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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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審問官第一章「喫茶店迄」

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――でも、つまり、等伯の人生なんぞ何も知らなくても、この松林図は、つまり、何か透徹した凄味が垣間見えてしまふと思はないか? つまり、見る人の魂を串刺しにしてしまふ凄味が。つまり、この松林図を描かずにはゐられなかつた等伯の思ひは如何ばかりであつたか――。つまり、この松林図は徹頭徹尾己の為にのみに描かれてゐるやうな気がするんだ。しかし、それが無私になる。つまり、東洋的だといふ一言では片付かない何かがこの絵には秘められてゐる。つまり、何と言つたら良いのか――、無我の境地、つまり、しかもそれは徹頭徹尾己に拘り続けた末に、つまり、幽かに垣間見えたかもしれない無我の境地――。つまり、何なのか、この松林図は! 
――さうね。この絵は見る者の魂をぎやふんと言はせる何か迫力があるわね。無私なるが故に、見る者には敵はない何か突き詰めた思ひが迫つて来るわね。ゴツホやブレイクと違つて直截的ではないけれども、後からじわじわと迫つて来る主観なる《もの》の物凄さがこの絵には宿つてしまつてゐるわね。
――つまり、生者の前に厳然と立ちはだかる巨大な壁。つまり、「どうだ、この絵の前では身動ぎも出来ぬであらう!」といつた等伯の声が聞こえて来るやうだ。つまり、「さあ、この絵を乗り越えられるんだつたなら乗り越えてみるんだな、へつ」というやうな等伯の声が聞こえて来さうな気がする。つまり、この絵はもしかすると、現在を生きる生者にとつての《躓きの石》なんぢやないかな。つまり、敢へて言へば先達が残した作品は、それが何であらうと、つまり、それを超えようとする現代にとつての《躓きの石》でしかないのかもしれぬ――。しかし、つまり、それらを知つてしまつた以上、つまり、現代人はそれらを超克せねば気が済まぬ宿命を負はされる。否、負はなければならない。つまり、さうぢやなければ先達に失礼だと思ふんだが、君はどう思ふ? 
――さうすると……、あなたは先づ第一に先達の作品の否定から現代人は始めろといふ事を言ひたいのかしら? 
――否、それは違ふ。つまり、先達の作品を認めた上で、それ以上のものを作り上げる努力といふのか、絶望といふ茨の道を歩まざるを得ない。つまり、人類も歴史を持つ以上、先達に負けず劣らぬ何ものかを創造する宿命を負つてゐる。
――宿命ね……。それは宿命なのかしら? 過去を超克しようなどと思はなければ、それはそれで何の事はないんぢやないの? 
――それはさうだけれども、しかし、つまり、眼前に人間の業なる途轍もなく物凄い《もの》があつて、つまり、それに睨まれたとしたならば、その人間は尻尾をまいて逃げて、つまり、それで仕舞ひで済むと思ふかい? 
――さあ、解らないわ。
――つまり、敗北感と屈辱の中で、つまり、人間は一生を平気で過ごせるものなのだらうか? つまり、人間といふ《存在》の業がそれを許すと思ふかい? 
――さうね、中にはそれで済んぢやう人間もゐると思ふけれども、何糞つとそれに立ち向かふのが多数の人間ぢやないかしら? 
――つまり、僕も君もヴアン・ゴツホに、ブレイクに、等伯に、若冲に今睨まれてゐるんだぜ。さあ、どうする? 
――うふつ。
――つまり、人間、この度し難い《存在》めが! 
――うふつ。
――つまり、時代を超えて生き延びた、つまり、人類の遺産の如き古典といふ傑作の数数を前に、怯まずにくつと前を向いて、つまり、倦まず弛まず現在を生きるのは、さて、困つた事に、つまり、如何ともし難く、度し難い状況を生きる事に等しい。つまり、堂堂巡りになつてしまふが、つまり、そもそも《存在》とは何ぞや? 
――うふつ。あなたはその《存在》をどう思ふのかしら? 
――つまり、それが良く解らないんだよ。
――うふつ、解らないから生きてゐるんでしよ? 多分生者であれば正覚者以外誰も解らない筈よ。
――つまり、それでも生者は問はずにはゐられない。そこで、つまり、この若冲の鶏の極彩色の絵だ。君はどう思ふ? 
――さうね。無心の絵のやうな気がするわ。
 と、雪が言ふのを聞きながら私は若冲の絵を凝視するのであつた。
 成程、若冲のこの鶏の絵は無心の絵に違ひない。しかし、この絵には魂魄が宿つてしまつたやうな不気味な《存在》感が漂つてゐる。それは《存在》といふ《もの》の不気味そのものであつた。若冲はカントのいふ《物自体》にそれとは知らずに触れようとしてゐたのであらうか。この妖気すら発するこの鶏の絵は、一体全体どうした事であらうか……。
――つまり、この絵は、つまり、ドストエフスキイ言ふところの魂のRealism(リアリズム)だとは思はないかい? 
――さうね、魂のRealismね……。さうね、《物自体》が持つ《存在》の不気味さが漂ふ何とも表現し難い絵ね。
――《物自体》の不気味さ? つまり、実は僕もさう思つてこの絵を眺めてゐたんだ。やはり君もさう思ふか――。
――さう。ブレイクの「The Tyger」(「虎」)にも通じるわね。

「The Tyger」
Wlliam Blake著

Tyger Tyger. burning bright,
In the forests of the night;
What immortal hand or eye,
Could frame thy fearful symmetry?
In what distant deeps or skies.
Burnt the fire of thine eyes!
On what wings dare he aspire!
What the hand, dare sieze the fire?
And what shoulder, & what art,
Could twist the sinews of thy heart?
And when thy heart began to beat,
What dread hand? & what dread feet?
What the hammer? what the chain,
In what furnace was thy brain?
What the anvil? what dread grasp,
Dare its deadly terrors clasp!
When the stars threw down their spears
And water'd heaven with their tears:
Did he smile his work to see?
Did he who made the Lamb make thee?
Tyger, Tyger burning bright,
In the forests of the night:
What immortal hand or eye,
Dare frame thy fearful symmetry?


「虎」――拙訳
虎よ、虎よ、燃え上がる光輝、
その夜の森に、
如何なる不滅の手と眼が、
汝の震撼する程の均斉を創り得るのか?

どれ程の空空の深度若しくは高度迄。
汝の眼は燃え上がつたか? 
如何なる程の迅速さを彼は敢へて熱望するのか?