもしれないわね。