審問官第一章「喫茶店迄」
彼の人はゆつくりとゆつくりと螺旋を描きながら、何処とも知れぬ何処かへ向け飛翔を相変はらず続けてゐた。彼の人はこの闇の中にあつてもその姿形を変へる事なく、徹頭徹尾彼の人であり続けたのであつた。
闇。闇は《無限》を強要し、其処に卑近な日常の情景から大宇宙の諸相迄ぶち込む《場》であつた。闇の中では過去と未来が綯(な)ひ交ぜになつて、不気味な《もの》を眼前に据ゑるのだ。悪魔に魂を売るのも闇の中では私の選択次第である。ふつ。この解放感! 私はある種の陶酔感の中にあつたに違ひなかつた。《もの》皆全て闇の中に身を潜め、己の妄想に身を委ねる。それはこれ迄自身を束縛して来た《存在》からの束の間の解放であつた。《存在》と夢想の乖離。しかし、《存在》はそれすらも許容してしまふ程に懐が深い。《存在》からの解放なんぞは無駄な足掻きなのかもしれぬ。闇の中の妄想と気配の蠢きの中にあつても《存在》は泰然自若としてゐやがる。ちえつ。何とも口惜しい。しかしながら《存在》無くしては妄想も気配もその《存在》の根拠を失ひ此の世に《存在》出来ないのは自明の理であつた。
……………
……………
――お前は何者だ!
ねえ、君、闇の中では闇に誰もがかう詰問されてゐるに違ひない。へつへつへつ。人間は本当のところでは自問自答は嫌ひな筈さ。己の不甲斐なさと全的に対峙するこの自問自答の時間は苦痛以外の何物でもないに違ひない。それはつまり自問する己に対して己は決して答へを語らず、また語れないこの苦痛に堪へなければならないからね。それに加へて問ひを発する方も、己に止めを刺す問ひを多分死ぬ迄一語たりとも発する事はないに違ひない。そもそも《生者》は甘ちやんだからね。へつへつへつ。甘ちやんぢやないと《生者》は一時も生きられない。へつへつへつへつ。それは死の恐怖か? 否、誰しも己の異形の顔を死ぬ迄決して見たくないのさ。醜い己! 《生者》は、生きてゐる事その事自体が醜い事を厭といふ程知り尽くしてゐるからね。君もさう思ふだろ? それでも《生者》は自問自答せずにはゐられない。をかしな話だ、ちえつ。
…………
…………
闇といふ自身の《存在》を一瞬でも怯ます時空間の中で、此の世に《存在》する森羅万象は疑心暗鬼の中に放り込まれて猜疑心の塊になつてゐる筈であつたが、私はこの闇の中といふ奇妙な解放感の中で、尚も、「光が彼の世への跳躍台」といふ事の周りで思考の堂堂巡りを重ねてゐたのであつた。
『……相対論によれば物体は光に還元出来る。つまり物体は《もの》として《存在》しながらも一方では摑みどころのないEnergie(エネルギー)にも還元出来る……もし《もの》がEnergieとして解放されれば……へつ……光だ! ……この闇の歩道を歩く人波全ても光の集積体と看做せるぢやないか! ……だが……《生者》として此の世に《存在》する限り光への解放はあり得ず、死す迄人間として……つまり……《もの》として《存在》する事を宿命付けられてゐる……光といふ彼の世への跳躍台か……成程それは《生者》としての《もの》からの解放なのかもしれない……』
と、その時、不意に歩道は仄かに明るくなり、再び満月の月光の下へ出たのであつた。
『……確かに《もの》は闇の中でも仮令見えずとも《もの》として《存在》するに違ひないが……しかし……《もの》が光に還元可能なEnergie体ならばだ……《もの》は全て意識……へつ……意識もまたEnergie体ならばだ……《もの》皆全て意識を持たないかな? 馬鹿げてゐるかな……否……此の世に《存在》する《もの》全てに意識がある筈だ……死はそのEnergie体としての意識の解放……つまり……光への解放ではないのか?』
遂に歩道は神社兼公園の鎮守の森の蔭の闇から抜け、街燈が照らし出す明かりの下に出たのであつた。雪は相変はらず何かを黙考してゐるやうで、私の右手首を軽く優しく握つたまま何も喋らずに俯いて歩いてゐた。私はといふと、他人の死相が見たくないばかりに、明かりの下に出た刹那、また視線を足元に置き伏目となつたのである。
『……それにしても《光》と《闇》は共に夙(つと)に不思議なものだな……ちえつ……《もの》皆全て再び光の下で私(わたくし)し出したぜ……《吾》が《吾》を見つけて一息ついてゐるみたいな雰囲気が漂ふこの時空間に拡がる安堵感は一体何なんだらう……それ程迄に私が私である事が、一方で不愉快極まりないながらも、もう一方では私を安心させるとは……《存在》のこの奇妙奇天烈さめが!』
その時、丁度T字路に来たところであつた。私はSalonに行く前にどうしてももう一軒画集専門の古本屋に寄りたかつたので、そのT字路を右手に曲がつたのであつた。
――何処かまだ寄るの?
と雪が尋ねたので、私は軽く頷いたのであつた。この道は人影も疎らで先程の人波の人いきれから私は解放されたやうに感じて、ゆつくりと深呼吸をしてから正面をきつと見据ゑたのである。
――あつ、画集専門の古本屋さんね?
と、雪が尋ねたので、これまた私は軽く頷いたのであつた。
其処は洋の東西を問はず、多分古本屋の主人の頭蓋内の闇に明滅する心象風景に呼応してしまつた絵画や、これまた古本屋の主人の魂に決定的な印象を与へてしまつた画集の数数等が、これまた古本屋の主人の魂の有様を映すやうに雑然と置かれてゐた、何やら古本屋の主人の頭蓋内にある或る部屋の中に迷ひ込んだやうな、一種独特の雰囲気を醸し出した古本屋であつた。それを更に例へて言つてみれば、古本屋の主人の頭蓋内に形作られてゐた迷宮都市が画集によつて再現されてゐるといつたやうな、人間誰しも持つてゐるに違ひない或る種の風狂さが直截表れてゐる、古本屋の主人の独特の性質が紡ぎ出した独自の世界観に彩られた古本屋であつた。私がその古本屋を最初に訪れたのは、「あつ、こんな所にも古本屋がある」と何気なくであつたが、しかし、その古本屋の店内に一歩足を踏み入れた刹那、私の魂は鷲摑みにされすつかり魅了されてしまつたのは言ふ迄もなく、途端にその古本屋は私の時間が許す限り必ず訪れないと気が済まない場所になつてしまつたのであつた。
その古本屋に入るや否や、私は雪を放つておいてヴアン・ゴツホとヰリアム・ブレイクと長谷川等伯と伊藤若冲の画集を棚から取り出し、渦巻く夜空が異様なヴアン・ゴツホの「星月夜」と、「天帝」とも呼ばれてゐる雲上の老ひた男が片手を地に向けCompass(コンパス)状に二筋の閃光が放たれる「絶対者」と、幽玄至極な等伯の「松林図屏風」と、極彩色が凄まじい若冲の「鶏之図」を左から順番に平積みの雑誌等の上に拡げ並べて雪に見せたのであつた。
――何? 何か意味があるでしよ!
と雪が訊ねたので、私は即座にMemo帳を取り出し、かう雪に切り出したのである。
――つまり、この四作品を左から眺めていつて、つまり、何か気が付かないかい?
――そうねえ……ちよつと待つてね。
作品名:審問官第一章「喫茶店迄」 作家名:積 緋露雪