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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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審問官第一章「喫茶店迄」

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――つまり、毛細管現象や葉からの、つまり、水分の蒸発による木の内外の圧力差など、つまり、木が水を吸ひ上げるのは、つまり、科学的な説明では数十メートルが限界なんだ。つまり、しかし、巨大セコイアに限らず、つまり、木は巨樹になると数十メートル以上に迄、つまり、成長する。何故だと思ふ?  
――うふつ、木の《気》かしら、えへつ。 
――ふむ、さうかもしれない。つまり、僕が思ふに木は、つまり、維管束から幹迄全て、つまり、螺旋状の仕組みなんぢやないかと思ふんだ。つまり、一本の木は渦巻く《気》の中心で、つまり、その目に見えない摩訶不思議な力で、つまり、科学的な常識を超えて垂直に地に屹立する。ねえ、君。つまり、先に言つたが、つまり、科学はまだ渦を正確には説明出来ない。つまり、円運動をやつと直線運動に変換するストークスの定理止まりなんだ。つまり、人間は未だ螺旋の何たるかを、つまり、知らない。つまり、木は人間の知を超えてしまつてゐる。つまり、また渦の問題になつたね、へつ。 
 私は雪の何とも不思議さうな顔を見て微笑み更に続けたのであつた。
――ねえ、君。つまり、江戸の町が《の》の字といふ、つまり、《渦》を巻いてゐるのは知つてゐるね? 
――ええ、山手線がその好例よ。 
――つまり、人間が《水》の亜種で、日つ、此の世が右手系ならば、つまり、《の》の字の渦は天から《気》が絶えず降り注ぐ回転の方向をしてゐる。つまり、低気圧の渦が上昇気流の渦ならば、つまり、《の》の字の渦は、言ふなれば下降気流の回転方向を示してゐる。つまり、さうすると、江戸の町は絶えず天からの目に見えぬ加護を受けてゐたのさ。そこでだ、つまり、仮に江戸時代のPyramid型の階級社会が、とぐろを巻く渦状の階級社会でもあると強引に看做してしまふならば、つまり、天下無敵の階級社会だつたに違ひない筈なのだ。 
――ふう~う。 
 と私は煙草を一喫みした。 
――ねえ、江戸時代の人人は現代人より創造的で豊かな暮らしをしてゐたのかもしれないわね。すると、《自由》の御旗の下の現代の一握りの大富豪と殆ど全ての貧乏人といふ峻険なる山型の階級社会は、うふつ、息苦しいわね。
――ふう~う。 
 私は煙草をまた一喫みしながら更なる思案に耽るのであつた。 
――――ううううああああああああ~~。。
 と、その時、私の視界に張り付いた彼の人の瞑目した顔は相変はらず私に正面を向けて音為らざる声を唸り上げながら何やら不気味にさへ見える微笑をちらりと浮かべ、忽然とその大口を開けたのであつた。

…………
…………
 
 それにしても死は物全てに平等に訪れるが、さて、例へば視点を変へて速度をベクトルⅴで表した




の時間Δtの極限値、つまり、零――ねえ、君、この数式は考へやうによつては物凄く《死》を記号で観念化した代物だと思はないかい? へつ――と看做すと《死者》はベクトルΔⅹといふ∞の速度で動いてゐると看做せるぢやないか。主体が《観測者》でしかいられぬ現代において、主体はどんなに足掻いても《世界=外=存在》とハイデガー風に看做せば、物理学とはそもそも主体が世界=内に《存在》しない《死》の学問ぢやないのかね? ふつ。さて、そこで《死》も物理法則に従ふならば《死者》はアインシユタインの相対論から此の世のものは《死》も含めて、その極限値として光速度を超えられないとすると《死者》は光速度で動いてゐる事になる。……今、不図思つたのだが∞とは光の光速度の事で《死》の異名なのかもしれないね……。そして、へつ、光が美しいものならば《死》もまた美しいものに違ひない。ふつ、私ももう直ぐ光といふ美しい《死》へ旅立つがね、へつ。ちえつ、まあ、私の事は置いておいて、速度を時間で微分すると加速度が出現する事自体、《観測者》たる主体の日本刀の如く切れ味鋭くも美しい論理といふ刃物を無闇矢鱈に振り回しているとしか見えないのだが、この私の論法で行くと加速度とは差し詰め《霊魂》の動きを表現したものに違ひないね。その時、私の視界に張り付いた彼の人の《魂》も、
――――ううううああああああああ~~。
 と音為らざる声を唸り上げながら彼方此方に彷徨してゐたに違ひない。《死》の学問たる物理学が此の世を巧く表してゐるならば、私の視界に張り付いた私と全く赤の他人の彼の人が蛍の如く私の視界内で渦巻きながら明滅してゐたのは、物理学的に見て正鵠を射てゐたのだ。つまり、《死者》とその《魂》は《光》に変化(へんげ)した何物かなのだ。つまり、光は電磁波の一種なのだから《死者》とその《魂》は各人固有の波長をもつた電磁波の一種なのかもしれない……。まあ、それはそれとして、上下左右の知れぬ何処の方角に向かつて私の視界に張り付いた彼の人は向かつてゐたのかと考へられもするが、西方浄土といふ言葉があるから差し詰め《西方》へ向け出立したに違ひないのかもしれない……。さて、重さあるものは相対論より決して光速度には至れないが、《死者》に変化したものは《重さ》から《解脱》して、さて、此の世の物理法則の束縛から逸脱してしまふ何物なのかなのだ。其処で出会うのが多分無限大の∞なのだ。私も直ぐに∞に出会へるぜ……へつ。

…………
…………

――ねえ、この銀杏も《気》の渦を巻いて、私たちを今その渦に巻き込んでゐるのかしら? ふう~う。
 と、雪が私たちが筆談をしてゐた木蔭をつくつてゐる銀杏を撫で擦り、煙草を一服しながらまた呟いたのであつた。
――ねえ、つまり、死後も階級は、つまり、《存在》するのだらうか? ふう~う。
 と、私も煙草を一服しながら雪に訊ねたのであつた。
――勿論、極楽浄土といふんだから当然あるでしよう。でも、……彼の世に階級があつたとしても彼の世のもの全て自己充足して、それこそ極楽の境地にゐるから……階級なんて考へがそもそも無意味なんぢやないかしら。
――すると、つまり、《光》は自己充足した、つまり、自身に全きに充足してしまつて自己に満ち足りた、つまり、至高の完全に自己同一した、つまり、自同律の快楽の極致に安住する《存在》なのかな? 
――うふ。私、物理学にはそんなに詳しくないから何とも言へないけれど、でも……此の世の全ては《存在》しただけで既に自己に不満足な《存在》として《存在》する外ないんぢやないかしら……。ぢやないと《時間》は移ろはないんぢやない? 《光》もそれは免れないと思ふけれど、どう? 
 雪は舗装道路を走る自動車が通る度に巻き起こる風に揺れる銀杏の葉葉に目をやりながら訊ねたのであつた。私は仄かに微笑んで、
――ねえ、つまり、《光》が此の世と彼の世の、つまり、此の世と彼の世の間隙を縫ふ、つまり、代物だと看做すと、ねえ、君、つまり、《光》は此の世の法則にも従ふが、一方、彼の世の法則にも、つまり、従つてゐるんぢやないかと私は思ふんだが、どう思ふ? つまり、《光》が此の世と彼の世の懸け橋になつてゐるんぢやないかと思ふんだけれども……、どう思ふ? 
 雪は風に揺らめく銀杏の葉葉を見つめながら、否、葉葉から零れる満月の明かりを見つめながら、